まやの午睡

日常の記録です。

30年来の友の死

2023-02-08 01:29:21 | 日記
1月はギターのコンサートとヴィオラのコンサートの準備と練習で忙しかった。
両方とも何とか無事に済んで、3月に出る本の最終校正なども終わり、さあ、2月からは猛然と書き下ろしに集中、などと予定していたのに、2/1の午後に、ピアノの生徒をおくりだしてプライベートゾーンに戻ったら携帯にメッセージが残っていた。そのつい3日前に会うことを約束していたのをこちらの都合でキャンセルした友人Tさんがその朝に急逝したという知らせだった。

T さんとは月に数度は2時間近くの長電話をする仲だった。同年配だ。ワクチンを打たない選択をしていたのでここ3年は、前のようにカフェやレストランでおしゃべりできず、彼女のうちに行っても、ヘビースモーカーなので、一時間以上向かい合っていると私は喉をやられるから、ますます電話が主体になった。

私は普段フランス語しか使わない。猫に時々「おりこうさんねー」などと話しかけるけれど、レストランに行ったりうちに集まったりする仲間はみなフランス人だ。本や雑誌やテレビやラジオもみなフランス語なのだけれど、ネットの雑誌配信サービスを長男に入れてもらっているから、日本にいた時よりも多くの雑誌をぱらぱらとだけれどタブレットで読んでいる。他に日本語のネットニュースや愛読ブログもあるので日本語を「読む」のは普通にあるし、ブログや執筆で日本語を「書く」時間も平均的日本人よりかなり長いだろう。
でも、日本語を「しゃべる」のは、昨年秋に3年ぶりで日本に帰った時は別として、この3年間、ほぼ、Tさんが相手だった。もちろん他の日本人ともお話しする機会はあったけれど、アーティスト仲間のMさんやバレエのクラスで知り合った方たちを除けば、他の方のほとんどはみなTさんつながりだった。それほど、ネットワークの中心にいた人だったのだ。

亡くなる少し前にも大貧血を起こして倒れ、その後寒気がして、胃腸もおかしくなって、などという症状があったそうだけれど、 Tさんは何しろ小学生の時に「健康優良児」に選ばれたそうで、あちこちの具合が悪いというわりには「不死身」のワンダーウーマンみたいな人だったのでまさか、自宅で意識不明になり、医者が来た時にはもう絶命していたという展開など想像すらできない。

親しかったのに、これを書いている時点で、一度も涙を流していない。

信じられない、現実感がない、最初に頭に浮かんだのはごく実務的な問題、彼女に預けていたパリのアパルトマン2ヶ所の鍵を回収しなくてはということくらいだった。

32年前に彼女と私を引き合わせてくれた日本人女性はYさんという方で、当時私のうちに住んでいたオペアの女子学生の知り合いだった。そのYさんはそれから4年後に、たった37歳でガンで亡くなった。病院で彼女が最後に会いたがったのは私だった。日本からご両親が来るまで私は、憔悴のあまり日本語が出てこなくなった中国人の夫君やまだ小さかった彼女の子供たちのためにいろいろフォローした。
その時のトラウマはまだ残っている。
彼女の葬儀にはTさんも出席し、その後も時々ふたりでYさんの最期について話したものだ。

そのT さんの訃報に接して、私が無意識に思ったのは「今回は自分が一番親しい日本人と見なされませんように」ということだった。Tさんの夫君は日本人だし、T さんが周りに築いた友人の輪は大きく絆が強かった。
特に20年前にお父様の遺産を相続してパリに大きなアパルトマンを買った後は、その一部を日本から来る方に提供するなどでますますネットワークが広がっていった。
彼女の人望は厚く、日本に所有したままの実家周りの友人の輪も強固だし、私の出る幕はないだろうとほっとして、なんだか「現実否認」の状態のままこれを書いている。
葬儀は3日後。宗教的なセレモニーは何もない。
相談されれば私は仏教のお坊さんのお経でもキリスト教の司祭さんの祝福でもなんでも調達してあげることができるのだけれど、夫君は「無宗教」で通すそうで、日本からもご親戚は来れない。

28年前のYさんの逝去の時は私も夫も若かったから、身につまされることはなかったけれど、今回は、いろいろ考えさせられた。

私は来年春の日本のコンサートを夢見ているし、その前にこの夏のダンス付きコンサートを実現させたいし、今秋出る予定の本や今から書く書き下ろしの他に少なくともあと3 冊はどうしても書き残したいものもある。でも、明日のわが身は?

テロは?
ウクライナ戦争は?
天災や病気や事故は?

「大丈夫だよー、まやさんだったら、楽勝だよー」というTさんの声がなぜか急に頭をよぎった。そうだ、確かに、彼女がここにいたら言いそうなことだ。

私に与えられる時間を無駄にしないように生きたい。