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『ハンガー』(映画メモ)

『ハンガー』(2008年、スティーヴ・マックイーン監督)

1981年、北アイルランドの刑務所に収監されている政治犯(IRAメンバー)の抵抗を描いた作品(実話)。

アイルランド人の誇りが伝わってきた。

政治犯として適切な扱いを求めるIRAメンバーたちは、いろいろな抗議活動を展開するが、究極の作戦はハンガー・ストライキである。いちどにストライキにはいらず、一人ひとり順番にハンストするのだが、その一番手がボビー・サンズ(マイケル・ファスベンダー)。

ハンストに入る前に、神父と二人で会話する長い場面が圧巻である。

俺の信念は単純だからこそ強い

という言葉が心に響く。

地球の様々な地域で民族紛争が起きているが「民族の誇り」にこだわる人たちの気持ちが伝わってきた。
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フランク・ロイド・ライト

ANAの機内誌(「翼の王国」2019年8月号)に建築家フランク・ロイド・ライトが設計した「カウフマン邸(落水荘)」の記事が載っていた。

この記事を見て、サイモン&ガーファンクルの「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌(So Long, Frank Lloyd Wright)」を思い出した。有名な建築家であることは知っていたが、どんな人か調べてみると、まさに波乱万丈の人生を送った人であることが判明(Wikipedia)。

米国でプレーリースタイルという新しい住宅様式を提唱し有名になったライト。すでに結婚し6人の子供がいたのにもかかわらず、施主の妻と不倫関係になり、ヨーロッパへ駆け落ちする。

帰国したものの仕事は激減し、しかも内縁の妻と子供が殺されるという事件が起こる。その後、20年以上の低迷期の後、前述したカウフマン邸(落水荘)で再び脚光を浴びるライト(このとき70代)。

まず「よく復活したもんだ」と思った。

と同時に、平穏に生活することの有難さを感じた。
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『未来のだるまちゃんへ』(読書メモ)

かこさとし『未来のだるまちゃんへ』文春文庫

「だるまちゃんとてんぐちゃん」「からすのパンやさん」で有名な絵本作家かこさとしさんの自伝。

昔、子供に読み聞かせをしていたので懐かしかった。

かこさんは19歳のときに終戦を迎え、「そのときに自分はいったん死んだ」と考え、子供のため社会のために生きようと決意する。

東京大学を卒業したかこさんは、昭和電工に勤務しながら、川崎のセツルメント運動に関わる。子供のためのセツルメントとは慈善事業のようなもので、かこさんは子供と遊んだり紙芝居をしたという。この活動からかこさんの絵本が生まれることになる。

印象深かったのは、このセツルメントでの子供たちとの格闘である。

「そうして描き上げた自信作を抱えて、日曜日になるとセツルメントに向かいました。「どうだ。こんな素晴らしい表現はないだろう。これを観たら、どんな子どもでも小躍りして喜ぶはずだ」鼻息荒く意気込んで出かけて行ったのですが「はずだ」が、まったく「はずではなかった」んですね。いざ紙芝居を始めると、一人へり二人へり、いなくなってしまうのです。ショックもショック、大ショックです」(p. 151)

子どもの生の反応をもとに描かれているがゆえに、かこさんの作品は自然体なのだ。

何ごとも、対象となる人々の生の声を聞きながら仕事をすることが大切である、と感じた。



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破滅に先立つのは心の驕り 名誉に先立つのは謙遜

破滅に先立つのは心の驕り 名誉に先立つのは謙遜
(箴言18章12節)

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『僕はイエス様が嫌い』(映画メモ)

『僕はイエス様が嫌い』(2018年、奥山大史監督)

先日、札幌のシアターキノで観た作品。

この映画、なんと青山学院大学の卒業制作であり、いきなり「第66回サンセバスチャン国際映画祭」で最優秀新人監督賞を獲得してしまったという。

おばあちゃんと暮らすために、東京から雪深い田舎の小学生に転校してきたユラ(佐藤結良)。ミッション系の学校のため礼拝があるのだが、神様、イエス様、聖書、お祈りに戸惑う。

友達ができずに独りぼっちだったユラだったが、礼拝の最中に、小さなイエス様(チャド・マレーン)が現れる。試しに「友達ができますように」と祈ってみると、なんと数馬(大熊理樹)と親友になることができた。

お祈りするたびに願いをかなえてくれる小さなイエス様だったが、肝心なときに出てこなくなるというストーリー。

映画全体の質感が高く、監督の才能を感じた。また、「信仰とは何か」についても考えさせられる作品である。
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教養と独創性

ルネサンス期を代表する画家にして科学者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチは、意外にも独学の人であったらしい。

なぜか?

それは、公証人の父と農家の娘の間に生まれた婚外子であったため、ラテン学校に通えなかったからである。

レオナルドのノートには次のような言葉が。

「私が教育を受けていないために、一部の口さがない人々が『教養のない男』と批判するのはよくわかっている。(中略)しかし、私の専門分野に必要なのは他者の言葉ではなく経験であることを、彼らはわかっていないのだ」

ダビンチの評伝を書いたウォルター・アイザックソンは「数百年にわたって幅を利かせていた中世期の教義やスコラ哲学を学ばずに済んだ」と述べている。

つまり、レオナルドは、当時の教養教育を受けなかったがゆえに、独創性の高い芸術や研究を残すことができたのだ。

今の世の中にも、こうした天才がいるはずだが、どこかで潰されているのだろう。

出所:日本経済新聞2019年8月18日号



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『夫婦の一日』(読書メモ)

遠藤周作『夫婦の一日』新潮文庫

遠藤周作の作品は好きで、ほとんど読んでいるのだが、この本だけは読んでなかった。

細川ガラシャを描いた「日本の聖女」を除き、ほぼ遠藤周作自身を題材にした短編である。

一番良かったのは、表題にもなっている「夫婦の一日」。

悪いことばかり起こる遠藤家を心配して、占い師のアドバイスを実行しようとする奥さんと、それに反対する周作先生(ちなみに、クリスチャンは占いを信じてはいけないと聖書に書いてある)。

日本人特有の「不器用な関係」なのだが、夫婦の愛が伝わってくる作品である。

特にラストが良かった。



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かわいい息子を懲らしめる父のように 主は愛する者を懲らしめられる

かわいい息子を懲らしめる父のように 主は愛する者を懲らしめられる
(箴言3章12節)

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『羅生門』(映画メモ)

『羅生門』(1950年、黒澤明監督)

舞台は戦乱が続く平安時代の京都。

ある武士の死体が見つかり、関係者が呼び出されるものの、それぞれの証言が異なるというストーリー。

盗賊の多襄丸(三船敏郎)、武士の妻(京マチ子)、遺体発見者の行商人(志村喬)が尋問を受けるのだが、面白かったのは、殺された武士(森雅之)も巫女による交霊をとおして証言するところ。

人間の自己中心性を描き出した名作だが、京マチ子の演技が凄かった。

ちなみに、武士役の森雅之の顔が「誰かに似ている」と思っていたところ、(あとで調べたら)有島武郎の息子であることが判明。彼もいい味出してた。

この映画を通して、人間は自分に都合のいい事実を創りあげながら生きていることを感じた。








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失敗経験がキャリアを決める

解剖学者の養老孟司さんは、医学部のインターン時代に医療事故を経験し、診療が怖くなったという。そこで、選んだのが解剖の仕事。

死んだ患者さんならこれ以上死ぬ心配はない」「とても安心なんです。自分のやったことの責任が取れるから」

失敗経験がその人のキャリアを決めることもあるのだな、と思った。

出所:日本経済新聞2019年8月11日
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