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『嘘ですけど、なにか?』(読書メモ)

木内一裕『嘘ですけど、なにか?』講談社文庫

アラサー編集者・水嶋亜紀が、警察キャリア官僚・待田隆介と恋に落ちるものの、この官僚が悪い奴だと判明。待田の陰謀で逮捕されたりしながら、彼と対決するというストーリー。

嘘を交えながらもロジカルに相手をねじ伏せる水嶋亜紀が強烈なインパクトを放っていたのだが、途中から、桐山八郎兵衛(はちろべえ)という子供が登場する。

八郎兵衛は、小説家の息子で、中学2年だが小学3年生にしか見えず、悲観的なことばかり言っているやっかいなこども。しかし、論理的思考力が異常に高く、名探偵コナンのネガティブ版といった感じで活躍し出す。

最後の方では、水嶋亜紀の影が薄くなり、この八郎兵衛の存在感が大きくなっていくのが面白かった。たぶん、作者の木内さんが小説を書いている途中から、だんだんキャラが濃くなっていき、主人公が逆転してしまったのだろう。

ちなみに、表紙は木内さんのハイパーイラストであることがわかり驚いた。



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『ヒミズ』(映画メモ)

『ヒミズ』(2012年、園子温監督)

漫画「稲中卓球部」が好きだったので、古谷実原作のヒミズを観た。実は、ちょっと怖そうなのでためらっていたのだが、良い映画だった。

ボート屋を営む母親と一緒に住む中学3年生・住田祐一(染谷将太)は、時々返ってくる父親に「おまえなんか生まれなければよかった」と虐待を受け続ける。彼にあこがれ、つきまとう同級生・茶沢景子(二階堂ふみ)も両親から「死んでほしい」と言われ続けている。

そんな二人が支え合い、地獄のような生活を生き抜こうとする映画である。

染谷将太と二階堂ふみの演技がすばらしい。特に、悲劇が起こってしまった後「住田がんばれ、住田がんばれ」と励ますシーンが心に沁みた。

過酷な運命であっても、つながりがあれば生きていける。そう感じさせる映画である。



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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11章28節)

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資本教

『仕事なんか生きがいにするな』(泉谷閑示、幻冬舎新書)の中で心に残った箇所がある。

それは、マルクスの娘婿ポール・ラファルグによる『怠ける権利』という書から引用された一節。

「問:おまえの宗教はなにか。
 答:「資本教」です。
 問:「資本教」はおまえにどのような義務を負わせているか。
 答:主要な二つの義務、つまり、権利放棄の義務と労働の義務です。<中略>幼少時代から死ぬまで、働くこと、太陽の下でもガス燈の下でも働くこと、つまり、いつでもどこでも働くことを、わたしの宗教は命じます。」(p. 87)

これは資本主義に翻弄されている労働者を皮肉ったパロディ作品らしい。

しかし、これを読み、自分を含めて、日本人は完全に資本教の信者になっている、と感じた。

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『仕事なんか生きがいにするな:生きる意味を再び考える』(読書メモ)

泉谷閑示『仕事なんか生きがいにするな:生きる意味を再び考える』幻冬舎新書

タイトルに惹かれて読んでみた。

精神科医の泉谷氏は、富や成功を追い求めるモードを『ハングリー・モチベーション』と呼び、そうした状態から抜け出し『生きる意味』を考えるべきである、と主張する。

「ハングリー・モチベーションで動いていた人間は、極端な言い方をすれば、「虫」などと同じ行動原理で動いていたようなものだと言えるでしょう。つまり、空腹だからと食糧を求めて動き、危険だからと安全なところに逃げ込む、といったことです」(p.8-9)

この本を読んで一番印象に残ったのは、エーリッヒ・フロムの「受動的な人間」という考え方。

「外見上いかに「能動」に見える活動的な行為であっても、それが内面的空虚さを紛らわす消費社会によって生み出された、外から注入された欲求で動いているものは、その内実は「受動」でしかないのだ、と言っているのです」(p.34)

少し拡大解釈すると、人間社会の競争といった外発的プレッシャーによって突き動かされた行動は、それが学習を伴うものであっても「受動的」なものとなる。この箇所を読み、自分はかなり受動的な人間であることに気づいた。

では、生きる意味を感じるためにはどうしたらいいのか?

キーワードは「愛」である。ちなみに、愛とは、相手(対象)が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちであるのに対し、欲望とは、相手(対象)がこちらの思い通りになることを強要する気持ちであるという(p. 131)。

「「愛」とは、単に他の人に向かうものだけを指すのではなく、世界の様々な物事や人生そのものにも向けられるもので、対象に潜む本質を深く知ろうとしたり、深く味わおうとしたりするものです」(p. 142)

これは「禅」や「茶道」にも通ずる考え方である。

つまり、競争につき動かされているうちは受動的になってしまうけれど、相手の気持ちに寄り添い、さまざまな現象の本質を知ろうとする純粋な好奇心を持つとき、生きる意味を感じることができるようになる、ということだ。

本書のタイトルは『仕事なんか生きがいにするな』であるが、愛を持って仕事をすれば、やりがいのある仕事になるのではないか、と思った。













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『ペーパームーン』(映画メモ)

『ペーパームーン』(1973年、ピーター・ボグダノヴィッチ監督)

詐欺師のモーゼ(ライアン・オニール)が、母親を亡くした少女アディ(テイタム・オニール)と旅をする物語。10歳にしてアカデミー賞を受賞したテイタムの演技は天才的である(ライアンは実の父親)。

一番印象に残ったのは、モーゼの詐欺内容。

新聞のお悔やみ欄を見て、最近夫が亡くなった未亡人の家を訪ね、「〇〇さんから聖書の注文があったのでお届けに参りました」と嘘をついて、配偶者の名前入りの聖書を売りつけるのだ(価格は8ドル)。夫が自分の名前の入った聖書を注文していたことを知った人は感動し、喜んで買ってくれる

犯罪ではあるが、これは人を幸せにする良い詐欺なのではないか、と思ってしまった。

ちなみに、そばについているアディが、相手が貧乏人の場合には「タダです」と言い、金持ちの場合には「24ドルです」と口を出す場面がよかった。

その後のテイタム・オニールがどうなったのかを調べてみると、ちょっと残念な生活を送っているようで、少し切なくなってしまった。あまりにも早い時期の成功は、人生を歪めてしまうのかもしれない。











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自分の口と舌を守る人は苦難から自分の魂を守る

自分の口と舌を守る人は苦難から自分の魂を守る
(箴言21章23節)

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『卍(まんじ)』(読書メモ)

谷崎潤一郎『卍(まんじ)』新潮文庫

数年前に途中で挫折したが、今回は読み終えることができた。

思ったほど内容がドロドロしているわけではなく、大阪弁の語り口調で書かれているので、むしろあっさりとした印象を受けたのは意外だった。

若奥様である園子が、絶世の美人・光子に好意を寄せるが、夫とともに不幸に引きずり込まれるストーリー。支配欲と、支配されたい願望が絡み合って、泥沼にはまってしまう人々を描いている。

マゾヒストである谷崎潤一郎の願望をそのまま小説にしてしまっている点では『痴人の愛』に近い。ただし、単なる変態性欲(解説の中村光夫氏の言葉)をテーマにした小説ではなく、誰にでも当てはまりそうな要素も盛り込んでいる、という点で普遍性を持っているような気がする。

自分の性癖を普遍化してしまった谷崎潤一郎の技量に驚いた。



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芸術と人格

映画『ビューティフルマインド』に感動し、素晴らしい演技をしていたラッセル・クロウとはどのような人物かを調べたところ、とんでもない人であることが判明!

Wikipediaによれば「短気と粗暴な振る舞いから問題が絶えないことで有名」らしい。
(詳しくは同サイトを参照のこと)

優れた音楽家であるが人間としてはクズ、という評判の人をしばしば耳にするが、芸術と人格はあまり関係がない、のかもしれない。



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『ビューティフルマインド』(映画メモ)

『ビューティフルマインド』(2001年、ロン・ハワード監督)

「ナッシュ均衡」で有名な、ノーベル経済学賞・受賞者ジョン・ナッシュの生涯を描いた作品。主演のラッセル・クロウが上手かった。

プリンストン大学で博士号を得たナッシュ(ラッセル・クロウ)は、対人関係が苦手な孤高の数学者。MITのウィーラー研究所(軍事研究所)で教鞭をとっていた彼の前に、よき理解者アリシア(ジェニファー・コネリー)が現れ、結婚する。

順風満帆かと思われたナッシュの研究人生であるが、思わぬ落とし穴が。それは統合失調症である。

ナッシュには、実在しない国防省の諜報部員や友人が見えてしまうのだ(ちなみに、この友人は大学院時代のルームメイトだが、実在しない)。病気のために大学を追われたナッシュは、妻に支えられながら、昔の友人(学部長)のつてで大学図書館の片隅を使わせてもらい研究を続ける。

あいかわらず幻覚は続くのだが、どんな状態になりながらも、研究をあきらめない姿に感動した。

やがて大学に復帰したナッシュに、ノーベル賞関係者が訪れるシーンが印象的である。そばにいた学生を捕まえて「この人、君にも見える?」と聞くナッシュ。「知らない顔は不安で」という言葉にジーンときた。

人は何らかの障害を持たざるをえないが、そうした障害とともに人生を歩むことの大切さが伝わってきた。


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