まやの午睡

日常の記録です。

ジョークが通じていなかった

2020-03-25 19:25:20 | 日記
これは昨日の記事の続き。

昨日、長男から、「小包を送ったよ」とLineで連絡がきたので、「マスク?」と返事して、マスクをかけた人が蒼い顔をしているアイコンを付け加えた。もちろんジョークのつもりだった。
あまりに意外だったので「わーい、ありがと、中はなあに?」などと言えなかったのだ。

すると、今朝彼からの返事が。

「マスクはもう売ってないんだよ。」
「手を洗ってうがいして、マスクも洗って使うように節約して」
「でも、うがい薬と葛根湯は入れておいたからね」

と返事が来ていたので驚いた。

まさか、スーパーも徒歩1分で行けるリタイア夫婦の私たちが、誰かがマスクを送ってくれることを祈って待っていたと本気で思った?

「あれはジョークよ」
「マスクは足りてるし、ママは洗えるガーゼハンカチ使ってるし、そもそも外に出ないし。」

うーん、親切な長男に心配させてしまって、親として失格だなあ。
でも、感無量。
一体だれに育てられたらこんな優しい素直な子が…。(答え: 夫)


長男の小包

2020-03-25 07:40:00 | 日記
外出規制が続くフランス。

パパくんの叔母さんが大量に送ってくれたというホメオパシーのチューブを次女が分けてくれたことを前に書いた。施設にいるパパくんの96歳のおばあさまが心配だったからだろう。
叔母さんは医者で、ホメオパシーにも詳しい。次女は彼女の処方してくれた「安産」の薬をずっと飲んでいたせいかとても順調だったし、Kちゃんが赤ちゃんの時に口内炎で小児科の薬を飲んでいた時に、義兄が処方してくれたホメオパシーの薬を水に溶かして哺乳瓶で飲ませたら、次の日にはきれいに治っていた。

で、今回のものは、もともと「クラゲに刺された時」に呑むもので、とても効くのだそうだ。ところが呼吸器、上下気道、肺炎にも効くという。義兄に知らせたら、彼はクラゲの毒のことしか知らなかったので、意外に思って調べてくれて、確かに有効だと太鼓判を押してくれた。そして自分たちもさっそく発注した。

ホメオパシーは、赤ちゃんやペットにも劇的に聞くことがあるのでプラセーボとは言い切れない。
今回の場合は、効くか効かないか、信じるか信じないかは別にしても、「効く」と言われたものを飲んでいるだけで気が休まるなら免疫力も上がるだろうし、副作用はゼロだから、12日間の処方を夫といっしょに始めた。

まあそれはいいのだけれど、私が驚いたのは、次女がわざわざそれを日本にいる長男の所にまで郵送していたことだ。(長女は日ごろからホメオパシーを信じていないと言明しているので、彼女に送ったかどうかは知らない。)

で、今日は、長男から、私たちに小包を送ったから、と連絡がきた。
私は「マスク?」とジョークを返したのだけれど、実はすごく驚いた。

いつもは長男がフランスに来るときに、私は持ってきてほしいもののリストを送る。
この2月末にスイスに出張が決まっていたのでもちろんリストを送っていた。
そのスイスのサロンが新型ウィルスのせいで中止になった。
でも、4月初めには私が日本に行くのだから、長男に買っておいてもらったものや私がいつも補充する日本の食材やらあれこれを買うつもりだった。

それも中止になったので、さすがに、ストックが減り始めた。
でも、まあしょうがない、と思っていた。

基本的に不要不急のものだし。

長男に「小包で送って」と頼む発想は1ミリともなかった。
新型ウィルス、日本でだってこれからどうなるか分からない。
東京メトロで通勤してるし、一人暮らしだし、彼の体調の方が心配だ。

そしたら、なんと小包を送ってくれたとは。
中身が想像できる。
まるで、うちの母がのりうつったみたいだ。

うちの母が日本から送ってくる真心こもった荷物でいつも幸せを分け合った私たち。

日本に住んで以来、長男がその後を継いでくれているのは知っていたけれど、フランスでこういう思いがけない「外出規制」が出て封鎖状態になった時に、「救援物資?」をわざわざ送ろうと思ってくれるなんて。 次女のホメオパシー郵送にインスパイアされたのかもしれない。
長男にも、次女にも、母にも、感謝しかない。
夫はもちろん、平時でも、自分の気に入った栄養補助食品などを、わざわざ親戚に分けるほどの人だから、子供たちにとっては自然な流れなのだろう。

長女は、患者さんに声をかけるために遠隔治療も含めて、親身にがんばっている。
婿クンは、子供たちの勉強タイムとアナログゲームのタイムを振り分けて、うまくオーガナイズしている。
料理はお菓子作りも含めて得意だから、なごやかにやっているだろう。

「非常時」にありがたみばかりが身にしみる。




移動規制が出たフランスで

2020-03-19 02:57:07 | 日記
前の記事を書いてから10日ほどしか経っていないのに状況があっという間に変わってしまった。

ヨーロッパでcovid19が蔓延して、あれよあれよという間に、EU国境封鎖、だけでなく、EU内の国境も封鎖されるところが多くなり、一つのヨーロッパとか連帯などの言葉がふっとんだエゴイズムぶり。これはサニタリーというより政治的パフォーマンスで、トルコから押し寄せる難民たちをギリシャ側が傷つけたり殺したりしても、もうそんなことは、ニュースにならない。
フランス政府は、まず学校を休校にし、レストランやブティック、カフェ、シネマなどを閉鎖したのに、フランス人が相変わらず公園や河岸に集まって初春を謳歌している姿に頭にきて、ついに罰金付きの隔離政策に踏み切った。

レストラン閉鎖の間際の真夜中まではどのカフェもバーもいっぱいで「最後の晩餐」だとばかりに盛り上がっていたし、外出制限が発令される正午の前は買い物客がスーパーなどに押しかけていた。

でも、いざ、封鎖?が始まると意外におとなしい。
テレビがみなコロナ特集でいろんな人の生活の変化の様子や怒りや不安も延々と垂れ流すので、アディクションのように一日中見ている人もいる。
SNSも盛り上がるし、映画やドラマのネット配信にのめり込む人もいるし、まあひと昔前と違って、引きこもり方の選択肢はいろいろある。

4/1に日本に出発する予定だった私のアンサンブルのコンサートはもちろん中止となった。
3/17から少なくとも1ヶ月は不急の用でEUから出ないように要請があるし、日本の方もEUから入国する人に14日間の自主隔離を要請することが決まった。
すでに、こんな風にヨーロッパが「第二の中国」化してから、もう「世間の目」が怖くて日本に行くのが恐ろしくなっていたところだ。主催者にも迷惑をかけるかもしれない。でも向こうから中止と言いだしにくいだろうからこちらが忖度してキャンセルするべきなのか・・ト悩んでいたので、こういう「不可抗力」の事態になって、ある意味であきらめがついてほっとしている。

これが日本に出発した後で、このような封鎖になっていたら、と思うと、2週間前に決まってラッキーだった。
そういう時に、うちの夫を一人で残すのも不安だ。
このままだと5月末のカナダも、6月末のKちゃんPクン連れのバカンス村もあやしくなってきた。

次女はテレワークで、パリのアパルトマン住まいだから、いっそ別荘に行こうかと迷ったらしい。 K ちゃんも、世間の不穏な空気を感じているのかぐずることが多いという。
長女の方は、婿クンがテレワークで、庭もあるし、長女の勤め先には自転車でも車でも近いし、抗癌剤投与の患者さんなど抵抗力の弱っている人を受け持っているから、感染リスクの高い緊急病棟に今のところは駆り出されていない。

私は11日のコンサートを終え、12日の学会にも参加し、13日にカルテットとトリオの練習もできたのに、その夜からすべて閉鎖になって、日本に行く前に予定していたコンサート2つももちろん中止、それどころか移動制限のせいで、トリオの練習すらできなくなった。学校が閉鎖という段階では、トリオのメンバーはそれぞれ教師なので、これでゆっくり休める、コンサートのために集中できる、とむしろ喜んでいたのに。

その後、3人で何度もやりとりして、泣いたり笑ったり、という感じだった。
確認できたのは、私たちのやっている音楽の存在価値、分かち合いの価値に対する確信だ。
ウィルスは国境も超え、人種や身分も関係なく肺にまで達するのかもしれないけれど、音楽の中には入りこまない。
ウィルスは、「美」を侵襲せず、「美」を継承し養い分かち合うことで生まれる幸福を傷つけない。

私たちの今回の沖縄支援コンサートの気持ちを多くの人が応援してくれた。
彼らの間で生まれた連帯は貴重だった、無駄ではなかった、と言ってくれた人がいる。

私は今回中止にしたら、なんだか気が抜けてやる気がなくなるのではないかと懸念していた。
でも、仲間も、コンサートを楽しみに大阪や名古屋からも東京のコンサートを予約してくれていた人も、「次の機会」を口にしてくれた。
私たちのためににも、コンサートの翌日に琉球古典音楽の紹介を企画してくれていた沖縄の人たちの心遣いも無駄にしたくはない。

私は少なくとも今の時点では、発熱や風邪の症状もないから、もうとっくに感染して無症状か軽症で免疫ができているのか、まだ感染していないかのどちらかだと思う。夫もそうだろう。
元気なので、今感染していて潜伏期でこれから発症して重症化して死に至る、などという可能性は、いたって低いと思う。他の病気に罹る可能性の方が高いから、この機会にゆっくり休んで体力をつけて、バロックバレーの振付をおさらいして、庭で日光浴し、エアバイクを漕いで、ヴィオラでテレマンを弾きなおし、溜まっている本を読み、抵抗力をつけ、他の人の役立つメッセージを発信していきたい。

しかし、生徒も来ないし、こういう「バカンス」っぽい状況で、孫たちの世話さえ頼まれない(彼らも移動規制だから)という状況は初めてだ。しかも、日本のコンサートのために、ブログは4月末まで予約投稿を済ませているし、連載原稿ももうとっくに渡しているし、日本滞在予定期間のフランスでの予定はもちろんゼロだし、ゆっくり練習できるように何の仕事も入れていない。

この「移動規制」が悪夢のように振りかかる人もたくさんいると思う。
複数の赤ん坊や幼児を抱えているとか、仕事ができなくて生活に支障が出るとか、他の病気の治療中だとか、事故で入院中や妊娠中とか各種試験の準備中とか、家族の介護中とか、あるいは介護すべき家族に会いに行けなくなるとか、大切な行事がすべて中止になって多大な損失を被るとか、仮設住宅に暮らしているとか、難民収容所にいるとか、考え出すときりがない。ボランティアの人たちがすべて足止めをくっている。

私には扶養家族もないし、高齢の親もいないし(というより、子供たちが皆、パパは元気? おとなしくしててね、と声をかけてくれ、ホメオパシーのおすすめチューブを郵送してくれたり、私たちが「高齢の親」だ)、働けなくなる従業員を抱える責任もないし、ついでに「盲腸」ももうない。このままうまくこの期間を乗り越えれば、この幸運を最大に生かして、困っている人に何らかの形で役に立ちたい。

思えば、日本ってなんだか中途半端だ。
同調圧力が強いから、自主的に外出や旅行は控えられているので移動規制などの必要もないし、だからといって、学校は急に休校になったり、政治的にも経済的にも、習近平訪日やらオリンピックやらのせいで、いろいろな対策やタイミングが分かりにく過ぎる。不安はずっとある。
鬱々としている人、不安を抑圧している人も多いのではないだろうか。

ああ、音楽を届けたかった。

世界女性デーに思う

2020-03-08 19:13:41 | 日記
3/8は世界女性デー。
パリでは、しっかり大規模デモが予定されている。

最近、中満泉さんという国連の上級職員である方のブログやツイッターを少し拝見する機会があった。
日本のジェンダー平等指数が底辺にあることも当然言及されている。
彼女は責任ある超多忙の仕事に付きながら、気負いせず自然体でやさしく可愛い感じの若々しい50代で、まだ学生のお嬢さんが2人いる。で、自分が家庭ではごく普通の生活を送っていることも知ってほしくて、お弁当写真などをアップしているとインタビューで語っている。
お嬢さん2人と用意したというおせち料理も本格的で、節分やひな祭りなどの食事、お正月の母子の着物姿など、「普通」どころか、海外住まいでいわゆる国際結婚(彼女の夫君は日本で公使もつとめたスウェーデン人外交官)をしている日本女性としてかなり本格的な「自国文化の継承」にたゆみない。
そしてもちろん夫君は、子育てのすばらしさを語り、家事にも協力。

こういうのを読むと、すごいなあと思うと同時に何だか悲しくなる。
こういう「ハイ・キャリアのカップルが築く理想の家族」って、日本以外で、日本人以外の配偶者とでしか成り立たないのだろうか、と思ってしまうからだ。

昔、フランスで私と同世代で「日仏家族の会」というのがあって、そこにいた日本女性は日本で高学歴の方が多かった。海外旅行や留学が少ない時代にパリに来た方で、1970年の大阪万博のフランス館勤務などを経てお連れ合いとめぐりあった、という例が少なくなかった。
けれども、フランスに来れば、日本の学歴を生かすことができず思うような仕事も得られないということで、フラストレーションを抱える方もいたし、その中で、「日本的な伝統」を子供たちに伝えるというのを使命と生きがいの一つになさっている方もいた。日仏家族の集まりでの「フランス人」夫たちは、なんとなく日本人の男風のふるまいをしていた。中には妻よりも学歴の低い人もいたけれど、フランスでは自国語で優越できるので、かえってマッチョにふるまう人もいた。

インターネットを通じて日本のさまざまな女性の本音や不満や実情を見たり聞いたりする今となっては、正直言って、国連などの統計だとかを見なくても、日本での信じられない女性蔑視の実態(それはご多聞に漏れず、多くの「母親」たちも自ら娘たちに再生産してきた圧力だ)には驚きの連続だ。
そんな現実を前に、「海外」で「理解のあるジェンダーフリー」の配偶者に恵まれて充実した生活を送っている女性の話を聞くのは、なんだかますますハードルが高くなる気がする。

こんなことを書くと「お前もそうだろう」と言われそうだけれど、うちはジェンダーフリーでも平等でもない特殊例なので、ますますフェミニズム論壇に口出しできない。
うちの夫は自分の方が私より「大きくて強い」という認識のもとに、全てを引き受けようとする人だ。
家事の分担や育児の分担などという意識はゼロ。
辛いこと、面倒なことなどはもちろん担当だし、担当意識すらない40年以上の生活。
(日本で付き合っていた人たちも、少なくとも私に近づいてくる人たちは、「尽くし型」だった。夫との大きな違いは、夫は私にも尽くしているけれど、相手が私の父や母であっても、同じだというところだ。年とった私の母と私では、まず私の母を優先する。自分の子供とより弱い他人の子では、より弱い他人の子を優先する。それは愛でなく原則だ。)
日本の伝統とか日本食とか言っても、私は日本で一人暮らしをしていた時も「炊飯器」を持っていたことはない。子供たちが小さいときは、「日本」とは私の両親であり、雛祭りも端午の節句も、母から送ってくる小包が「日本」だった。「日本食」も母がうちに来て作ってくれたり、子供たちが母の家で作ってもらったりするものだった。私には「形」へのノスタルジーはない。私の生きてきたすべてが私を形作って来て、それで得られたエッセンスを子供たちに伝えればいいと思っているからだ。そして時代も変わればスタイルも変わるから、全ては柔軟に変化する。
私はうちに孫をあずかっている時に、オムツを変えたこともないし、寝かしつけたこともない。
さすがに自分の子供の時は、夫が役所に行っている間でベビーシッターを使わない時は私がやっていたけれど。それでも、子供たちの食事を私が支度する時は、かわいいお皿、旗などのデコレーション、模様切り、彩りを自然に考える。私は家庭内でチューリップ型以外の半切りゆで卵を見たことがないし、配色を無視した皿をみたことがないからだ。

今私が二人暮らしのいわゆる「家事」で受け持つのは食事の支度だけだけれど、それは、私が好きなものを好きな時に好きなように食べる自由を確保するためと、自由業の生活にメリハリをつけるのに有効だからだ。でも「受け持ち」を課されているわけでないから、好きな時に友人とレストランに行ったり、子供と旅行したり、日本に行ったりしている。
日本の行事や伝統の一番のファンは長男で、母に代わって小包を送ってくれるくらいだ。
長男のうちでの食事では、彼が料理だけではなくて食卓のセッティングや皿の盛り付けや彩りを自然に考える。食後にリンゴの皮をむくのだけは、私。これは夫がずっとやってきたので「リンゴの皮をむいてもらう」というのが、子供たちが「子供に戻る」というほのぼのタイムらしい。
で、子供時代は母が雪ウサギ型に切ってむいてくれたリンゴ、とすりおろしてくれたリンゴ、結婚してからは夫がむいて握りずし的に配ってくれるリンゴ、コンポートにしてくれたリンゴしか口にしない私が、息子にリンゴをパパ風に切ってやる。自分で釣った魚を捌ける長男が、「僕は人生で一度もリンゴの皮を自分でむいたことがない」と満足そうに言うのを聞くのもうれしい。
こんな自分の「生活史」が、世間の女性とかけ離れていることは知っていたけれど、それは他の人と「比べる」という種類のものではなかったし、「フェミニズム」とのとっかかりもなかった。

けれども中満泉さんのようなジェンダーフリーで家庭生活も充実していて、国際的なやりがいのある仕事の第一線でスーパーマンのように飛び回っている方の暮らしをネットで拝見することができる今、きっと、彼女のようなやる気も能力も満々な多くの女性が世間や社会や家族からの差別や偏見や圧力に阻まれて、実力を発揮できていないんだろうと想像できる。

多くの女性は、別に「より大きくて強い」存在から守ってもらおう、尽くしてもらおう、などと望んでいるわけではない。自分の望んでいること、できることをリーズナブルに追及してチャンスを最大化できるような環境を望んでいるのだ。

私は例えば長女のように積極的に世にはばたくようなタイプとは全く逆なので、これまで平穏に、「守ってくれる」タイプの人に囲まれてきたのに満足しているし、それが全くの幸運だということも理解している。
学生の頃、私がおしゃれして父とお買い物に出かけるのを見たある女性(母と同年代の人)が私に「あなたみたいにラッキーですべてがうまくいっている人って、これからの人生で困難に出会ったら何の抵抗力もなくてぽきっと折れてしまうのよ」と面と向かっていった。「余計なお世話」だとはその時もすぐ思ったけれど、今でもそれを覚えているのは、たいてい、「あなたってラッキーね」と羨ましがられる中で、そんな言われ方をされたことがやはり印象的だったからだろう。

それからちょうど半世紀経って、今でも私は「ラッキー」を享受しているけれど、そのラッキーが脆弱さではなくて、なにものかによって、他の人との分かち合いへと着実に向けられている気がする。「ラッキー」の意味も生かし方も、時と共に、状況と共に変化する。

暴力や制度や偏見や伝統のせいでその「ラッキー」を奪われている人々に何らかの形で役立ちたい、とすなおに思える今の心境こそ、母や夫に養ってもらった信頼の最大の成果だと感謝しかない。

娘たち一家に元気をもらう(疲れたけど)

2020-03-05 06:11:03 | 日記
2月の末の週末、クリスマスでもないのに長女一家と次女一家がみなうちに集まり、まだ赤ちゃんのPクンをのぞいた10人分の食事を3度用意するはめになった。クリスマスのようなプランを立てていないからストックしてあるもので組み合わせたが我ながらなかなかうまくいった。

長男も3月初めに寄るはずだったけれどチューリッヒでのサロンが中止になってキャンセルした。
彼は毎日銀座線に乗って通勤しているので心配だけど本人は全然気にしていない。マスクは会社が月20枚支給してくれるそうだ。
札幌の雪まつりにも行っていたからそれも気になったけれど、大丈夫そうだ。

長女は秋からN大学の医学部教授に任命される予定らしい。でも、レンヌの受け持ち患者さんたちには長女がN 市に移ったらN 市に引っ越すとまでいう人もいるようなので、少なくとも1年はレンヌでも自由診療として週の半分は勤務すると言っている。
問題は婿クンの仕事だけれど、やはり長女を頼りにしている患者で、長女がNに移るけれど連れ合いの仕事で迷っているという話をした後で突然メールを送ってきた男性がいる。
彼はNの外務省の人事で働いてきた人だったらしい。婿クンが内務省から外務省に移る可能性も見えてきた。

長女は、メラノーマ治療の選択に役立つ画期的なソフトを開発するプランを立てている。
彼女は皮膚科医と腫瘍医の2つの学位を持っていて、フランスでは皮膚癌は皮膚科医が診るので、何しろ皮膚だから、「観察」することで多くのことが分かる。でも日本やアメリカでは、ガンになると皮膚科から腫瘍医に回されるので、表面を見ることなく治療方針を立てられてしまう。そこには明らかなエラーの可能性がある。
長女はどの場合に免疫療法が効くのかについてある発見をしたのだが、シカゴの学会でも、フランスでも、エビデンスを出せなくて信じてもらえなかった。今は、前に日本の学会で知り合った日本の腫瘍医にも協力してもらって統計的エビデンスを出してソフトウェアを作ることを目指しているそうだ。

私は、病院にいる時間の長い彼女がウィルス感染しないかと老婆心で心配なのだけれど、長女は自分の画期的な発見に夢中だ。
次女の連れ合いのパパくんは5月のフルマラソンに挑戦するそうでトレーニングを始めた。今まではハーフマラソンしかしていない。年末年始のパリの交通ストの時毎日自転車通勤してパリを横断していたから体力もある。彼も、新型肺炎などどこ吹く風という感じだ。

長女一家とパパくんとKちゃんは、2月の3週目、一緒にスキーに行っていた。子供たち4人はそれぞれのクラスの終了メダルをもらえてご機嫌だ。次女はPクンとパリに残っていた。
2月の最終週はパリはもう幼稚園が始まっていたけれど、レンヌはまだ冬休みなので、長女の子供3人は、前半は婿クンの実家、後半がうちにやってきたのだ。で、週末に次女一家も全員合流したというわけだ。
この二家族、ますます仲がいい。この夏もまたいっしょにバカンスに出かけるようだ。
婿クンとパパくんが仲良しだし、婿クンの性格がとにかくいい。最初にシスター・クレールに会った時、「あなたの娘は運がいい、この子(婿クン)は宝石のようだ、天使のようだ」と言っていたのを今さらながら思い出す。その時は「婿クンだって運がいいですよ」と言い返したかったけれど、本当に婿クンは理想のパパ、理想の夫、理想の婿だ。孫たちもみんなとても仲がいい。

彼らが帰った後は、私はすぐにコンサートを聴きに出かけた。帰ってきたら、夫が全てのシーツを洗い終えていた。アイロンがけにさらに一日費やしたようだ。
若い彼らのエネルギーを前にすると、近頃の新型コロナパニック報道が別世界のことのようだ。
アメリカで9・11パニックの時、CIAは、アルカイダは少数派で、イラクのサダム・フセインは関係していない、あなたがテロリストにやられて死ぬ確率よりスズメバチに刺されたりイヌに咬まれたりして死ぬ確率の方が65倍高い、と言ったそうだ。でも人々は恐怖に震えた。(長女はちょうどその時NYの医学部で研修していたけれど全然怖がっていなかった。フランスへの帰国を望んだ人が殺到したので、長女は帰りの飛行機の席を希望者に譲って、予定より長く滞在できたと言って喜んでいた。)

今、日本では、みんなが外出を控えているのに家族で遊びに出かけるような人はウィルスを媒介するかもしれないから迷惑だ、という感じの「同調圧力」が広がっているそうだ。実際、無用な外出も控え、うちに引きこもってネットを見ているという人も多い。
ウィルスに勝つために国民一致団結で協力、なんて言葉も出ている。
日本にいなくてよかった。私は今日も、子供たちを含めた大弦楽オーケストラで11日の演目のリハーサルに行っていた。みんな楽しそうにやっている。

一体私たちは何が一番怖いのだろう? 死ぬこと?
うーん、何時か必ず何らかの理由で死ぬことは分っている。 
怖い死に方は嫌だ。殺し屋が悪意と刃物を持って近づいてきて刺されるとか、迫ってくる津波に呑まれるというのは確かに避けたい。
でもそれだって、生きている条件や環境を選べないように、選べるものではないから、いたずらに怖がってもしょうがない。
ホームレスで凍え死ぬとか、暴力を受けて死ぬとかも嫌だけど、ほぼ普通に暮らしていたのに何らかの病気になって、病院で手当てを受けたけれど結局だめだった、というのは、まあ、ましだとしか言いようがない。

人生の目的は「死なないこと」ではなくて、生きている間に「よく生きる」ことで、それは、私にとっては殻に閉じこもって安全を確保することではない。
もはや直接の責任がある子育てなどは終わっているから、今は、できるだけ多くの人に寄り添って生きる喜びを分かち合うというフェーズにあると思う。幸い私には他の人と分かち合えてみんなで楽しい気分になれる音楽や踊りがあるし、それをささやかでも生徒たちに伝える活動もある。

ウィルス感染の拡大よりも、パニックや相互監視の空気の方が、怖い。
これから、どうなるんだろう。