what's?? のなんちゃってアスリート日記

陸上競技と筋トレを中心に、日々の生活について書いています。100mで11秒5が当面の目標です。

新渡戸稲造(2)-太平洋の懸橋

2006-12-09 19:35:43 | 歴史・文学・思想

先日に引き続き、新渡戸稲造先生の話を少し紹介します。
旧五千円札の肖像画や、「武士道」を書いたことで有名ですが、
その経歴はあまり知られていないのではないでしょうか?

新渡戸先生は1862年に盛岡で誕生。
東京外国語学校を経て、出来たばかりの札幌農学校に進学しました。
このとき、同期の内村鑑三らと共にキリスト教の洗礼を受けます。
札幌農学校と言えば「少年よ大志を抱け」のクラーク博士が有名ですが、
博士は帰国した後だったので直接の関わりはなかったようです。
卒業後、東京帝国大学に入学しますが、その面接の際に
「われ太平洋の懸橋たらん」と述べたそうです。
この若さでそんなに大きな志を持っていたんですね。すげぇ。
その後はアメリカやドイツに留学して農学や経済を学び、
各地を転々としながら日本文化の海外への紹介にも尽力されたそうです。
また、東京女子大学の初代学長に就任し、遅れていた女性教育にも積極的に取り組みました。
そして特筆すべきは国際連盟の事務次長として大活躍されたことでしょう。
任期を終えて辞任する際には、「国際連盟の輝く星」と賞賛されたそうです。
しかし時代は帝国主義が進み、平和主義の新渡戸先生の言葉は皆に届かなくなっていきます。
行き過ぎる軍国主義を批判する言葉が新聞に載って以来、
軍部や右翼からは反感を買い、危険な目に遭うこともあったそうです。
その後はアメリカとの戦争を回避すべく奔走するのですが、
米国内でも軍部の手先やスパイ扱いを受け、事実上孤立無援となってしまったそうです。
ひどい話ですよね…
そして日本、さらには世界の行く末を案じながら1933年に他界されました。
その後の悲惨な世界情勢はここで書くまでもありません。

これだけの業績を残した新渡戸先生のことが今まであまり語られてこなかったのが不思議です。
知り合いをつかまえてはよく新渡戸先生について力説してしまうんですが、
その気持ちわかりますよね?
お札からも消えてしまい、ますます世に知られなくなっていくのが心配です。
皆さんもぜひ「武士道」や新渡戸先生の伝記を読んでみてください。
ずいぶんと長く書いてしまいましたが、これにて。


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