福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

レクイエムを聴く日々(3) 最近はムード音楽として利用している 


2014年07月05日 03時32分10秒 | 音楽談義
 昭和53年6月、母が64歳で死去した。死去した直後は苦悩から解放だったのだと納得したが、半年ほど経って母の人生は一体なんだったのか,彼女のために私は何も出来なかったのでは、と悲しみが襲って来た。これ以降、しばらくの間、私自身を落ち着かせるために宗教音楽のレコードを集中的に聴いた。レウイエムは自身の鎮魂のためであった。

 私はお経の録音を聴くのも好きであるが、あまりにも直接的で,やや暗い。この点、ヨーロッパで発達した宗教音楽は時に明るく、暗く,そして力強い。聴きながら目の前には宗教画が展開する。

 昨年から再び宗教音楽のレコードを取り出して聴き始めた。今回聴き始めた理由は、まもなくゴミとして処分されるであろうレコードを今のうちに聴いてい置きたいと思ったためである。



 宗教音楽の中で集中的に聴いているのはレクイエムで、これには名曲が多い。私が持っているのは20曲くらいである。その中で聴く回数を多い順に数曲上げると、チマローザ、ケルビーニ、フォーレ,モーツァルト、ペルゴレージ、の作品である。いずれも私の心に落ち着きをもたらしてくれる名曲である。



 レクイエムは音量を上げてまじめに聴くのも良いが、そんな聴き方を私は滅多にしない。通常は、音量を絞り、サブウーファーにて低音部を強調して静かに聴く。こうすることでレクイエムは、私に安息を与えてくれる。同じ様な気持ちを私は仏像にも感じるし、宗派を問わず宗教画からも感じ取る。とは言っても、私は信心深いわけではない。

 今はレクイエムを静かなムード音楽として、ながら勉強に、子守唄がわりに聴いている。
 特にチマローザのレクイエムが良い。前者ではレコードで聴き,後者の場合は同じ音源のCDで聴く。この曲は最近まで発見者(?)のネグリ盤しか入手出来なかったが、3種の音源が入手可能となり、私に取っては嬉しい限りである。
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