アッパレじゃ!

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松竹創業120周年

2015年01月29日 | 歌舞伎

    

歌舞伎座の真ん前に垂れ幕が下がるでもなく、
何気なぁくアピールしてるだけだから、
あんまりピンと来てなかったんだけど… 

松竹創業120周年

スッゲェエエエ!!!
宝塚歌劇団の100周年で、
ビックラこいでる場合じゃぁない!
それに20足した年月なんだじぇぇええ!!

松竹株式会社は、平成27年(2015年)11月22日をもって、
創業120年を迎えることとなりました。
これもみなさまの日頃のご支援の賜物と厚く御礼申し上げる次第です。
当社は、創業者のひとりである大谷竹次郎が明治28年(1895年)、
京都・新京極の地にて歌舞伎の興行主となって以来、
日本のエンタティンメント産業を支え、牽引して参りました。
120年という歴史の重みをあらためて心に刻み、これからもお客様の
ニーズにお応えできる多様なコンテンツをお届けできるよう、
社員一丸となって取り組んでまいりたいと思います。
今後とも、みなさまの更なるご支援を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

松竹創業百二十周年と歌舞伎
今月の筋書きに、
古典演劇評論家の水落潔氏が詳しく書いてて…
へぇええ!!目からウロコがぁああ。ボタボタッ。

歌舞伎の歴史の中で松竹が果たした功績は
大きく分けて四つある。
一、興行の近代化を果たした
二、時代の求める歌舞伎を創り続けてた
三、俳優の育成
四、海外公演を通して歌舞伎を世界の演劇にした

歌舞伎は何度も危機にさらされ…
それを支えたのが映画
娯楽の王様だった時代は、ガンガン稼いだんやねぇ。
寅さんも歌舞伎を支えてくれたんだね。
もうひとつの柱が、松竹新喜劇!!
昭和30年代から約20年っ。
藤山寛美やないかいな!そうやったんかっ。
一世を風靡したんやもんなぁ…。

ユネスコの世界無形文化遺産になった伝統芸能を、
一企業が運営するのってどうなの…。
そういうのって世界にも類がないみたいだし。
なんて気持ちもあったりするけど、
創立者の志を受け継いでいればこそ、
灯火が消えることなく、輝き続けてるんだよなぁ。
同じ世界無形文化遺産の文楽なんて、
どこぞの市長の理解がないばっかりに、
助成金が減らされて右往左往してるわけだし…。

今じゃぁ歌舞伎も松竹を支える大きな柱。
だから稼ぎまくれぇえええ!!
ってことなのかしら。
最近の全国区な興行の多さは…。
相次いでスターが逝ってしまって…
休演者もいるし…。
立ち役、女形共に決定力不足…。
だからこそ、攻撃力の強化をっ。
花形の兄貴格を大御所と組ませて、
古典の修行もガンガンさせてくだっせぇえ。

21世紀も旋風を巻き起こしながら、
デッカイビルを背負った新しい歌舞伎座は、
この風景だからこその歴史を紡いでいくんだね。
私はいつまで観るかなぁ…。
吉右衛門が80歳になっても弁慶を演る!
って言ってるから後10年だね。
それまでは頑張るよぉ。

松竹株式会社 

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