福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(6) 医療の歴史を振り返る(4) 戦後日本人は死を忘れていた

2015年08月27日 16時57分21秒 | 医療、医学
 8月は、お盆を中心に各家庭でご先祖様の霊を迎える行事を行い、墓石に手を合わせ、寺の本堂でご先祖を忍ぶ。ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされ、秋田の土崎の空爆もあり多くの方々が亡くなった。240万ともされる戦没者に思いを馳せ、靖国の意味についても考える時期である。

 こんな行事を通じて、おのずと「死」が身近に感じられる。

 日本は2005年から人口減少社会に入った。人口問題研究所の推計によると、高齢化は一層進み、05年に約108万人だった死亡者は2040年ごろには170万人にもなる。既に高齢者の死は日常茶飯事になってきている。秋田県の新聞の訃報欄は掲載しきれず、県南、県中、県北別に分けられて掲載される。

 戦時中は「いのち」は個人のものでなく、国民は天皇のものと考えられ、「いのち」が軽視された時代であった。戦後「いのち」の尊さを個々人が味わうことが出来るようになったが、逆に「いのち」、「死」を正面だって論じることは少なくなった。特に高度成長期を迎えることから、医療の世界ですら「生老病死」は忘れられ、患者の「死」は医療の敗北とさえ見なされた。現代人は「いのち」と「死」と「あの世」についての思考を放棄した。

 日本は高度成長期を迎え、すべてがスケールが大きくなり、スピードは速くなり、個人の生活も豊かになった。この時代に社会に出て、身を粉にして働いた、いわゆる団塊の世代の方々にとっては人生設計を全て右肩上がりに設定できた。
 すなわち、住宅を購入し、自動車で移動も便利になり、家事は電化し、暖冷房を含め生活環境も自由に調整出来る様になった。同時に、国民皆保健制度が施行され、医療医学が発展し、従来であれば救命出来ない様な重症な患者が助かる様になった。わが国の平均寿病も急速に伸びた。
 
 その結果、生きていることのリアリティーは喜びとともに十分に味わうことが出来たが、「死」の意味が見えなくなり、生活の中で「あの世」、「死」の実感が希溥になり、語らなくなった。「あの世」への思いと「死」とへの思いは表裏一体である。現代人は「死」について深く考えることをやめ、つとめて「死」を忘れて生きるようにしてきた。

 私など、医師になってからいままでずっと診療や講演を通じて人の「生老病死」を説いてきたが、さっぱり効き目が無く空しい努力であった。この主張が徐々に通じるようになったのは少子高齢化が現実のものとなり、医療費の窓口負担が増やされ、介護保険の負担が増額され、年金が減額され、かつ、生きる意欲が萎えた孤独な老人が増え始めてからである。

 「いのち」の問題を社会保障の経済的問題にリンクさせて論じることは我が国では忌避される。政治家がそんなことを言うと強いバッシングを受ける。が、高齢者医療の考え方は、「いのち」に対する考え方、死生観を変えていかなければ解決出来ないと思う。

 政府は社会保障費を、特に高齢者の医療費を出来るだけ縮小しようといろいろな策を提起して来る。しかし、制度や経済の締め付けだけからの発想は高齢者いじめにも繋がるし、「いのち」の価値にダブル、トリプルスタンダードを持ち込むことになり、社会のひずみを拡大することになる。

 各人が「いのち」を緩やかな曲線ととらえ、何れは消え去って行くのだととの発想に立てば全てが解決に向かう。
 必要な医療を受けながら、医療が発達しておらず、「死」がもっと身近にあった時代の感覚、すなわち「死生観」の確立に回帰することである。
 
 これは退歩ではなく、現代における生き方のための新たな進展なのだ、ととらえたい。
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