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主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる

主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる
(詩編33章13節)
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『フロイト、性と愛について語る』(読書メモ)

フロイト(中山元訳)『フロイト、性と愛について語る』光文社古典新訳文庫

フロイトが書いた7つの論文をまとめたものが本書。

非常にロジカルで読みやすく、フロイトが何を考えていたのかがスムースに伝わってきた。

議論のポイントは「エディプス・コンプレックス」(父親の代わりに母親を自分のものにしたいという願望(男性)、父親のために子供を産みたいという願望(女性))であり、これが実現できないとわかった時点で、エディプス・コンプレックスが崩壊し、正常な状態で成長するという。

そして、崩壊したエディプス・コンプレックスの跡継ぎが、道徳観・倫理観としての「超自我」である。

「エディプス・コンプレックスの崩壊という事態は、すなわち近親相姦からの防衛および良心と道徳の形成という事態は、個体に対する世代の勝利として理解することができる。神経症とは、自我が性の機能の要求に反抗することにあるのだと考えると、これは興味深い観点である」(p. 187)

フロイトは「世代の勝利」という言葉を使っているが、本書の後半部分では、文化と性について考察されており、これが深い。

「一般的にわたしたちの文化は、欲動を抑圧することによって構築されてきたものである。人は誰でも、自分の所有するものの一部、自分の絶対権の一部、自分の人格のうちに含まれている攻撃的で復讐的な傾向の一部を断念してきたのである。共同の文化的な財産は、物質的なものにせよ理念的なものにせよ、このような個人の断念の上に築かれてきた」(p. 203)

そして、性的な欲動を文化的活動に転換する手段が「昇華」である。

「人間の文化建設という仕事に大きなエネルギーを供給しているのが、この性欲動なのである。(中略)本来は性的な性格のものであった目標を、性的ではないが、心的には同じような性格を持つ別の目標に変えることができるこの能力は昇華と呼ばれる」(p. 204)

しかし、こうした「昇華」ができる人は限られているらしい。昇華ができない普通の人はどうなってしまうのか?

「性的な欲動を抑えて生まれるさまざまな代用現象こそが、わたしたちが神経質症の症状、特に精神神経症と呼んでいる疾患の本体なのである」(p. 211)

「昇華という道に進むことのできない大多数の人々は、神経症に苦しむか、あるいはその他の損害をこうむることになる」(p. 216)

エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』の中で、昇華の重要性に言及していたが、フロイトはより現実的であるといえる。

社会が発展し、文化が進展するほど、そこで生きる人間が苦しむようになる。そのメカニズムがわかったような気がした。



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オンライン雑談

テレワークが広まると、何気ない雑談の機会が少なくなる。そうなると、コミュニケーションの基盤となる「相互理解」が低下してしまう。

注目したいのは、テレワークの中に、あえて雑談を取り入れる試み。

例えば、テレワークによって生産性を向上させることに成功した日立製作所のケース。

某マネジャーは、毎週月曜日の午後1時から部下5人とオンライン会議を開くらしいが、「前半30分は雑談に充て、後半30分で打ち合わせ」をしているらしい(日本経済新聞2021.1.17)。

また、クラフトビール大手のヤッホーブルーイングでは、朝礼にて、休日の出来事や趣味などを自由にチームで話し合う「雑談朝礼」を取り入れているという(日本経済新聞2022.2.21)。

進捗確認やディスカッションに入る前に、「オンライン雑談」を10分でも取り入れれば、テレワークの孤独感が減り、メンバー相互の理解が深まるだろう。

ちなみに僕のゼミでも、オンライン・対面にかかわらず、授業を始める前に、3~4名のグループを作り「最近あったちょっと嬉しかったこと」を話してから(10分程度)、本格的なプレゼンやディスカッションを行う。そうすると、お互いを知ることができ、激しい議論をしても後に引かないという効果がある。

意識的に雑談を取り入れることで、チームワークを向上させることができるような気がする。
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人の言うことをいちいち気にするな

人の言うことをいちいち気にするな
(コヘレトの言葉7章21節)

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『今はちょっと、ついてないだけ』(読書メモ)

伊吹有喜『今はちょっと、ついてないだけ』光文社文庫(読書メモ)

バブル期にネイチャリング・フォトグラファーとして脚光を浴びたものの、所属事務所の借金を背負って、マスコミから消えた立花浩樹。故郷で地道に働き、借金を返し終わった立花が、仲間とともに再起をかける物語。

ちなみに立花は、テレビ制作会社をリストラされ離婚した宮川とタッグを組むのだが、この宮川がいい味を出してる。

体格が良く、イケメンで寡黙な立花に対し、小柄でおちゃらけた宮川は正反対のキャラクターであり、それがぴったりとはまっているのだ。

ここに、腕は良いが客とのトークが苦手なメイクアップ・アーティストの瀬戸が加わり、それぞれの強みを生かしながらチームとして活動するストーリーが面白い。

「今はちょっとついていない人」に勇気を与える物語である。


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『リンドグレーン』(映画メモ)

『リンドグレーン』(2018年、ペアニル・フィシャー・クリステンセン監督)

「長くつ下のピッピ」の作者として知られるスウェーデンの作家、アストリッド・リンドグレーンを描いた作品。

この映画はかなり良かった。

保守的な田舎町で、敬虔なクリスチャンの家庭(農家)に育ったアストリッド(アルバ・アウグスト)は自由奔放な女の子。作文が得意なため、小さな新聞社の助手となるが、社長との間に不倫の子を宿してしまう

町の人々に知られるのを恐れた両親は、アストリッドを都会の秘書学校に入学させ、産まれた子供は保護施設に預ける。「あの子はあきらめなさい」という母親に反発するアストリッドは、一人で子供を自分で育てようと奮闘する、という物語。

体裁を気にする両親と、本質を貫こうとするアストリッドの対立を見ているうち、自分は「両親側」に近いことに気づいた。

ちなみに、この映画は、晩年のリンドグレーンがファンの子供たちからの手紙を読むところから始まり、途中途中で、そうした手紙が紹介される構成になっているのだが、これがまた良い。感動したのは次の手紙。

アストリッドさん。
「はるかな国の兄弟」を読んで思いました。
やるしかないことがあるんだと。
僕は弟を 他の子たちから守らないとなりません。
大変だけど やるしかないのです。
弟を見捨てるようなゴミ屑には なりたくありません


この映画からも「大変だけど、やるしかない」というリンドグレーンの気迫が伝わってきた。





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まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。

まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
(マタイによる福音書23章26節)

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『ひつじ村の兄弟』(映画メモ)

『ひつじ村の兄弟』(2015年、グリームル・ハゥコーナルソン監督)

舞台はアイスランドの小さな村。牧羊を営むキディー(テオドル・ユーリウソン)とグミー(シグルヅル・シグルヨンソン)は兄弟だが、40年間口もきかない仲である(ちなみに、家は隣同士で、二人とも独身かつ高齢)。

あるとき、キディーの飼っている羊から伝染病が見つかり(見つけたのはグミー)、村全体の羊が殺処分されることになる。この件をめぐって、激しい兄弟げんかが勃発し、最悪の展開に・・・

はたして、兄弟の仲はどうなるのか?

ストーリーも面白いが、途中で写されるアイスランドの自然がすばらしい。

親兄弟・姉妹の仲がこんがらがるとやっかいなのは世界共通であるが、ちょっとしたボタンの掛け違えが原因なのだろう。

何かのきっかけがあれば、深い愛情で結ばれていることがわかるのだが、そのきっかけがなかなか見つからないともいえる。

ラストも良かった。








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『数学に魅せられた明治人の生涯』(読書メモ)

保坂正康『数学に魅せられた明治人の生涯』ちくま文庫

明治6年(1873年)に三重県で生まれ、旧制中学卒業後に、数学教師や村長を歴任した茂木学介氏の伝記である。

村長を引退後、36年をかけてフェルマーの定理に挑んだ茂木氏は、1973年に、101歳で解くことができたという(実際には解けてないのだが…)。

フェルマー(1601-1665)は、プロの数学者ではなく、法務評定官をしながら数学を研究していた人。教師や村長をしながら数学を研究していた茂木氏と重なる。

ちなみに、茂木氏を数学へと没頭させたのは戦争である。日清・日露戦争に出征し、第二次世界大戦中の日本社会を嘆く茂木氏は、フェルマーの世界へと向かう。

「彼は自らのフェルマーの定理解明の闘いを<フェルマー戦争>と命名した。(中略)戦士は自分ひとりであり、自らの肉体が消滅するか、それとも自分自身がフェルマーの定理を解明したと判断するときまで、その戦争はつづくはずだった。この戦争に勝たない限り、宣戦布告はまったく無に帰してしまう。「勝つことだ。とにかく勝つことだ」学介は自らにそういい聞かせて、闘志を搔きたてた」(p. 279-280)

単なる趣味ではなく、「戦争・闘い」と位置づけている点がすごい。

本書を読み、どんな人生も「何かとの闘い」なのかもしれない、と思った。






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『幸せへのまわり道』(読書メモ)

『幸せへのまわり道』(2019年、マリエル・ヘラー監督)

「幸せ~」というチープな邦題をつける映画は多いのだが、意外と良い作品がある。この映画もそのひとつ。

アメリカで30年以上も放映された子供向け人気番組の司会者フレッド・ロジャース(トム・ハンクス)と、雑誌記者ロイド・ボーゲル(マシュー・リス)の実際の交流を映画化したもの。

家族を捨てた父を許せないロイドと、彼をサポートするロジャースの関わりが胸を打つ。

ロジャースは、目の前にいる人のことを全力で考える優しい人なのだが、日々、自分の感情をコントロールするトレーニングをしていたという。ロジャースの奥さんは言う。

「(彼は)短気なのよ。毎日感情を制御する訓練をしているわ。聖書を読む、泳ぐ、人のために祈る、たくさん手紙を書く。長年それを続けてる」

トム・ハンクスの演技が素晴らしく、ロジャースの様子を見ていると「こんな人に相談できたらいいな」と思ってしまう。

しかし、感情コントロールの話を考えると、やろうと思えば、誰でもロジャースのような人に近づくことができるのかもしれない、と感じた。




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