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年に二度ほど

今夜もひとり居酒屋』から。

池波正太郎さんのエピソードが印象に残った。

「京都だったそうだが、冬の日の昼下がりに、鮨屋で酒を飲んでいたところ、つつましやかな老女がひとり入ってきて、マグロ二つと玉子を二つ注文した。あるじはていねいに鮨をにぎり、さもおいしそうに食べる老女を、目を細めて見守っていた。そして勘定を払った老女が、ここは値がはるがおいしいといって帰っていくのを見送っている。「いつも来る客?」とたずねたところ、あるじはうれしそうに「年に二度ほど」とこたえた」(p.164)

儲けに関係なく、自分の仕事をわかってくれてくれるお客さんを大切にする姿勢に、プロフェッショナリズムを感じた。

出所:池内紀『今夜もひとり居酒屋』中公新書

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『今夜もひとり居酒屋』(読書メモ)

池内紀『今夜もひとり居酒屋』中公新書

こんなテーマでも本になるのか、と思って買ってみた。

著者は、ドイツ文学者でエッセイストの池内さん。ひとりで居酒屋で飲むこと自体、そもそも性に合わないのだが、読んでみると、居酒屋論は人間論に通ずるものがある、と感じた。

一番印象に残ったのは「後悔する店」。

「べつに居酒屋にかぎらないが、入ったとたんに後悔する店がある」(p.29)

池内さんによれば、そうした店は3パターンある。

A もともと居酒屋に合わない人がやっている
B そこそこに繁盛する条件をもちながら閑古鳥が鳴いている
C 評判になってしかるべき店なのに客が敬遠する


Aは説明するまでもないが、興味深いのはBパターン。

「駅に近く、立地条件も悪くない。主人の人柄、店づくり、食べ物・飲み物の揃え方、料理の技術、とりたてて欠点はない。ちゃんと平均点はとっている。にもかかわらず客の入りがめだって悪い。そのぶん騒ぎ立てる客もない、静かに飲みたい人に打ってつけと思うのだが、まさにその人が一度はともかく二の足を踏む。居酒屋のカテゴリーにとどまらず、人間学全体に及ぶような気がする。すべてが平均点というのは、無難な人生を送る前提かもしれないが、無難以上にそれは退屈な人生を送る条件ではあるまいか」(p.33)

平均点型よりも、バランスは悪くともどこかに飛び抜けている人の方が魅力があるのと同じなのか。

ちなみに、不思議なのはCパターン。

「C型は人間学では興味深いタイプだが、居酒屋で向かい会うとき、もっとも厄介なケースである。しかるべきところでみっちり修業ずみであ、酒・サカナに一家言あり、もとより腕がいい。(中略)ところがどうしてか、一人また一人と客の姿が消えていく。(中略)主人のせいではなく、ロケーションが悪いのだ」(p.34-35)

能力はあっても舞台を間違うと、空回りしてしまう例であろう。

自分に合った舞台を選び、自分の強みを伸ばすとき、人間としても成長することができるのかもしれない。



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わたしの愛にとどまりなさい

わたしの愛にとどまりなさい(ヨハネによる福音書15章9節)

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スランプ対処法

『60歳で小説家になる。』から。

森村さんいわく「小説家には必ずスランプはつきものである」「ある意味では、表現に携わる者の宿命といってもいい」。

では、森村さんはどのようにスランプに対処しているのか?

「小説家の素質がある人間は、スランプごときには負けない。スランプに陥ったとき、私の場合はチェンジ・オブ・エアーをしないデスクに齧り付くのである。映画でも観ようか、あるいは旅に出て温泉にでも浸かってこようかと考えると、デスクに戻れなくなってしまう。(中略)友人の小説家の話では、気分転換で少し合間をおくとまた閃きがあるらしいが、私には向いていない。スランプは誰でも陥るのであるから、あまり恐れず、女性の生理のように、「ああ、また毎月のお客様」と思えばよい」(p.159-160)

乗るときと乗らないときの違いはあるものの、自分はあまりスランプになったことはない。ただ、乗らないときも仕事をしつづけると乗ってくるので、基本的に森村さんのアプローチは自分にも合っている、と感じた。

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『60歳で小説家になる。』(読書メモ)

森村誠一『60歳で小説家になる。』幻冬舎新書

『人間の証明』で有名な小説家、森村誠一さんは「定年したら小説家になりなさい」とすすめる。

森村さんは、ホテルマンから小説家になった人であるが、その節目の話が面白かった。

「ホテルニューオータニへ転社後、裏で文筆業に精を出していることが上司の耳にはいったのであろう。「森村君、主流に立ちたかったら、サイドビジネスはやるな」と忠告された。このひと言が決定打となった。心の中のわだかまりに強い衝撃を受けた。上司は、ホテルマンとして会社の主流に立ちたかったら文筆業をやめなさい、とアドバイスするつもりで言ったのであろうが、私には主流とサイドビジネスの対象が正反対に受け取れたのである。つまり、文芸の世界で主流に立ちたかったらホテルマンをやめろと聞こえたのである」(p.35-36)

すでに文筆業の収入がホテルマンの収入を上回っていた森村さんであるが、将来が保証されていない小説家の道は怖い。そんな不安を吹き飛ばしてくれたのが上司の言葉だった。引き留めるはずのアドバイスが、逆に背中を押してくれたという点が面白い。

もう一つ、小説家として大事なことは「未来を信じる」ということらしい。

「私は「青春」という言葉が好きである。青春とは未知数が多いということである。その未知数は過去にはなく、未来にのみ存在する。未来というものは一歩先でもわからない。それなりに歳をとっていても、未知数が無限にあるという意味では、青春時代と変わらない。未知数のある方位性が限定を受けるだけである。未来を見ている限り、今の時点の自分がいちばん若いのである。過去を振り返れば、そのときの自分がいちばん年老いている」(p.51)

80歳を過ぎている森村さんだが、かなり未来志向である。

50歳を越えて「先が見えてきた」と感じている自分が少し恥ずかしくなった。



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疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています

疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています
(ヤコブの手紙1章6節)

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考えてから走ること

エドガー・アラン・ポーは、小説を書く際に「型」を持っていたらしい。

訳者の小川高義さんいわく

「一口に言えば、理詰めの芸術派なのだ。目標ははっきりしている。ある効果に的を絞って、読者の心を強烈に打つ。そうであれば作品として出来がよい。その効果が高いのは「恐怖」である。(中略)あらかじめ計算したとおりに読まれたがっている。そんなタイプであるならば、推理小説の元祖と目されるようになったのも肯けることだろう」(p.196-197)

小説家には、はじめから筋を考えて書く人と、書きながら筋を考える人がいるらしい。

これは小説以外でも言えることである。

ちなみに自分は、走りながら考えるタイプであるが、50歳を超えてからは、考えてから走ることの大切さを痛感している。

出所:ポー(小川高義訳)『黒猫/モルグ街の殺人』光文社




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『黒猫/モルグ街の殺人』(読書メモ)

エドガー・アラン・ポー(小川高義訳)『黒猫/モルグ街の殺人』光文社

『モルグ街の殺人』は、あのシャーロック・ホームズが(作中で)対抗意識を持っていたという、探偵デュパンが主人公の作品である。

ストーリー自体は不自然であったが、デュパンのセリフが印象に残った。

「真実とは井戸の底にあると限ったものではない。いや、むしろ大事なことについて言えば、真実は浅いところにあると思う。どうしても深い谷間を探したくなるのだが、じつは山のてっぺんで見つかったりするのだよ。(中略)むやみに深く突き詰めると、考えることがあやふやになる」(p.164)

たしかに、深く考えようとすると迷路にはまり、結果的に真実が見えなくなってしまうことがある。

考える際に「どこに着目するか」がポイントになる、ということだこうか。

表面や浅いところを見る姿勢も忘れてはいけない、と思った。



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わたしはお前を正しく懲らしめる

わたしはお前を正しく懲らしめる
(エレミヤ書46章28節)

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ブレーキの踏み方を学ぶ

スピード、スピード」と、ますます速さが求められる現在。

松浦弥太郎さんは、次のように語る。

「暮らしや仕事でのトラブルのほとんどは、スピードを出しすぎた結果として起こります。それなのに「速いが一番」など、決めつけるのはこわいことです」「だから、いつでもブレーキをかけて止まることができる、「自分のペース」を守りたい」「人から聞いた話ですが、トップクラスのF1ドライバーは、アクセルではなくブレーキの踏み方がうまいそうです」(p.159-160)

たしかに、アクセルを踏むことよりも、ブレーキを踏むことのほうが難しい。

「働くこと、頑張ること」が尊重される日本では、「休む」ことに抵抗を覚える人も多いだろう。

銀行強盗で服役したこともあるフランスの哲学者スティグレールも次のように指摘する。

「自分の限界を知って、上手に転ぶことを学ばなくてはなりません。もう一度立ち上がって、今度は違うアプローチでやってみるためにね」

ブレーキの踏み方を学ぶことの大切さに気づいた。

出所:松浦弥太郎『あたらしいあたりまえ。』PHP文庫。ベルナール・スティグレール(メランベルジェ眞紀訳)『向上心について:人間の大きくなりたいという欲望』新評論。


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