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透き通っているアジア人

先週紹介した本の中で、ミヒャエル・エンデは、東洋人と西洋人の違いについて次のように述べている。

「日本で道を歩いているとする、すると、ヨーロッパ人のほうが、自分の身体のなかに強固に座っていることが、目に見える気がします。それにひきかえ、アジア人は自分の身体のなかに、それほどしっかり座っていない。(アジア人においては)すべてはもっと通過性がある。もっと、さらに、そう、柔らかいというより、もっと透き通っているのです。いつも透き通っているのです。日本人の身体も透き通っています。ヨーロッパ人のように強固ではありません。アメリカ人の場合は言うまでもない。」(p205)

そう言われれば、そうかもしれない。「透き通っている」という不思議な表現が妙に合っている。対談者の田村さんは次のように解説する。

「人間という存在が、ただ物質的なものであれば、重さや硬さや強さなどが大切でしょうが、とくに東洋では、人間の(物理的な)存在の根本には、たとえば「気」で言い表されるような、精神的なものが秘められていると考えるから、身体そのものの理解がまったくちがうと思うんです。」(p207)

たしかに、町を歩く西洋の人々を見ると堂々としている。それに対し、日本人はどこか頼りない感じがする。今までは、体格や自信の違いなのかなと思っていたが、エンデさんの説明を聞くと、「人間としての存在観」の違いであることがわかった。

「個」を強く意識する西洋人にくらべ、東洋の人々は、集団の中に埋め込まれた自分、空気を意識する自分、はかない自分を意識しているような気がする。

精神性や雰囲気を重視するわれわれの特性を意識することは、アジア人ならではの仕事をする上でも大切だと思った。

出所:ミヒャエル・エンデ(田村都志夫[聞き手・翻訳])『ものがたりの余白』岩波書店

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もし主を求めるなら

もし主を求めるなら、主はあなたに御自分を現わしてくださる。
(歴代誌・上、28章9節)

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『ものがたりの余白』(読書メモ)

ミヒャエル・エンデ(田村都志夫[聞き手・編訳])『ものがたりの余白:エンデが最後に話したこと』岩波書店

「はてしない物語」「モモ」「ジムボタンの冒険」で知られるミヒャエル・エンデが、死の直前に、自身の生い立ちや作品、人生観について語ったものである。

本書で最も印象的だったのは、彼の物語の書き方。

「ですから、わたしは、たとえばトーマス・マンのようには仕事ができない。トーマス・マンは彼の小説のプランを前もってきっちりと立てておくのです。ページさえも。ときには、どこにはじめてどの人物が登場するかまで。トーマス・マンは設計図をすっかり仕上げてから、毎日、ひたすら階を重ねて造り上げていく。わたしにはできない。やれと言われても、まったくできないことです。」(p.22)

では、エンデはどうやって書くのか?

「わたしはよく言うのですが、わたしが書く行為は冒険のようなものだって。その冒険がわたしをどこへ連れてゆき、終わりがどうなるのか、わたし自身さえ知らない冒険です。だから、どの本を書いた後もわたし自身がちがう人間になりました。わたしの人生は実際、わたしが書いた本を節として区切ることができる。本を執筆することがわたしを変えるからです。」(p.24)

この個所を読んで、生き方、仕事の仕方にも、トーマス・マンのような「計画型」と、エンデのような「冒険型」があるように思った。どちらが良い悪いというよりもスタイルの違いである。

エンデが「本を執筆することが私を変える」と言っているように、わたしたちもプライベートや仕事上の出来事を通じて自分が変化しているのを感じることがある。その変化を楽しむことができる人こそ、人生の達人といえるのかもしれない。
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気配りのリーダーシップ

32年ぶりに世界選手権でメダルを獲得したバレーボール全日本女子チームの眞鍋監督は、女子チームと男子チームでは指導の仕方を変えなければならない、と説く。

女子チームを指導するときのポイントは「気配り、目配り」。

「誕生日には『おめでとう』と声をかけ、誰かが髪を切れば『切ったね』と言う。そんな小さな会話の積み重ねが、選手との関係づくりにつながります」と眞鍋監督。

ただし、下手をすると「監督はあの子がお気に入り」といったねたみが広がるので、配分を考えて配慮しなければならないらしい。そのためにも、練習のパフォーマンスをデータとして分析し、私情が入らないように客観的に評価する。

女子と男子では指導方法が異なることは、全日本女子の前監督である柳本氏も指摘していた。

興味深かったのは次の一言。

「状況に臨機応変に対応しようとする男子選手に比べ、女子選手は整理できたことを徹底してやる傾向が強い。意識が統一できるので、結束力がチーム力となります。」

指導が異なるということは、学びのスタイルも異なるのだろう。女性の場合、個よりも集団の力が学びを促進するのかもしれない。

出所:日経産業新聞2011年1月7日
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生きるにしても、死ぬにしても

生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ローマ人への手紙14章8節)
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『シュンペーター』(読書メモ)

根井雅弘『シュンペーター』講談社学術文庫

本書は、「創造的破壊」「イノベーション」といった概念で有名な経済学者シュンペーターの生涯について書かれたもの。彼は、経済が発展するダイナミックな側面を説明した人として知られている。

オーストリアに生まれ、若い時からその才能を認められていたシュンペーターだが、最新の数学を駆使して、偉大な経済学理論家として認められたいという野望を抱きながらも、その夢は破れる。なぜなら、彼はそこまで数学的な才能を持っていなかったからである。

シュンペーターを有名にしたのは、彼が渾身を込めて書いた書物ではなく、一般向けの「読み物的な本」であった。天才といわれた彼でも、自分の強みをわかっていなかった、といえる。

本書を読んで印象深かったのは、シュンペーターの自己管理力である。彼は、毎日の知的成果を格付けしていたらしい。たとえば、十分満足できた日は「1」、まったく進歩のない日は「0」で、その間は「1/2」「5/6」といった具合に、日々の充実度を数字で表していた。そして、得意とは言えない数学も地道に勉強していたようだ。

一般の人はシュンペーターを天才と呼ぶが、著者も指摘しているように、彼は「努力型の天才」だった。

コツコツと努力している人は、自分の思いとは別のところで、本人も知らずに、大きな仕事をしているのかもしれない。
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スケールの大きな冒険

先週紹介した『アフリカにょろり旅』の主人公は、東大・海洋研究所の若手研究者である青山さんと渡邊さん。新種のウナギを探し求める彼らの旅は過酷だ。

彼らの冒険物語も面白いのだが、なぜかインパクトがあるのは、ときどき登場する塚本教授である。

青山さんたちが、アフリカの旅から帰って七年後のこと。ウナギの産卵場調査で一定の成果をあげた青山さんは、塚本教授に次のように訴える。

「これで終わったということにして、後は、目立たないように面白いことをシミシミとやりましょうよ」

はっきりいって、もう疲れたのであろう。これに対し、教授は次のように答えた。

「・・・・でもね、青ちゃん。誰がなんと言おうと、いつの時代にも、どんな世界にも、やっぱり冒険は必要だよ。それもわくわくするようなスケールの大きな冒険が必要だと思うよ。」(p.320)

僕らも仕事をしていて、「もういいだろう。このへんにしとくか。」と思うことがある。つまり、冒険列車から降りてしまうか、それとも乗り続けるかという選択だ。プロフェッショナルの条件は、「わくわく感」を持ち続けられるかどうかだ、と思った。
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あなたは万物に命をお与えになる方

あなたは万物に命をお与えになる方。
(ネヘミヤ記9章6節)
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『アフリカにょろり旅』(読書メモ)

青山潤『アフリカにょろり旅』講談社文庫

にょろり旅」というタイトルにつられて買ってしまった。

著者は東京大学・海洋研究所の研究者である青山さん。うなぎ研究の権威である塚本教授の下、うなぎを探して世界を旅している。

理系の研究者というと実験室に閉じこもっているイメージがあるが、青山さんたちは違う。研究者というよりも「冒険家」に近い。怖い目に遭いながらも、南米、アジア、アフリカに潜入し、現地の人と仲良くなって、新種のうなぎを探している。

ちなみに、川の魚と考えられているうなぎは、二千キロ離れたグアム島付近の海で産卵する不思議な海洋生物である。これを発見したのが塚本教授。それにしても、なぜうなぎを研究するのか?塚本教授は言う。

だって面白いでしょ。数千キロも広大な海の中を回遊するんだよ」(p.12)

なんとシンプルな答えだろうか。

青山さんが大学院の修士課程を終えたとき、塚本教授に食ってかかったことがあったそうだ。以下がそのときのやりとり。

「研究者なんて糞だと思います。何もできないくせに口ばっかりで!」
すると窓の外に目をやった先生は、静かな声でこう言った。
糞だって時間が経てば肥料になるんだ。百年二百年先には役に立つかもしれないじゃないか」(p.103)

なんと雄大な仕事観であろうか。

自分も塚本先生のような考えを持って仕事をしたい、と思った。
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全部をはき出す

先週紹介した写真家の木村伊兵衛さんは、50歳を過ぎたころ、次のように述べている。

「戦後八年を経て、仕事上の問題を体で解決したつもりだが、横道へそれて、写真メカニズムの持つリアリティを駆使して人間生活の社会的現実をえぐり出すきびしさにまで自分を持って行っていない。何か大きな反省がなければ、ずるずると自己を甘やかしてしまう。いくらそれを心にきざんでも写真が変わってこなければ何にもならない。そういうことを思いきって変えるのは、自分の仕事を全部はき出して世に問うことが一番正しいと考えている。またみれんもなく全部はき出すことは心が軽くなり、自分のやるべき目的にまっすぐに進むことができる。」(p.76)

40を過ぎると人は、自分なりの仕事の仕方を確立する。しかし、それと同時に、成長が止まってしまうのも事実である。木村さんは、50歳のときにそれを感じていたのだろう。

「自分の仕事を全部はき出す」というのは、過去の仕事をまとめた写真集を出版することを指しているのだが、それを「大きな反省」につなげているところが凄い。

名声を獲得した後、「もうこのへんでいいだろう」と思う人と「まだまだ成長したい」と思う人の違いは、やはり「目線や志」の高さなのだろう。成長しつづけるためにも、定期的に自分の仕事を「はき出す」ことは大事だ、と思った。

出所:木村伊衛兵『僕とライカ』朝日新聞社
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