goo

『雪のひとひら』(読書メモ)

ポール・ギャリコ(矢川澄子訳)『雪のひとひら』新潮文庫

雪のひとひら」が、ある村に舞い降り、川や湖に流れる途中で「雨のしずく」と出会い、子どもをもうける。やがて、夫や子供たちとも別れて、海へと導かれ、そして天に召されるというストーリー。

ギャリコのやさしい語り口と、深沢幸雄さんの挿絵に、ホッとさせられた。

なお、snow flakeを「雪のひとひら」と訳した矢川澄子さんの感性もすごい。

ギャリコは、雪の結晶が一つ一つ違っていることを、人間ひとりひとりに個性があることに重ね合わせている。

いかなる理由あって、この身は生まれ、地上に送られ、よろこびかつ悲しみ、ある時は幸いを、ある時は憂いを味わったりしたのか。最後にはこうして涯しないわだつみの水面から太陽のもとへと引きあげられて、無に帰すべきものを?」(p. 134)

北海道には雪がたくさん降るが、そのひとひら、ひとひらに個性があると思うと、雪の見方、人生の見方が少し変わったような気がした。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『燃えよ剣』(映画メモ)

『燃えよ剣』(1966年、市村泰一監督)

新選組の誕生から池田屋事件までを描いた作品である(司馬遼太郎原作)。

主演の栗塚旭がやや無骨すぎる土方歳三であったのに対し、近藤勇役の和崎俊哉はイメージ通り

新選組側から幕末を見たのは初めてだったので、「視点が変わると印象も変わるな」と感じた。

高貴な武家の女性・佐絵と歳三の恋が良かったのだが、後で調べてみるとフィクションであることが判明。

なお、DVDに特別インタビューが収録されていて、これが面白かった(ちなみに、インタビュー時期は現在)。

「新選組の役に対する反発はあったか?」という質問に対し、主演の栗塚旭さんが「役者というのはイタコのようなもので、いやな部分も愛さなければならない」と語っていたのが印象的である。

「イタコ」となれるかどうかが、プロフェッショナルの条件になるとしたら、悪役の人は大変だなと思った。








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

まことにあなただけが人の心をご存じです

まことにあなただけが人の心をご存じです
(歴代誌下6章30節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『友達がいないということ』(読書メモ)

小谷野敦『友達がいないということ』ちくまプリマ―新書

友だちと疎遠になっているため、タイトルに惹かれて買ってみた。

ただ、本書はズバッと友達論を語っているわけでもなく、いろいろな話題が盛り込まれ、著者にはそこそこ友だちがいるのに加え、東大生話(著者は東大卒)がやたらと出てくるので、何度も読むのを止めようと思ったが、なぜか読み続けてしまう不思議な本だった。

なぜかというと、文学研究者だった筆者の(現在は文筆家とのこと)、文学うんちくネタが面白く、かつズバズバ作家を批判する語り口が痛快だったからだろう。

本書の主要なメッセージは、(たぶん)「友達が多い人はホモセクシャル的であり、友達が少なくても心配することはない」ということ。

「?」という感じだが、いろいろな作家の事例が紹介されていて、ユニークな見解であると思った。

なお、第8章には、孤独な人々のための読書案内があり、買っているが読んでいない、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』が紹介されていたので、読んでみる気になったのは収穫だった。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『アンジェラ』(映画メモ)

『アンジェラ』(2005年、リュック・ベッソン監督)

借金取りに追われ、ウソばかりついている冴えない小男アンドレ(ジャメル・ドゥブース)。橋から身投げしようと思ったときに現れたのが、身長180㎝の金髪美女アンジェラ(リー・ラスムッセン)である。

アンジェラが一緒にいると、不思議なことに、マフィア、悪友、借金取りから解放されるアンドレ。

あなたの内面はとてもすばらしい。内面にあるものを引き出しなさい」と励ますアンジェラ。

いったい彼女は何者で、何のためにアンドレに尽くすのか?

ちょっと奇想天外なストーリーだが、なかなか良い映画だった(主演のドゥブースが上手い)。

誰もがこうした天使的な人と出会っているのだが、それに気づく人と気づかない人がいるような気がした。








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

自分の体で神の栄光を現わしなさい

自分の体で神の栄光を現わしなさい
(コリントの信徒への手紙I・6章20節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『生きがいについて』執筆日記

神谷美恵子さんの『生きがいについて』(みすず書房)には、「『生きがいについて』執筆日記」が付録として収録されているのだが、これが面白い。

日記は1958年12月21日(日)から始まり、1966年5月14日(土)に終わっている。

原稿は1962年の時点で書き上げているようなのだが、そこから推敲に時間をかけているのがわかる(たぶん、一時期は放置状態)。

なんといっても、初期の思いがすごい。長くなるが、以下抜粋である(ちなみにNとはご主人のこと)。

1960年2月3日(水) 「ねてもさめても「生甲斐」を考え、その中にすべてをぶちこみたい願いに燃える」(p. 309)

1960年2月14日(日) 「ときどき自己嫌悪感におそわれて困る。こんなつまらないものを出す価値があるだろうか、と。でも私は私でしかないのだ」(p. 311)

1960年10月29日(土) 「夜二時まで「生甲斐」をひさしぶりでかく。もっとかきたくて死にそうだ」(p. 316)

1961年3月9日(木) 「ああいっそ自分の血でかけたらいいものを!」(p. 318)

1961年5月2日(火) 「夜帰ってからもかきたくてうずうずし、子供たち、かぜ気のNのねしずまるのを待ち(2時)までかきつづけていた。だれのためでもない。だれに気に入られなくてもよい。ただかかずにいられないからかくだけ」(p. 320)

1961年9月11日(月)「これこそ自分の一ばん大切な仕事である事は、やればやるほど明らかになるばかりだった。このために生きて来たといえる位である。それを次第次第に発見して行くおどろきとよろこびとかしこみ!」(p. 325)

この頃から、しばらく時間が空く。

1964年7月25日(土) 「私は「生甲斐」に久しぶりで手を入れはじめた。しらべてみるとこれを書き出したのは1959年12月だった!」(p. 329)

1965年5月17日(月) 「生甲斐の1,2,5,6,8章みすずへ発送。一種の虚脱状態。どういう結果になるか神のみぞ知る。」(p. 331)

1965年6月7日(月) 「午前十時半。今みすずから「生甲斐」を出すと云って来た・・・感謝!!」(p. 332)

1965年8月8日(日) 「やっと7章をけずる。しかしまだけずり足りない。自分の冗長さにおどろくほかない」(p. 333)

1965年11月19日(金) 「家事、おつかいでくれる。N10章11章を毎晩少しずつよんでくれる。私はどうも自己嫌悪におそわれてならない。何しろ6年もやっていたからだろう」(p. 335)

1966年3月30日(火) 「夜12時すぎR図書新ブンで私の本の広告をみつけ、コーフンで1時までおきていた」(p. 338)

1966年4月18日(月) 「みすずから電話で奥付の相談。いよいよ出ると思うとこわい」(p. 339)

1966年5月14日(土) 「光明園で診察。(中略)帰宅してみたら「生きがいについて」が来ていた(十部)」(p. 339)

『生きがいについて」の内容にも感銘を受けたが、そのプロセスを綴った日記にも感動した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『生きがいについて』(読書メモ)

神谷美恵子『生きがいについて』みずず書房

7年をかけて書き上げたという本書を読み、神谷さんの魂を感じた。

神谷さんによれば、生きがいには発達段階のようなものがあり、心の構造が変化する。その変化のありかたが「社会化」と「精神化」である。

社会化とは、他者や人類のために生きることを、精神化とは自己の内なる世界に生きることを指す。

精神化と社会化の関係について神谷さんは次のように説明している。

「多くの場合、この二つは同時に、またはあいついで生じる現象である。社会化によって時空の制約を超え、多くのひとと心をかよわせ、多くのひとのために生きようとするのはまったく精神のはたらきによるわけで、精神化の過程が同時におこっていなければありえない話である。また認識の世界にせよ、美の世界にせよ、精神の領域にふみいるとき、たとえどんなに孤独なひとであろうとも、その精神の世界で以前よりはるかに広い範囲のひとと共感しあうことができ、多くの新しい友がみいだされるはずである。つまり精神化には社会化をともなうことが多い」(p. 210-211)

ハンセン病の歌人である明石海人は、次のような歌を詠んだという。

人の世をはなれて人の世を知り
骨肉をはなれて愛を信じ
明を失っては、内にひらく青山白雲もみた。
癩は天啓でもあった。

(p. 222-223)

インパクトがあったのは、死刑囚たちの俳句集『処刑前夜』からの引用である。

「私わことばや字をならいながら俳句お自分のお友だちとおもいべんきょうしています。俳句はさびしい私のきもちを一ばんよくしってくれる友だちです。俳句をならったおかげで蠅ともたのしくあそぶことができます。火取虫がぶんぶんと電とうのまわりをとんでいるのも私をなぐさめてくれるとおもうとうれしいです」(p. 225)

神谷さんの「大切なのは、新しい精神の世界が発見されることである」という言葉がこころに響いた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

『バードマン』(映画メモ)

『バードマン』(2014年、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)

ヒーロー映画『バードマン』で有名になったリーガン(マイケル・キートン)だが、今は昔の人となりつつあり、娘からも「パパは消えかけている」と言われる始末。もう一旗あげようと、私財を投げうってブロードウェーの演劇に挑むものの、トラブル続き。それでも頑張って迎えた舞台初日に起こったことは?

不思議で笑える展開だった前半から、徐々にシリアスになりつつ、最後はかなりの感動に導かれた。

自分の名声を高めたいリーガンが、心の中のバードマン(幻聴)に悩まされ、悪魔のささやきに振り回される場面が印象的である。

キャリアを高めたいという思い」と「プレッシャーから逃れたい気持ち」との葛藤。程度の差こそあれ、多くのビジネスパーソンが抱える悩みではないだろうか。

最後のシーンは、「バードマン」のもう一つの意味が暗示されていて、(微妙ではあるが)良いラストだった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あなたの神、主が正しいと見なされることを行いなさい

あなたの神、主が正しいと見なされることを行いなさい
(申命記13章19節)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ