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平和な人には未来がある

平和な人には未来がある
(詩編37章37節)


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「まじめさ」と「勤勉さ」

カナダ生まれのグリズデイル・バリージョシュアさんはウェブ・デザイナー。脳性麻痺のために電動車椅子を使用しながら日本で生活している。

グリズデイルさんは19歳のときに、初めて日本を訪れたのだが、その当時はエレベーターが設置されていない駅が多かった。

しかし、このときは、駅員6人がかりでグリズデイルさんを車椅子ごとホームまで運んでくれたらしい。この体験がグリズデイルの心に響いた。

「日本人は、職務に対して真面目で、責任感が強いと思います。また、おもてなしの心や誰もが親切な点も素晴らしい。私は日本に恋をしました」(p.34)

この記事を読み、「まじめさ」や「勤勉さ」を失わないように、日本企業の働き方を進化させる必要がある、と思った。

出所;グローバルエッジ No.53, p.34

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『ハンナ・アーレント』(映画)

『ハンナ・アーレント』(2012年、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)

哲学者ハンナ・アーレントの本は、これまで何度か読もうと思ったが、難しそうなので買っていない。その代わり、映画を観てみた。

ドイツ生まれのユダヤ人ハンナは、戦時下、フランスに亡命している時に、親ナチ政府に拘留された経験の持ち主。その後、アメリカに亡命し、大学教授となる。

1961年、大量殺人に加担したナチ高官のアイヒマンがつかまりイスラエルで裁判を受けることになるのだが、ハンナはニューヨーカーの特派員として裁判を傍聴し、記事を書くことに。

実際のアイヒマンは普通の男であり、「私は上の命令に従っただけ」と罪の意識もない。さらに、当時のユダヤ人指導者たちも、ナチに協力していたという事実も明らかになる。

「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である(悪の凡庸さ)」「ユダヤ人指導者の協力で死者が増えた」という記事を書いたハンナは、「裏切者!」とユダヤ人社会から大バッシングを受けることに。

哲学者であり研究者であるハンナは「論理と感情」を切り分けて、事実を書いているだけなのだが、「論理的には正しくても、感情がそれを許さない」のが世間というもの。

この映画を観て、ハンナの著作を読みたくなった。






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いつも感謝していなさい

いつも感謝していなさい
(コロサイの信徒への手紙3章15節)
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『漂泊の魂:クヌルプ』(読書メモ)

ヘルマン・ヘッセ(相良守峯訳)『漂泊の魂:クヌルプ』(岩波文庫)

頭が良く、容姿も優れ、身だしなみも洗練されているクヌルプ。にもかかわらず、定職にもつかず、ぶらぶらと知り合いの家を渡り歩く生活を続ける彼に、友人は言う。

「そうだ、クヌルプという男はあれでいいんだ。彼は自分の性質どおりに振る舞い、だれもかれのまねをすることはできないのだ。すべての人に子供のように話しかけては気に入られ、娘や人妻たちに美しい物語をして聞かせ、毎日をまるで日曜日のように思って暮らしている。それでいんだ」(p.29)

しかし、若いうちはそれでも良かったが、40歳を超えたころには浮浪者のようになり、肺病に侵され、死を待つ身になってしまう。

「なあ、君、君は今みたいな惨めな無宿者にならずとも、もっとちゃんとした人間になれたんだろうになあ」(p.116)

さすがのクヌルプも「自分の一生は意味がなかったのではないか」と後悔しだす。

本書のラストは、そんな彼が神と対話するのだが、なんと神様は「それがお前の生き方だ」とクヌルプを励ますのだ。

心理学者のエリクソンによれば、人生の最終段階における課題は「自我の統合(自分の人生を肯定的に受け入れること)」であるが、まさにクヌルプは、自我を統合できたことになる。

この本を通して「自分らしく生きる」ことについて考えさせられた。




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『オーケストラ・リハーサル』(映画メモ)

『オーケストラ・リハーサル』(1979年、フェデリコ・フェリーニ監督)

あるオーケストラがリハーサルをする模様をテレビ局が取材する、という設定の映画。

(たぶん)巨匠の指揮者は、容赦なくダメ出しするタイプで、演奏者を罵倒しまくりながらリハーサルを進める。それに対し、楽団員は文句たらたらで「民主的に進めろ」「労働者の権利を守れ」と真っ向から対立。

両者の関係が崩壊寸前のところで和解したかと思いきや…。ラストはなかなか良かった

この映画を観て思い出したのが、白洲正子さんの能の師匠である梅若実氏の教え方。教え方の下手な実氏と、教え方の上手い息子の六郎氏を比べて、白洲正子さんは次のように述べている。

「実さんは人に教えるにしても決して巧くない、筋道だった理論というものもない、ありったけの自分の持物を、そのまま未熟なものに性急に与えようとするところから、こちらは(それだけの力がないので)めちゃくちゃになり、先生の方は癇癪をおこしてしまう。そんな時六郎さんに解決を求めると、見事に割り切って説明して下さったものです。まことに重宝で完璧な先生であることは、新しいお弟子さん達がすぐ巧くなるのでも証明されますが、いまから考えてみると、そこから貰ったものは「技術」にすぎず、お能の美しさを私に教えたのは、やはり実さんの教え方のまずさであった」(『心に残る人々』講談社文芸文庫p.78)

この映画に出てくる指揮者も、梅若実氏のように、癇癪をおこしながらも「音楽の美しさ」を楽団員に伝えているのだ。

芸術の神髄を伝える際に大切なのは、「言葉」よりも「生の感情」なのではないか、と感じた。

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主を求めよ、そして生きよ

主を求めよ、そして生きよ
(アモス書5章6節)


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『るきさん』(読書メモ)

高野文子『るきさん』(ちくま文庫)

バブルの時期に雑誌に連載されていた漫画を一冊にまとめたもの。

(たぶん)30代前後のるきさんは独身。近くの医院からレセプト(医療保険の請求書処理)の仕事を自宅で請け負っているのだが、1か月分の仕事を一週間でかたずけてしまうため、3週間は自分の好きなことをしている

本を読んだり、図書館に行ったり、ショッピングしたり。とにかく自由なのだ。

るきさんの性格は、おおらかで、素直で子供のよう。

OLをしているえつこさん(独身)とは大の仲良しで、助け合って生きている感じ。

競争、競争のせわしない現代にいる私たちにとっては、夢のような生活である。

しかし、よく考えたら、こんな生活を「やってやれないことはない」のではないかとも思う。

たぶん、怖くてできないだけなのだろう。

るきさんのように、世の中から解放されて「自分(のスタイル)」を大事にして生きたい、と感じた。



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『書を捨てよ町へ出よう』(映画メモ)

『書を捨てよ町へ出よう』(1971年、寺山修司監督)

観た直後は、前衛的過ぎてよくわからなかったが、とにかく強烈な印象が残る映画。しばらくたってから、じわじわと伝わってくるものがあった。

東北出身の主人公の北村英明(佐々木英明)は、安アパートに、万引き常習犯の祖母、働かない父、引きこもりの妹と暮らしている。

大学にも入れず、ぶらぶらしている英明は、家族のしがらみや時代の窮屈さの中で息苦しい毎日を送っているのだが、ある日、それが爆発するという物語。

主人公英明の東北弁が耳から離れない。

自分を取り巻く殻には気づかないものだが、この映画を観て、やはり殻が存在していることがわかった。




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神の恵みによって、私は今の私になりました

神の恵みによって、私は今の私になりました
(第1コリント人への手紙15章10節)
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