鹿児島市を後にして薩摩半島を横断して西に向かいます。
薩摩焼きのふるさと「苗代川」(薩摩言葉でノシロコ)、日置市東市来美山です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(1593~1598年)の際に薩摩の島津軍に捉えられ連行されたという朝鮮民族がここに居を構え以来400年。
小さな展示即売所がありますが工房ですから観光スポットではありません。静かに見せていただくことにしました。
登り窯です。稼動させるのは年に5回とか言ってました。登り窯を上がったところに工房。窓の外からの見学は可です。若い方が静かに仕事してます。目元が凄い。所蔵庫があります(有料)。金額に換算しては失礼でしょうが何億とするものが並べられています。400年の歴史です。簡単に説明してくれるビデオを見ながらおタカラの中で静かなときを過ごしました。
薩摩焼き、沈寿官、古くからの友だちの九州男児に前から聞かされていました。
司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」(文藝春秋1968年刊)を読んだのは数年前です。小説というより歴史随想というか司馬遼太郎独特の語り節です。十四代沈寿官さんとの出会いから始まり例によって司馬流の語りが展開していきます。
1597年朝鮮全羅北道南原城の戦いで逃げ遅れた70名ばかりの男女が島津軍の捕虜となります。この時、意識して朝鮮磁器の工人を捕虜にしたかは定かではないようです。結果的に連行してきた捕虜が磁器の技術をもっていたかも知れません。
島津軍に捉えられた一行は島津軍撤退に従って日本に来ますがどうも単独で鹿児島県串木野の島平というところに上陸したようです。偶然に流れ着いたということでしょうか。数年を経て現在の土地に移住、以来曲折はあったでしょうが薩摩藩では彼らを郷士として処遇します。彼らの焼く白薩摩は藩の財源になりました。
「故郷忘じがたく候」・・・・・・・・は薩摩上陸以来200年もたったある日、尋ねてきた人の問に答えてつぶやく故老の言葉です。
「あなた方が三十六年をいうなら」
「私は三百七十年をいわねばならぬ」沈さんはソウル大学の講演で学生達に語りかけます。新しい国家の建設のためには前へ前へと向いて欲しい。そういいたかったのでしょう。
学生達の大合唱の前で身をふるわせて立ちつくします。
静かな工房の木立の中に「故郷忘じがたく候」の碑があります。
「苗代川」・・・静かな村です。いい旅でした。もう少し時間が欲しかった。
薩摩焼きのふるさと「苗代川」(薩摩言葉でノシロコ)、日置市東市来美山です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(1593~1598年)の際に薩摩の島津軍に捉えられ連行されたという朝鮮民族がここに居を構え以来400年。
フト道路際の門構えを見ると「沈寿官窯」とあります。
青みがかった石垣、犬槙らしい生垣、武家門、重厚な佇まいです。
屋敷内の蔵の壁には山に十の字の紋があります。
青みがかった石垣、犬槙らしい生垣、武家門、重厚な佇まいです。
屋敷内の蔵の壁には山に十の字の紋があります。
小さな展示即売所がありますが工房ですから観光スポットではありません。静かに見せていただくことにしました。
登り窯です。稼動させるのは年に5回とか言ってました。登り窯を上がったところに工房。窓の外からの見学は可です。若い方が静かに仕事してます。目元が凄い。所蔵庫があります(有料)。金額に換算しては失礼でしょうが何億とするものが並べられています。400年の歴史です。簡単に説明してくれるビデオを見ながらおタカラの中で静かなときを過ごしました。
旅のメモリー(スーベニール)に数百円のものを買うのがパターンです。
茶家(チョカ、じょか)を買いたい、でもソソッカシイから壊すだろうな
「からから」を買うことにしました。数百円というわけにはいけません。予算オーバーだ
でもこれに焼酎を入れて6:4のお湯割りにしたら最高だろうな
黒薩摩といわれる庶民の生活雑器です。
茶家(チョカ、じょか)を買いたい、でもソソッカシイから壊すだろうな
「からから」を買うことにしました。数百円というわけにはいけません。予算オーバーだ
でもこれに焼酎を入れて6:4のお湯割りにしたら最高だろうな
黒薩摩といわれる庶民の生活雑器です。
薩摩焼き、沈寿官、古くからの友だちの九州男児に前から聞かされていました。
司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」(文藝春秋1968年刊)を読んだのは数年前です。小説というより歴史随想というか司馬遼太郎独特の語り節です。十四代沈寿官さんとの出会いから始まり例によって司馬流の語りが展開していきます。
1597年朝鮮全羅北道南原城の戦いで逃げ遅れた70名ばかりの男女が島津軍の捕虜となります。この時、意識して朝鮮磁器の工人を捕虜にしたかは定かではないようです。結果的に連行してきた捕虜が磁器の技術をもっていたかも知れません。
島津軍に捉えられた一行は島津軍撤退に従って日本に来ますがどうも単独で鹿児島県串木野の島平というところに上陸したようです。偶然に流れ着いたということでしょうか。数年を経て現在の土地に移住、以来曲折はあったでしょうが薩摩藩では彼らを郷士として処遇します。彼らの焼く白薩摩は藩の財源になりました。
「故郷忘じがたく候」・・・・・・・・は薩摩上陸以来200年もたったある日、尋ねてきた人の問に答えてつぶやく故老の言葉です。
「あなた方が三十六年をいうなら」
「私は三百七十年をいわねばならぬ」沈さんはソウル大学の講演で学生達に語りかけます。新しい国家の建設のためには前へ前へと向いて欲しい。そういいたかったのでしょう。
学生達の大合唱の前で身をふるわせて立ちつくします。
静かな工房の木立の中に「故郷忘じがたく候」の碑があります。
「苗代川」・・・静かな村です。いい旅でした。もう少し時間が欲しかった。
少し前までは買い求めていました。
今思えば名前の出る先生を選んで買っておけば、
人間国宝になる人の作品を持っていればと
後悔しきりです。
でも友達が中堅作家となり、当事000円で買ったものがデパートでは5万円ぐらいの値がついています。
売るとなると買い手はいませんが!
★ 薩摩焼きぐい呑み片手ふゆ支度く
友に頂いたぐい飲みが、どこかにあるはず。益子焼。
今は仮の住まい、どこに行ったか見当もつかない・・・・・・・・・・・。
黒薩摩の黒光りする「からから」で、薩摩焼酎を飲めば美味しいでしょうね。なんともいえない黒色とどっしりした重さ、なかなか冷めないのもいいですね。
これで薩摩焼酎のお湯割りときては、寒い冬の夜には最高です。飲みすぎにご注意
陶器は なんか 身近に感じます・・
黒薩摩ですか さびのような物が でてて
いい感じですね ヽ(^o^)丿
鹿児島には何度も遊びに行っていますが、ここには行っていません。
山歩きが目的でしたから、すぐにえびの高原から韓国岳でした。
こんな器で焼酎を飲んだら何杯でも飲めるでしょうね。
本場の「臭い」焼酎を飲みたくなりました。
知人がお土産にからからを買ってきてくれました。
頂いたときはけっこう夫が日本酒を熱燗でのんでいましたが、今は休止状態です。
見かけ以上に沢山はいりますね。
益子も瀬戸・美濃のものも好きです。
使ってやってこそ焼き物ですね。
毎日使っていては体に悪い
黒薩摩は陶器、生活雑器です。でもそのほうが使いやす。