福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(4) 医療の歴史を振り返る(2) 子どもの成長と通過儀礼

2015年08月25日 06時41分21秒 | 医療、医学
 たとえ母子ともに無事に出産のハードルを乗り越えても、新生児は天然痘や消化不良でぱたばたと死んでいった。

 天然痘は中国・朝鮮半島からの渡来した人を介して伝播し、6世紀半ばに最初の流行が見られたと考えられている。735年から数年間西日本から畿内にかけて大流行し、高位貴族も相次いで死亡し、朝廷は大混乱に陥った。奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行である。

 天然痘の死亡率は20-50%とされる。当時、麻疹と並び子どもや若者の命を奪う2大感染症であった。そのため、天然痘を無事に乗り越えたときに、はじめて誕生を祝い、名前をつけた地方もあった、とされる。また、麻疹を乗り越えて一人前、と評価する風習もあった。

 天然痘、麻疹を乗り切ったとしても一人前に成長するまでに、命を脅かす様々な感染症が多数あった。現代医療の発達した中で生きる我々とは次元の違う世界であった。だから、子どもの成長にあわせた祝い事、すなわち通過儀礼が重い意味をもったのである。

 それらを拾ってみると以下のようなものが挙げられる。

# 帯祝い。妊娠5か月目の戌の日に、腹帯を巻く。
# お七夜。誕生7日目の祝い。
# お宮参り。男児は生後31、32日目、女児は32、33日目とされる。
# お食い初め。生後100日目の子どもに、食べものを食べさせるまねごとをする。
# 初誕生祝い。満1歳の祝い。
# 初節供の祝い。女児は3月3日、男児は5月5日に祝う。
# 「七・五・ 三」の祝い。三歳は乳児から幼児への成長(髪置き)の祝い、五歳は男児から子どもへの成長 (袴着)の祝い。七歳は女児から子どもへの成長(帯解き)の祝い。
# 「十の峠」の祝い。
# 「十三詣り」の祝い。
# 「成人式」の祝い。

 私など子どもの安全がほとんど確立した時代の子育てで、これらの通過儀礼を意識したことはあまりない。「七・五・ 三」の祝いだけは親の責任の一つと、3人まとめて護国神社にて一回で済ました。恥ずかしながら、写真で証拠を残しておくというよこしまな目的もあった。

 しかし、医療が発達していなかった当時、いつ急にいのちが奪われるかわからない時代、親・親族たちは常に不安を抱えて子育てしていたと考えられる。これらの通過儀礼の一つ一つが神への感謝と、その後の子どもの健やかな成長の祈願という、大きな意味を持っていたことを、今回医療の歴史を見直して再認識した次第である。
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