吃飯了没有?

元中国深セン駐在員のブログ~中国・中国芸能情報・各方面の旅行日記、日本の街歩き情報を配信します。

金精道路を抜けて・・・

2013-09-20 21:54:11 | 宇都宮の暮らし・自然
先日、とあるネットショップに台湾歌手阿福のCDを2枚とも注文しました。どんなアルバムか早く聞いてみたいです。歌と言えば、NHKテレビで中国語に出演されている北乃きいさんの「師大路夜市」が気になっていたので、CDショップで買ってみました。でもこの歌、期待外れでした。台湾での出会いや別れが描かれているのかと思っていたら、そういったドラマは皆無。台湾の魅力はやっぱり「人」との出会いですからね。

余談が長くなってしまいましたが、今日から暫く先週足を運んだ吹割の滝方面の様子をアップしていきます。


↑日光湯元を抜けて金精道路を抜けると、湯ノ湖と湯元温泉街が見えてきました。


↑更に上に登ったところにヘアピンカーブがあって、そこに展望台的なスペースがありましたので、車を降りてみました。風が心地良かったです。


↑見晴らしが良い場所って気分が良いですよね。頭文字Dの世界を思い出してしまいました。榛名山にもいつか行ってみようと思っていますが・・・。


↑正面に見える山が金精山でしょうか?この下を比較的長い金精トンネルが待ち受けています。


↑綺麗な景色をカメラに収めようとご夫婦も・・・。


↑男体山が雲に隠れていたのが残念でしたが、まあまた秋にでも訪れてみようと思っています。

通洞駅にて

2013-09-19 22:33:45 | 宇都宮の暮らし・自然
毎週木曜日はフォトラバーズ!今日は羽田空港で色々な撮影をしていましたが、お相手の浅見さんも写真がお得意な女優さんで、見ていて楽しかったです。刺激を受けますね。この番組を見るといつも新しい一眼を買いたくなってしまいます。ブログアップだけが目的なので、我慢我慢・・・。

さて、今日も足尾銅山関連の話題ですが、このシリーズは今日で終了です。


↑足尾銅山から戻ってわたらせ渓谷鉄道の線路を発見。車を停めてあちこち散策していると、足尾らしい光景が!


↑この先に足尾銅山が。昔は鉱石なども運んだのでしょうね。


↑すぐ近くに小さな駅も発見。この銅のモニュメントは何を意味しているのでしょう?


↑駅の名は通洞駅。人がいなくて寂しい感じが今の足尾を象徴していました。通洞という名前の由来ですが、鉱山のメインの坑道につけられる名称「通洞坑」からきているそうです。


↑2009年11月2日に、駅本屋及びプラットホームが登録有形文化財に登録されました。こういう素朴な駅の感じは古き良き日本を思い出させてくれます。


↑家路に就こうと車を走らせたところ、道路沿いに看板が・・・。「古河掛水倶楽部」。約110年前に銅山の迎賓館として建設され、銅山の宿泊施設や会合に使用されていたとか。中に入ってみましたが贅沢な造りで、歴史的建造物としてはかなり印象的な建屋でした。ただ、足尾暴動事件や鉱毒事件が起きた後もこのような贅を尽くした建物が残されたのも珍しいかもしれません。

夢の跡地へ・・・

2013-09-18 21:14:41 | 宇都宮の暮らし・自然
今日会社でうれしいことが!10月は下期の始まりの月で、10月前半に大きな会議が2つあって業務報告を行う必要があったのですが、そのうちの1つは報告が免除されました。ただでさえ忙しい時期なのでこの知らせは本当に助かりました。プライベート面でも何かツキがあれば良いですが・・・。

さて、今日も足尾銅山の話題を続けます。


↑昨日最後に紹介した、旧古河鉱業の銅精錬工場ですが、まだ工場の一部が残っているとのことで足を運んでみました。近年、足尾製錬所跡で史跡の解体、撤去が進んだようです。理由は、老朽化が進んで危険な施設は解体せざるを得なかったためだそうです。ただ、銅山の歴史を語る上で不可欠なものは残してあって、鉱石を入れたヤード、転炉、鋳造機、制御計器、硫酸タンク、煙突は解体されていません。


↑この場所には今も銅製錬の過程で出た廃棄物「カラミ」の山が存在し、堆積場周辺の水質調査が365日間、欠かせない作業になっているとか・・・。


↑一帯には計13か所の堆積場が残っていて、東日本大震災ではその一部が崩落して渡良瀬川に流出してしまったようです。渡良瀬川の下流域の住民は今も堆積場の管理に神経をとがらせているとか。


↑近くに足尾銅山社宅の跡地がありました。工場の最盛期昭和31年(1959年)には181世帯819人の人口を数えたそうですが、今はつわものどもの夢の跡になっています。


↑私達がもう1つ忘れてはいけないのは、この場所が鉱毒事件と戦った田中正造さんが命をかけて立ち向かった場所であることです。

田中正造の晩年の日記に残る鮮烈な一節。「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」。私も製造業に携わる一介の人間としてこの言葉の重みを心に留めておきます。

ところで、この問題について調べている中で驚愕の事実を発見しました。足尾銅山の環境破壊の問題が拡大する中、当時の政府は、煙や排水を止めさせて根本解決を図ろうとはせずに、夏になると田んぼを真っ白に覆ったという鉱毒を巨大な溜池(ためいけ)を造ってその底に沈殿させ、封じ込めようと考えたとか!それが谷中湖だったのですね。

足尾銅山観光の坑道へ(5)

2013-09-17 21:14:40 | 宇都宮の暮らし・自然
今、ロンブ-の淳さんの結婚報告の生番組を見ながら書き込んでいますが、お相手のお父様から淳さんへのお嬢様を託すお手紙、亮さんから淳さんへの手紙、泣けました。たまたまチャンネルを回してあれっと思って見てしまいましたが・・・。お相手の方、素敵でしたね。

前置きはこれくらいにしまして足尾銅山の話題に戻ります。


↑坑内にお宮さんが・・・。しっかりお参りした後・・・


↑展示室に移動しました。これは当時本当に使われていたトロッコ駆動車のようです。ちっちゃい椅子が付いていますね。


↑自然銅のサンプルも置かれていましたが・・・


↑製錬した銅塊も展示されていて、銅の重さをしっかりと感じてきました。


↑展示室には当時最先端の精銅工場の模型も・・・。そう、古河鉱業(現・古河機械金属)の工場の模型です。実はここは足尾鉱毒事件の原因となった工場なのです。産業の近代化・開発を追ったばかりに負の遺産も作り上げてしまいました。今の中国も似たようなところがありますね。決して他人事と考えてはいけないと改めて思い直しました。

足尾銅山観光の坑道へ(4)

2013-09-16 21:59:30 | 宇都宮の暮らし・自然
京都周辺はものすごい豪雨に見舞われたようですね。嵐山や鴨川があのような状態になってしまうとは。。。被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。ここ宇都宮もかなり雨は降りましたが、何とか台風は過ぎ去ってくれました。でも会社の建屋はあちこち雨漏りしてしまいましたが・・・。ここ最近の気象は本当におかしいですね。東京オリンピック、地震とか自然災害とか大丈夫でしょうか??

今日も足尾銅山観光の坑道内の様子をアップします。


↑奥に入っていくと様子がどんどん近代化してきて、色々な場面が展示されていました。この坑夫は何をしているかと言いますと・・・


↑発破をかけていました。展示も発破音だけでなく、爆破した後に坑道内部から流れてくる爆風まで再現していました。


↑坑道は150mほど続いていたでしょうか・・・


↑日本の繁栄はこういった鉱工業という基盤の上に成り立ってきたものであることを改めて実感しました。今またレアアースが注目されていますが・・・。


↑こちらの展示では、第二次産業の第一線(現場)で働く工夫の苦労も偲ばれます。大変だったでしょうね。

足尾銅山観光の坑道へ(3)

2013-09-15 16:45:18 | 宇都宮の暮らし・自然
今日は朝方大雨が降りましたが、その後は嵐の前の静けさで良い天気となりました。明日は私の会社は仕事日。台風は正午から15時あたりに栃木を直撃しそうです。大ごとにならなければ良いですが・・・。

ところで昨日お話した250kmものミニ旅行先ですが、群馬の吹割の滝でした。往きは金精道路を抜けて、帰りは沼田から関越経由で戻ってきたのですが、やっぱり遠い場所でした。でもその遠さを帳消しにしてくれるくらい不思議な滝で行って良かったです。後日アップします。

今日も足尾銅山観光の坑道の写真です。


↑この観光坑道、先に進んで行くほど人形が近代化していきます。この坑夫は手掘りの坑夫です。


↑このあたりは電動切削機を持った坑夫たち。


↑裸電球と濡れた坑道。当時の面影を残しています。


↑車夫と呼ばれる掘削した鉱石をトロッコで運ぶ坑夫の姿が・・・。


↑これくらい坑道が広ければ恐怖感は生まれませんが、坑夫たちが実際に掘削を進めていた坑道は、1つ前の写真のような狭さだったのでしょう。

足尾銅山観光の坑道へ(2)

2013-09-14 19:50:53 | 宇都宮の暮らし・自然
今日は昼から250kmほど車を乗り回しました。どこへ行ったかは後日お話しますが、明日あたりから台風の影響があるにもかかわらず、観光地はそれなりに人で混んでいました。

ところで、遠出する前にTSUTAYAへ行ったら金城武さんが出ている「天使の涙」という見慣れない映画を貸し出していましたので、このあと寝ながら鑑賞してみます。

ということで、今日は足尾銅山観光の坑道の写真アップは軽めに済ませます。


↑トロッコは坑道の中の停留場に停車。観光客は中に歩いていきます。この日はどこかの小学生の団体が訪れていました。


↑この先1200kmも坑道が続いているとか!驚愕!!残念ながらこの坑道の中には入れないようです。


↑観光客向けには別の坑道が用意されていました。中には蝋人形の職人たちが!


↑昨日も書きましたが、当時は中は真っ暗で大変だったでしょうね。


↑空気はどうやって送り込んでいたのでしょう?


↑閉暗所恐怖症の方は数分でも我慢できない場所だったでしょう。明日もこの続きを!

足尾銅山観光の坑道へ(1)

2013-09-13 23:04:27 | 宇都宮の暮らし・自然
一昨日今日と、怒涛の忙しさでした。この忙しさは10月2週目まで続きそうです。この時期は本当に色々な行事が重なり過ぎです・・・。話変わって明後日から台風が接近しそうですので、明日は気晴らしにどこかへ行って来ようと思っています。

さて、昨日最後に出流の石灰鉱山の写真をアップしましたので、その流れで足尾銅山跡地の様子をアップしていきます。


↑宇都宮から高速を利用して1時間半で足尾町に到着しました。前からこの場所に足を運んでみたいと思っていました。その理由は、この場所が明治期、国策で東アジア一の産出量を誇っていた場所であったことと、その後の足尾鉱毒事件で騒がれた場所だったからです。私は製造業のエンジニアとして、鉱工業の栄華と負の面を改めて目に焼き付けておきたいと思っていました。今年は田中正造の没後百年の記念すべき年でもあり。

足尾銅山観光の坑道へはここから入るようです。


↑坑道へはトロッコが導いてくれます。


↑トロッコに乗ったのはいつぶりでしょうか?もしかして、かなり前に台湾烏来の民族村に行ったとき以来かも!


↑途中、坂道専用の駆動車が切り離され、スピードの出る駆動車がトロッコを引っ張っていきました。


↑いよいよ坑道の中へ!今でこそ観光のために明かりがたくさん付いていますが、昔は薄暗かったのでしょうね。

出流からの帰り道にて

2013-09-12 22:49:09 | 宇都宮の暮らし・自然
今日は突発の仕事に追われ、帰宅は21時半。かなり疲れましたのでアップのコメントは簡単に済ませます。

満願寺を出た後、有名な蕎麦を食べにいづるや屋へ寄ったのですが駐車場の空きがなく、満願寺すぐ近くの福寿屋でざるそばを食べました。お昼を大分過ぎていたこともあり、お店の方が既に座敷の奥で昼食を食べていましたのが、私一人なら大丈夫とのことで食事を取ることに。蕎麦はコシがあって本当に美味しかったです。写真を撮りたかったのですが、すぐ近くで5~6人の従業員の皆様が食事をしていましたので・・・。残念。


↑出流からの帰り道、周囲の環境が一変。不思議な空間が広がっていました。


↑この周辺、石灰工場が乱立しているんですね。全く知りませんでした。


↑言葉で表現しにくい異様な光景が広がっていました。アメリカ映画などで目にする近未来の退廃した街並みといった感じです。


↑お陰で道路は真っ白。トラックなども少なからず走っていて真っ白な粉を巻き上げていました。


↑車を大事にされている方はなるべく避けた方が良いです。私は帰宅後すぐ洗車しました。


↑栃木って、足尾銅山をはじめこの手の鉱山が多いんですね。あまり世に知られていないように感じます。

出流シリーズはこれにて終了です。明日からは、鉱山繋がりで先週足を運んだ足尾銅山の様子をアップしていきます。

出流山満願寺へ(5)

2013-09-11 21:31:40 | 宇都宮の暮らし・自然
昨日ここ満願寺がガリレオのロケ地になったことをお伝えしましたが、ガリレオの映画版「真夏の方程式」のプロモーションで、福山さんが台湾を訪問されたときの映像をYoutubeで見ることが出来ます。

流行音楽金曲奨のプレゼンターとして出演され「台湾の人たちの優しさ、温かさを感じています。その温かさが東日本大震災の多大なる支援を下さったのだと改めて感じました。日本人はそのことを決して忘れません。」という挨拶をされていますね!本当に素晴らしい挨拶だなあと思いました。震災から2年半、私たちは色々な支援に助けられたことを決して忘れません。。。

Youtubeの映像はこちらに貼っておきます。是非ご覧ください!

さて、今日も出流山満願寺の続きです。


↑鍾乳洞の中に入って行くと・・・


↑鍾乳石で自然に出来た十一面観世音菩薩の後ろ姿のご尊像が拝されていました。この鍾乳石のどこが十一面観世音菩薩のどこに相当するのか解釈するのが少々難しかったです。


↑鍾乳洞への出入口はこうして見ると結構狭いんですね。


↑拝殿に戻ってみると、断崖の上にあるだけあっていつもと異なる景色が広がっています。


↑下界に戻ろうと階段を降り始めたところで観光客の姿が・・・。日本でしたので怖さは感じませんでしたが、ここが中国であったなら人のいない場所で鉢合わせになると何が起きるかわからないので注意が必要です。中国の山で追いはぎに遭ったという話はよく聞きますから。