福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

私の外傷歴・疾病歴(5) 疾病歴(3) 肺ガンが疑われた

2017年09月09日 03時15分49秒 | 自己紹介・自伝
 2008年3月、肺がんを濃厚に疑われた。経過観察の結果否定的となったが、その間の日々の心境を追った。
 
 2月下旬に職員健診結果に「肺ガンを否定できない陰影あり」という項目にチェックが入っていた。再撮影した胸部レ線には、異常陰影がしっかり写っていた。1回目のCT結果は「○cm x ○cmの陰影があり、陰影の特徴から肺ガン疑い濃厚」であった。診断医と面談したが、厳しい判断であった。

 肺ガンとすれば胸膜も巻き込んでいるようだし、手術しても今年一年持つか??とガックリしたが、いつか来るであろうことがたまたま肺に、ちょっと早く来ただけ、と事実を淡々と受け入れた。悪性か否か、もう体内では決まっていることだから、どちらでも良い。悪性の場合はどうせ大差ないから無治療で行こう、と決めた。

 4月上旬の2回目のCTは要経過観察。
 5月上旬の3回目のCTも要経過観察。
 6月中旬の胸部レントゲンは異常陰影が縮小し、薄く、線状になっていた。まず肺がんは否定的となった。

 この間、私自身の日常は変わりなかったが、終活として古い物品を整理、家の外装のリフォーム契約した。家内が肺がんと早とちりして介護のためと退職してきた。

 肺ガンが否定的となった後、自分の心理状態がどうなったかというと、嬉しくてルンルンかと言うと全く逆であり、虚脱感というか、緊張感の喪失か、しばらく仕事に取りかかる気持にならなかった。この一ヶ月あまり、半信半疑ながら自分としては黒の判定が出たときのことも念頭に公私のことを考えていたから、知らず知らす緊張していたのであろう。
 確かに充実した一ヶ月半だった。それが一気に緩んだ、ということだろうが、予想外の感覚を味わった。

 3月下旬に肺の陰影が悪性の可能性大と判断されたときの心境を思い出す。
 それほど大きなショックはなかった。「えっ、もう来たの!!! ちょっと早いじゃないか・・」という感覚であった。
 私は元来、人生は無常と捉えており、運を尊重する方である。 
 60歳を迎えるまでつつがなく生きて来れたことだけでも法外の幸運であった。いつかは来るであろう自分の最後のコースを考え心の準備をしていたが、ついに真正面から向き合わねばならないその時期が来たか、という感じであった。

 陰影の推移が私に教えてくれた教訓は、「今までの価値観、こだわりを捨てて生きよ」、と言うことかな、と思う。

 あの陰影が真に肺ガンだったらその年のうちに死んでいただろう。私はつくづく運のいい人間だと思う。

 「エイプリルフールでした」、と笑いたい

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私の外傷歴・疾病歴(4) 疾病... | トップ | 私の外傷歴・疾病歴(6) 疾病... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自己紹介・自伝」カテゴリの最新記事