松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『ここから世界が始まる』(読書メモ)
トルーマン・カポーティ(小川高義訳)『ここから世界が始まる』新潮文庫
カポーティが若いころ書いた14の短編を収めた本。
弱者やマイノリティを題材とした「沁みる」作品群である。
特によかったのは「ミス・ベル・ランキン」。
近所でも悪評高い老婆ミス・ランキンは、夫と娘に出ていかれ、黒人の召使と住んでいるだが、いつも不機嫌である。
「リリーが生まれた年には、あたしはまだ十九で、きれいな若い女だった。ジェドなんて、こんな美人は見たことないと言ってたもんだが、そんなのは昔の話―。いつからこんなになったのか、自分でもさっぱり覚えがない。また覚えがないと言えば、いつから貧乏になったのか、いつから年寄りになったのか」(p. 48)
うーん。なんとなくわかる。この間まで若かったのに、いつのまにこんな歳になったのか驚くことがあるからだ。
なお、この作品のラストは本当に美しく、慈愛に満ちている。
ちなみに、本作を書いたのはカポーティが17歳のときだという。
やはり天才である。
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あなたは、「自分の力の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない
あなたは、「自分の力の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない
(申命記8章17節)
(申命記8章17節)
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『ノマドランド』(映画メモ)
『ノマドランド』(2021年、クロエ・ジャオ監督)
地味な社会派映画にもかかわらず、アカデミー賞をとっているめずらしい作品。
夫を亡くし、地域経済が崩壊して、トレーラー暮らしを始めたファーン(フランシス・マクドーマンド)。
自家用車を住まいとして、アマゾンの発送業務等をしながら、様々なところで稼ぎ、異動生活するノマド(遊牧民)である。
地元で代用教員もしていたファーンは、ショッピングセンターで元生徒と会った際に、「先生はホームレスになったの?」と聞かれて、「ハウスレスよ」と答える。
初めは、ホームレス的な感覚を持っていたファーンだが、徐々にノマド生活に誇りを感じる様子が伝わってきた。
よく考えると、人生そのものが「遊牧的」要素があるのかもしれないな、と感じた。
地味な社会派映画にもかかわらず、アカデミー賞をとっているめずらしい作品。
夫を亡くし、地域経済が崩壊して、トレーラー暮らしを始めたファーン(フランシス・マクドーマンド)。
自家用車を住まいとして、アマゾンの発送業務等をしながら、様々なところで稼ぎ、異動生活するノマド(遊牧民)である。
地元で代用教員もしていたファーンは、ショッピングセンターで元生徒と会った際に、「先生はホームレスになったの?」と聞かれて、「ハウスレスよ」と答える。
初めは、ホームレス的な感覚を持っていたファーンだが、徐々にノマド生活に誇りを感じる様子が伝わってきた。
よく考えると、人生そのものが「遊牧的」要素があるのかもしれないな、と感じた。
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思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい
(ペトロの手紙Ⅰ 5章7節)
(ペトロの手紙Ⅰ 5章7節)
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『共産党宣言』(読書メモ)
マルクス・エンゲルス(大内兵衛・向坂逸郎訳)『共産党宣言』岩波書店
1848年に出版された本書は、資本主義の本質を鋭く指摘している(特に前半)。
「自分の生産物の販路をつねにますます拡大しようという欲望にかりたてられて、ブルジョア階級は全地球をかけまわる」「ブルジョア階級は、世界市場の搾取を通して、あらゆる国々の生産と消費とを世界主義的なものに作り上げた」(p. 47)
170年以上前に書かれた本であるが、現在のグローバリズムを端的に表している。
「かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使いに似ている」(p. 50)
様々な紛争、気候変動、貧困等の問題を抱える今の世界は、まさにこうした魔法使い状態である。
なお、第1章で「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(p. 40)、第2章には「社会の一部による他の部分の搾取は、過去のすべての世紀に共通な事実である」(p. 75)と書かれている。
階級闘争を終わらせてプロレタリア階級中心の世界を作るための提案をしているマルクスとエンゲルスであるが、これまでの歴史を見る限り、搾取の構造を変えることは難しいといえる。
1848年に出版された本書は、資本主義の本質を鋭く指摘している(特に前半)。
「自分の生産物の販路をつねにますます拡大しようという欲望にかりたてられて、ブルジョア階級は全地球をかけまわる」「ブルジョア階級は、世界市場の搾取を通して、あらゆる国々の生産と消費とを世界主義的なものに作り上げた」(p. 47)
170年以上前に書かれた本であるが、現在のグローバリズムを端的に表している。
「かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使いに似ている」(p. 50)
様々な紛争、気候変動、貧困等の問題を抱える今の世界は、まさにこうした魔法使い状態である。
なお、第1章で「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(p. 40)、第2章には「社会の一部による他の部分の搾取は、過去のすべての世紀に共通な事実である」(p. 75)と書かれている。
階級闘争を終わらせてプロレタリア階級中心の世界を作るための提案をしているマルクスとエンゲルスであるが、これまでの歴史を見る限り、搾取の構造を変えることは難しいといえる。
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あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない
あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない
(詩編9章11節)
(詩編9章11節)
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『エチカ(上・下)』(読書メモ)
スピノザ(畠中尚志訳)『エチカ(上・下)』岩波文庫
読むのに苦労したが、響く書であった。
1632-1677年に生きたスピノザは、汎神論的な神の概念(自然=神)を提唱したため、当時の教会から異端視された哲学者である。ただ、この神の概念は日本人にはなじむように感じた。
本書のメッセージは、「人間は神のうちにあるのだから、神からいただいた本性(活動能力)を、理性や知性によって正しく認識・発揮し、喜び、神の導きに素直に従って生きるとき、幸せになれる」というもの。
逆に、「いろいろな外部の出来事に惑わされ、自分の本性を発揮できずに悲しみ、ネガティブな感情に流されてしまう」と不幸になる。
「自由」についての考え方も共感できた。
自由人とは、「自己以外の何びとにも従わず、また人生において最も重大であると認識する事柄、そしてそのため自己の最も欲する事柄、のみをなす」人である(下巻、p. 95)。
要は、神様から与えられた賜物や使命に忠実な人であろう。
さらに、ポジティブ思考もスピノザの特徴である。
「しかしここに注意しなければならぬのは、我々の思想および表象像を秩序づけるにあたっては、常におのおのの物における善い点を眼中に置くようにし、こうして我々がいつも喜びの感情から行動へ決定されるようにしなければならぬことである(下巻、p. 134)
このあたりは、中村天風の思想と一致している。
ちなみに、スピノザは「一切のことは神の永遠なる決定から生ずる」「我々は運命の両面を平然と待ちもうけ、かつこれに耐えなければならぬ」(上巻、p. 197)と言っている。
感動したのは、こうした考え方の利点である。
「この説は、何びとをも憎まず、蔑(さげす)まず、嘲(あざけ)らず、何びとをも怒らず、嫉(ねた)まぬことを教えてくれるし、その上また、各人が自分の有するもので満足すべきこと(中略)を教えてくれるからである」(上巻、p. 197-198)
ふーむ、深い。
読むのに苦労したが、響く書であった。
1632-1677年に生きたスピノザは、汎神論的な神の概念(自然=神)を提唱したため、当時の教会から異端視された哲学者である。ただ、この神の概念は日本人にはなじむように感じた。
本書のメッセージは、「人間は神のうちにあるのだから、神からいただいた本性(活動能力)を、理性や知性によって正しく認識・発揮し、喜び、神の導きに素直に従って生きるとき、幸せになれる」というもの。
逆に、「いろいろな外部の出来事に惑わされ、自分の本性を発揮できずに悲しみ、ネガティブな感情に流されてしまう」と不幸になる。
「自由」についての考え方も共感できた。
自由人とは、「自己以外の何びとにも従わず、また人生において最も重大であると認識する事柄、そしてそのため自己の最も欲する事柄、のみをなす」人である(下巻、p. 95)。
要は、神様から与えられた賜物や使命に忠実な人であろう。
さらに、ポジティブ思考もスピノザの特徴である。
「しかしここに注意しなければならぬのは、我々の思想および表象像を秩序づけるにあたっては、常におのおのの物における善い点を眼中に置くようにし、こうして我々がいつも喜びの感情から行動へ決定されるようにしなければならぬことである(下巻、p. 134)
このあたりは、中村天風の思想と一致している。
ちなみに、スピノザは「一切のことは神の永遠なる決定から生ずる」「我々は運命の両面を平然と待ちもうけ、かつこれに耐えなければならぬ」(上巻、p. 197)と言っている。
感動したのは、こうした考え方の利点である。
「この説は、何びとをも憎まず、蔑(さげす)まず、嘲(あざけ)らず、何びとをも怒らず、嫉(ねた)まぬことを教えてくれるし、その上また、各人が自分の有するもので満足すべきこと(中略)を教えてくれるからである」(上巻、p. 197-198)
ふーむ、深い。
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『わたしの叔父さん』(映画メモ)
『わたしの叔父さん』(2019年、フラレ・ピーダセン監督)
舞台はデンマークの農場。
14歳のときにお父さんが自殺してしまい(お母さんもいない)、足の悪い叔父さんの農場を助けるクリス(イェデ・スナゴー)は、ちょっと頑固な20代後半の女性。
「叔父さんと朝食→酪農&農場で作業→叔父さんと夕食」を繰り返す毎日である。
そんな日々の中、(獣医学部に合格したにもかかわらず諦めたらしい)クリスが、酪農家を巡回する獣医のアシスタントをすることに。さらに、近隣農家の若者に誘われて、わくわく感が漂いだす。
果たしてクリスは、新しい道に踏み出すのか?
ラストは「そうきたか!」という落ちだったが、透明感のある映像と雰囲気が良かった。
改めて、人生はタイミングだな、と思った。
舞台はデンマークの農場。
14歳のときにお父さんが自殺してしまい(お母さんもいない)、足の悪い叔父さんの農場を助けるクリス(イェデ・スナゴー)は、ちょっと頑固な20代後半の女性。
「叔父さんと朝食→酪農&農場で作業→叔父さんと夕食」を繰り返す毎日である。
そんな日々の中、(獣医学部に合格したにもかかわらず諦めたらしい)クリスが、酪農家を巡回する獣医のアシスタントをすることに。さらに、近隣農家の若者に誘われて、わくわく感が漂いだす。
果たしてクリスは、新しい道に踏み出すのか?
ラストは「そうきたか!」という落ちだったが、透明感のある映像と雰囲気が良かった。
改めて、人生はタイミングだな、と思った。
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