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あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである

あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである
(ルカによる福音書6章38節)

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3つのホウレンソウ

先日、ある先生と話していて、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)には3種類あることに気づいた。

第1のタイプは、受動型のホウレンソウ。
「ここまで出来ましたが、これからどうしたらいいでしょうか?

第2のタイプは、提案型のホウレンソウ。
「ここまで出来ました。これからこうしようと思うのですが、いかがでしょうか?」

第3のタイプは、指示型ホウレンソウ。
「ここまで出来ました。これからこうしようと思うのですが、~していただけないでしょうか?

指示型ホウレンソウは、上司を動かすマネジメントでもある。某有名メーカーのカリスマ社長を支える参謀的な副社長は、このタイプのホウレンソウをしながら社長を動かしていたようだ。

まずは受動型を卒業して、提案型に移行し、さらに指示型ホウレンソウができるようになれば、レベルの高いマネジャーになれるだろう。
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『ワーニャ伯父さん』(読書メモ)

アントン・チェーホフ(小田島雄志訳)『ワーニャ伯父さん』白水ブックス

ロシアの文豪チェーホフによる四大戯曲の一つ

タイトルからしてのどかな物語かと思ったがちょっと違った。

都会で研究していた学者セブリャコーフのために、娘ソーニャ先妻の兄ワーニャは、彼の才能を信じ、田舎屋敷でいっしょうけんめい働いていた。しかし、引退して名誉教授となったセブリャコーフは感謝するどころか我が物顔でふるまう。さらに、彼の才能がたいしたことがないとわかったソーニャとワーニャは「自分たちは、何のために働いてきたのか?」と疑問を持つようになり、いろいろな事件が起こる、という物語である。

この戯曲で響いたのは、田舎屋敷で働く老女マリーナの言葉。

どうせあたしたちはみんな神さまの居候じゃないか。あんたも、ソーニャも、ワーニャも。みんなおんなじさ。のうのうと暮らしてるものなんて一人もいやしない、みんなせっせと働いてるんだ!」(p.122-123)

神さまの居候、と考えるとかなり気が楽になることに気づいた。








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スペインと禅

今日、スペインに短期留学していた先生と食事をしたのだが、滞在中にむこうの先生から次のようなことを言われたらしい。

「なにをあくせくしている。人生は短いんだぞ。幕が開いている時間は限られているんだから、自分らしく演じろよ

この言葉は「今このときを大事にする」禅的生活に通じる(勝手な解釈)。

日本とスペインは正反対の文化を持っているようでいて、実は本当は近いのかもしれない、と思った。





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どうかあなたに主の祝福があるように

どうかあなたに主の祝福があるように
(ルツ記3章10節)

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『トニオ・グレエゲル』(読書メモ)

トオマス・マン(実吉捷郎訳)『トニオ・グレエゲル』岩波文庫

本書は「トーマス・マンの若き日の自画像」を記した小説らしい。

詩を愛するトニオ・グレエゲルは、少年時代、クラスの人気者男子ハンスと、普通に魅力的な女子インゲボルグにあこがれていた。

その後、芸術家(詩人)して一目置かれる存在になったトニオは、芸術家ぶって一般大衆をバカにするような発言をするようになる。しかし、旅先で偶然、ハンスとインゲボルグに出会った際、自分の中に、芸術家的な要素と、俗人的な要素が混在していることに気づく。

なぜトニオには二つの世界があるのか?

それは、父母の影響である。

「僕の父は、御承知でしょうが、北方的な気質の人でした。観照的で徹底的で、清教主義から几帳面で、憂鬱に傾いていたのです。母は漠然と外国的な血があって、美しく官能的で無邪気で、投げやりであると同時に情熱的で、また衝動的なだらしなさを持っていました。これはまったく疑いもなく異常な可能性と、そして異常な危険とを宿した一つの混合だったのです」(p.123)

この箇所を読み、人格は「血の影響」を強く受けて決まることを改めて感じた。
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倚りかかること

茨木のり子さんの『倚りかからず』(ちくま文庫)の中に、表題と同じ次の詩がある。

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できないの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの日本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

この詩を読み、感銘を受けると同時に、倚りかかっていないと感じるのは少し不遜ではないか、という気もした。

いろいろなものに倚りかかりながらも、自分で考え、自分の足で歩むことが大事なのではないか、と思った。


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『ホーキング』(映画メモ)

『ホーキング』(2004年、フィリップ・マーティン監督)

主演のベネディクト・カンバーバッチが上手かった。

ケンブリッジ大学で理論物理学を専攻するスティーブン・ホーキングは、才能はあるものの、なかなかテーマが見つからない。あるとき、その優秀な頭脳を使って、有名教授の研究の間違いを指摘したところ、指導教員からたしなめられる。

他人の批判に才能を使うな。自分の研究をしなさい。創造的な研究を

その後、彼を支えるジェーンと結婚し、優れた学者ロジャー・ペンローズと協働し、大発見をすることになるホーキング。

よく考えると、「諭す人、支える人、刺激する人」がいたからこそ、ホーキングの才能が開花したといえる。人との出会いが人を伸ばすことを改めて感じた。







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しかし、わたしたちの本国は天にあります

しかし、わたしたちの本国は天にあります
(フィリピの信徒への手紙3章20節)

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『倚りかからず』(読書メモ)

茨木のり子『倚りかからず』ちくま文庫

茨木のり子さんの詩は肩ひじ張っておらず自然である。こころのなかにスッと入ってくる。良かったのは次の詩。

40年前の ある晩秋
夜行で発って朝まだき
奈良駅についた
法隆寺へ行きたいのだが
まだバスも出ない
しかたなく
昨夜買った弁当をもそもそ食べていると
その待合室に 駅長さんが近づいてきて
二、三の客にお茶をふるまってくれた
ゆるやかに流れていた時間


茨木さんが大事にしている心象なのだろう。
こうした思い出を保存するためにも詩があるのかな、と思った。




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