まやの午睡

日常の記録です。

6番目の孫の誕生

2024-03-02 01:05:00 | 日記
2/25の午前2時に長女の4番目の子供が生まれた。「末っ子ちゃん」はもう「末っ子ちゃん」ではなくなる。「末っ子ちゃん」のことはこれからAちゃんと書くことにしよう。
新しい末っ子ちゃんはAちゃんと9歳も離れている。妹ちゃんとは12歳、孫クンとは16歳の差だ。

長女は42歳。もともと「赤ちゃん」が好きな子だから、ひょっとして後一人くらい産むつもりかもしれない。

この末っ子ちゃんは孫の中で初めてパリ以外で生まれた。
5 人は、いずれも、生まれたその日にクリニックに訪ねに行った。
でも、今回はブルターニュだし、コロナ禍以来、父親以外には面会禁止ということなので、まああきらめはつく。

産休をとって、8月に復帰するけれど、もう単身赴任をやっていられないので、レンヌに戻るつもりらしい。昨年、ナントの大学病院だけではない何か大きな研究プロジェクトにかかわる膨大な予算をとることに成功して実績を残し、その「手腕」を称賛されているので、たとえ大学を去っても恨まれないという。フランスの医学界では一度国立大学病院の教授の肩書を持てば一生それを名乗れるのでこれから私立のクリニックへ移ってもステイタスが下がるわけではないし、仕事量は減らせて収入は増えるという選択もある。

まあ、何とかなるのだろう。
3300gで、身長は産院を出るときに測るのだそうだ。
来週は上の3人がまだバカンス中なので、先日長男が日本から持ってきたいろいろなお土産を夫に持って行ってもらうことにした。
パリ地方のバカンスは終わっているので私は生徒のレッスンがあるからいけない。4月の休みは日本に行くから、末っ子ちゃんに会えるのは夏のはじめになりそうだ。
今年の夏は長女たちといっしょのバカンスをとれないと分かった次女は、一家4人で日本に2週間の旅をする。KちゃんやPくんには初めての日本だ。次女やパパくんは長男のところに居候したことがあるけれど、4人はさすがに無理だろう。長女の一家5人が日本に行った時は、長男は自分のアパルトマンを引き渡して自分は出張していた。

私はもう10 年以上、日本の夏の酷暑を避けているから、フランスに残るけれど、オリンピックの喧騒を避けてどこかのバカンス村に行きたい。でも、開会式の切符を手に入れた長男が来るというのでそれもストレスになっている。

クリスマスに帰れなかった長男が、2/15~22までうちにいたので、久しぶりに義妹のところに行ったり、スキーから帰ってきた次女が子供たちを連れてやってきたりしてあわただしかった。
その間に、リールにいた私の代父が亡くなった。96歳、数日前から緩和ケア病棟でモルヒネを処方されていたので、2男2女の子供たちに見守られて逝った。孫やひ孫もたくさんいる。彼も、先に亡くなった義姉も、戦争を体験した世代だ。一つの時代が確実に終わった。

私の両親は、亡くなる2週間半前までは元気だった。父はちょっと具合が悪いからと言って病院まで歩いて行った。母は私と長男と旅行中だった。弱った親、苦しむ親、闘病する姿などを見なくてすんだ。
残していく家族の負担やトラウマにならないためには、最期の日をどういう風に過ごせば良いのかは分からない。分かったとしてもどうにかなるものではない。

今の私は、元気でいられるならできるだけ長生きしたい気分だ。今週生まれた妹ちゃんがどんな少女になるか見たいからだ。もう私より背の高い孫クンや妹ちゃんがどんな大人になるのかも見たい。
自分の子供たちも、成長につれてどんどん変わったし、性格も、関係性も変わった。その観察は楽しかったし、今も続いている。

誕生は奇跡だ。
たとえクローン人間を作れたとしても、「最初の命」のひと押しを技術によってゼロから創ることは不可能だ。
すべての命は「授かりもの」で、生まれた後も、多くのものを与え続けてくれる。

代父に出会ったのは48年前。いつも穏やかで優しい人だった。
思い出だけでなく、たくさんのものをもらった。長男が一歳の時に、私と夫が一週間イギリス旅行をしたときに、私たちの出発を意識しないようにと、長男の手をつないで朝市に連れて行ってくれた。その姿が忘れられない。

末っ子ちゃんとはどれくらいの思い出を作ることができるのだろうか。
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2 コメント

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遅ればせながら (ままちゃん)
2024-03-11 02:33:45
先にコメントをいただいた際に申せばよかったのですが、遅ればせながら、6番目のお孫さんお誕生おめでとうございます。長女様は現役医師・教授で4人目のお子様誕生とは、なかなか偉いお母さんですね。ご多幸をお祈りいたします。

そういえば長男も南加のある大学で眼科学教授でもあり、眼科外科手術と兼ねて働いていましたが、臨床が好みで、そちらに重点を置くのと一人娘のために臨床医としてオレンジ郡のラグナビーチで開業しています。

お嬢様の教鞭を執られる大学病院のあるナントはThe Edict of Nantesで有名なNantesですね?フレンチ・ヒューガノット(ユグノー?教徒)の祖先が、ナントの勅令が無効・廃止によって起こり始めた迫害を逃れるために、1685年新大陸アメリカに1万5千人が移住し、後にヴァージニア州マナキンタウンに拠点を持ちました。その初期指導者のHuguenotsのある父と息子の記録がマナキンタウン資料館にいまでもあり、その子孫のひとりが夫です。Huguenotsは、フランスで医師や商人、実業家など市中に住む人々が多いのですが、うちのような平凡な家族の息子が医師になるとは、非常に薄まっているとは言え、その祖先のDNAかもしれないと親バカな母親は思います。Huguenots以外にも、Quakersも母方にいて、これも初期の指導者の祖先がいます。夫のアメリカ建国前からの西ヨーロッパからの移民先祖は、故国でのプロテスタントへの迫害を逃れて、新地での宗教の自由を求めてきたのでした。

最後にSekko様ご家族に多くの祝福がありますように。
お返事遅れてすみません (まや)
2024-05-09 01:05:04
記事にも書きましたが、ずっとあわただしい時期が続き、コメントいただいたのも気づかず、4月分の投稿もとばしてしまいました。
ままちゃんさまのご一家は皆さんずっとカトリックなのかと思っていましたが、プロテスタントにもルーツがあるのですね。さすがアメリカ。

ままちゃんさまが、お孫さんも交えて新しい生活のリズムの中でいつも心温まるブログを更新してくださるようになって、安心と同時に感謝しています。

今の私は、孫の数、というより、上の16歳と下の2ヶ月という年の差の断絶に慣れず、おたおたするばかりです。下の子が歩いたりしゃべったりコミュニケーションが取れる頃には上の子は自立しているんだろうなあ、そして今2ヶ月の孫がどんな人間になるのかを見るまで私たちは元気でいることができるのだろうか、などと自問せざるを得ないのです。

でも、この世の人の命など、いつどうなるかは分かるはずもなく、ただただ、私の生きている間は、子供たちや孫たちが元気でいてほしい、などと祈るばかりです。

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