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『ヒューマン・ファクター』(読書メモ)

グレアム・グリーン(加賀山卓朗訳)『ヒューマン・ファクター』ハヤカワ文庫

イギリス情報部を舞台にしたスパイものである。

本書の前半は、お役所勤めのおじさんの日常が描かれている感じで「本当にスパイもの?」といいたくなるほどだったが、後半以降は一気にスパイ小説っぽくなる。

国や組織の利益、主義主張、友情、家族の幸せの間で揺れ動く人々が描かれている。

ちなみに、著者のグレアム・グリーンは、イギリス情報部で働いていた経験を持つらしい。スパイ映画(007シリーズやボーン・シリーズなど)で見るような華々しさはないが、それゆえに妙にリアルな感じがした。

主人公のモーリス・カッセルは、いわゆる二重スパイであり、祖国イギリスを裏切った人。そのことを奥さんに告白するシーンが印象的である。

「ひと言も責めないんだね、セイラ」
「どんなことを言うべきなの」
「つまるところ、私は人の言う裏切り者だ」
「それがなんなの。(中略)わたしたちにはわたしたちだけの国がある。あなたとわたしとサムの国。あなたはその国は裏切っていないわ、モーリス」

国益を最優先とする情報部の中には、人間味を保とうする人と、それを捨て去ろうとする人がいる。それは企業で働く人も同じだろう。組織人としての生き方、個人としての生き方について考えさせる小説である。

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50点主義

進学塾大手の日能研・小嶋理事長は、「どうやって会社を大きくされたのですか?」という問いに対し、「お客様の要望に合わせていると、教室いっぱいに生徒が埋まる。だから、次の教室を出す。この繰り返しです。」と答えている。

では、常に顧客を喜ばすには、どうしたらいいのか?

小嶋氏の持論はつぎのとおり。

「今パーフェクトだと思って自分がやっている仕事も、お客様の立場からすると「50%」にすぎないと心得て、取り組みを見直してみる。そうすると、もっと喜ばせる方法に気づく。」

この考え方は、客商売以外でも通用しそうだ。たいていの場合、今の自分のやり方に点数をつけるとしたら70点から80点をつけるのではないか。しかし、「実は50点」と思えば、改善しようという気になる。

50点主義がストレッチ力を高めるといえる。

出所:日経ビジネス2010年11月29日号146ページ
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暗闇に追いつかれないように

暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。
(ヨハネによる福音書12章35節)
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『死を背負って生きる』(読書メモ)

柏木哲夫『死を背負って生きる:いのちと看取りの現場から』日本キリスト教団出版局

淀川キリスト教病院でホスピスを立ち上げた柏木先生は精神科医である(現在、名誉ホスピス院長)。この本は、豊富な臨床経験をもとに、いかに病と向き合い、いかに生きるかについてまとめたもの。

本書を読んで印象に残ったのは二つ。

ひとつめは、「ストレスに関連した成長(SRG)」(stress related growth)という概念。

家族に死なれた人は、倦怠、うつ、食欲不振などマイナスの状況に陥ることが多いが、死別という経験を通して人間的に成長する人もいるという。それがSRGである。

妻を看取ったある人は次のように語ったという。

「妻がいなくなって、本当に寂しくなりました。でも、妻の死を通して人の命の尊さ、人間の弱さと強さ、親切にされることのありがたさなどを学びました。今までかなりいいかげんに生きてきましたが、これからは妻の分まで、しっかりと生きていきたいと思っています。」(p60)

印象に残った二つめは「人生の実力」という考え方。

柏木先生いわく「「政界の実力者」とか「実業界の実力者」とか言いますが、「人生の実力者」もあると思うのです。精神科医とホスピス医としての臨床経験から、多くの「人生の実力者」に会ってきました。」(p16-17)

先生による「人生の実力者」の定義は、「自分にとって不都合なことが起こった時、その中に自分が人間として生きている証しを見ることができ、その中に感謝を見いだすことができる力」(p18)だという。

「つらく、悲しく、やるせない状況、すなわち自分にとっては不都合な状況になった時、どのような態度でその状況に対処できるかで、その人の「人生の実力」が決まります。その中に、生きている証しを見ることができ、その状況の中に感謝を見いだすことができることが、「人生の実力」につながります。」(p19)

病気に限らず、私たちは、いろいろな辛いこと、悲しいことに出合う。その辛さ、悲しさの中に「感謝すべきこと」を見いだすことができるか。それが人生の価値を決めるのだろう。
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人間的成長

プロ野球の世界では、せっかく素質に恵まれていても、その才能を開花できない人が多いらしい。先日紹介したヤクルトの小川監督によれば、才能を発揮できるかどうかは「人間的成長」にかかっているという。

小川監督は次のように持論を述べている。

「様々な人から意見を聞いて、吸収して、いらないものを捨てていくという姿勢が必要。いいものは取り入れて、自分の力として発揮するという基本的な姿勢が大事です。野球人だけじゃなく、人間として当然必要になってくる。」

以前、育て上手のマネジャー調査を実施したとき、「どんな人が伸びますか?」と聞くと、多くの人が「素直な人です」と答えていたのを思い出した。

ただ、ここで言う素直さは、小川監督がいうように、他者のアドバイスの中から大切なものをとり込んで、取捨選択できる力を含んでいるように思える。

「他者を尊重して、他者から学ぶ力を身につけること」は人間的成長の中の大切な要素の一つかもしれない、と思った。

出所:日経産業新聞2010年12月17日
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神は愛です

神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
(ヨハネの手紙Ⅰ・4章16節)
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『天平の甍』(読書メモ)

井上靖『天平の甍(いらか)』新潮文庫

僕が中学生の頃、この本が映画化されていたことを覚えている。

遣唐使として中国に派遣された留学僧が当地で修業し、荒波を乗り越えて、名僧・鑑真を連れて再び日本に戻ってくるという物語である。真面目で少し堅いイメージがあったが、とても面白かった。

当時の日本は仏教が伝来して間もないため、宗教的に整備されておらず、まだまだ発展途上の状態。そこで、留学僧が中国で本格的な仏教を学んで、それを日本に持ち帰っていた。

本書を読んで強烈に印象に残ったのは、主人公の留学僧・普照(ふしょう)ではなく、それより以前に中国に渡っていた業行(ぎょうこう)というお坊さん。彼は、何十年もの間、仏教の経典をひたすら写経し続けている人である。なぜ彼は、地味な「写経」にこだわるのか?業行は次のように言う。

「自分で勉強しようと思って何年か潰してしまったのが失敗でした。自分が判らなかったんです。自分が幾ら勉強しても、たいしたことはないと早く判ればよかったんですが、それが遅かった。経典でも経しょでも、いま日本で一番必要なのは、一字の間違いもなく写されているものだと思うんです。」

業行は、自分の役割・使命をはっきりと認識していたのである。

残念ながら彼の写した経典が日本にもたらされることはなかった。しかし、神様は業行のことを「よくやった」とほめてくれるのではないか、と思った。
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役割と短期目標

今年のヤクルト・スワローズは、5月末に借金19のどん底状態だった。しかし、高田監督から、小川監督代行に代わってから、快進撃を続け、8月末には借金を返済した。結果的に、小川監督は6割2分という驚異的な勝率を上げることになる。

いったい、小川監督は何をしたのか?

その答えは、「選手一人ひとりの役割を明確にして、目の前の短期目標に集中させた」ことだ。

ただし、単に役割を与えるだけでなく、個人の強みにあった役割を与えることがポイント。例えば、打率が良く打点も稼げる青木選手は、3番や4番も打てるが、あえて1番に固定した。なぜなら、青木選手はヒットを打ち打率にこだわるタイプだからだ。

青木選手が塁に出ることで、「ランナーを進める」「ランナーを返す」など他の選手の役割も明確になった。一試合一試合に集中することで、選手たちは徐々に自信を取り戻すことができたという。小川監督は次のように語っている。

「かけ離れた目標は意味をなさない。実現可能な短期目標をクリアしながら、その先に向かっていく方がいい。」「借金が19もあったので、何が何でも順位をあげようという気持ちはまったくありませんでした。極端な話、目の前の試合を一生懸命やることしかできなかった。」

熟達研究でも、「適度に難しい、明確な目標」を立てることが成長を促すと指摘されている。「目の前の仕事に集中しろ」とよく言うが、その前提として、個々人の適性にあった役割を明確にすることが大切になる。

職場においては、鍵となる社員の役割が決まると、それにつながる社員が担う仕事も明らかになる。そうしたキーパーソンの適性を見極めることも、マネジャーの重要な仕事になるだろう。

出所:日経産業新聞2010年12月3日
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『板極道』(読書メモ)

棟方志功『板極道』中公文庫

世界的版画家である棟方志功さんの自伝。表題は「ばんごくどう」と読むらしい。

本書を読んで感じたのは、棟方さんの純粋さとやさしさ。他者に対する尊敬と慈しみにあふれているため、言葉がとても美しい

「帝展に入選するまでは故郷の青森に帰らない」と決意した棟方さんだが、帝展に入選後に油絵から版画に転向する。なぜか?

「わたくしは、梅原竜三郎、安井曾太郎の両先生こそ洋画壇の二ツの大きな峰であると思いつめていました。梅原、安井の神様のような両先生でさえ、西洋人の弟子でなかったか、― 日本人のわたくしは、日本から生まれ切れる仕事こそ、本当のモノだと思ったのでした。そして、わたくしは、わたくしだけではじまる世界をもちたいものだと、生意気に考えました。」(59頁)

「洋画でいう遠近法をぬきにした、布置法による画業を見い出したかったのでした。それには、日本が生む絵にもっとも大切な、この国のもの、日本の魂や、執念を、命がけのものをつかまねば、わたくしの仕業にならない。― このように、若い気焔をもやしたてて、自分をたたき、たたいて、自分の置きどころをさがそうと思ったのでした。」(60頁)

このとき25歳。日本人にしかできない、自分にしかできない芸術をめざした棟方さんの勢いはすごい。身体ごと板にぶつかり、のたうちまわりながら傑作を生み出し続ける。

しかし、棟方さんは徐々に「自分の力で生み出す」という「自力」の考えから、「自分というものは小さいことだ、自分というものは、なんという無力のものか(281頁)」という「他力」の考えへと変化する。次の言葉からもそれがわかる。

「いや、仕事していくということよりも、わたくしは、「生んでいる」という仕事を願い、したいと思っているのです。自分の手とか、腕とか、からだを使うということよりも、板画がひとりでに板画をなして行く、板画の方からひとりでに作品になって行くというのでしょうか。― 少しくどいでしょうが、板画が板画を生んでいる、そういうありさまを、わたくしは非常に大事だと思うのです。そして、それにこそ、どの仕事よりも、より仕業への真実というものがあるのではないかと思うのです。」(127頁)

この部分を読み、以前紹介した本(『奇跡の画家』)の中で、画家・石井一男氏が「塗っていくうちになにかこう天井のシミのようなものがぽっと現れて、それに引っ張られてといいますか、なにか内側から呼んでくれるものを待っているといいますか」とおっしゃっていたのを思い出した。

芸術に限らず、私たちは自分で仕事をしているように思っているけれども、自分以外の力が大きく働いていることにあまり気づかない。その力に身をゆだねながら努力するとき、自分にしかできない何かが生まれてくる、と感じた。



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わたしは聖なる者であるから

わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。
(レビ記11章45節)
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