Kチャンが新学期で幼稚園の年中組で水彩絵の具を使った絵を5枚描いたのを次女が並べて写真を送ってくれた。
上から順番に色鮮やかでモティーフも多く、下に行くほどあっさりしていて、一番下のは一色で「手抜き」観。
で、K ちゃんによると、上から、ミア、ピア、ママン、パパ、P くんのために描いたものだそうだ。
えっ、それって、私がひょっとしてヒエラルキーのトップ? と書いたら、次女が「ふん!」とリプライしてきた。
私が子供に人気があるのは、たぶん「絵がうまい」からだと思う。
どんな絵でも、たちどころに描いてぬり絵ができるようにしてやれる。
フランスに来て間もない頃の家族のパーティでも、その頃まだ幼かった姪っ子たちが私の前に列を作ってその頃フランスで放映されていた日本のアニメ「キャンディ・キャンディ」みたいな女の子の絵を描かされた。長女が小学校に入った時も、友達からバレリーナの絵の「注文」をたくさんとってきた。今は私の知らないゲームのキャラなどを注文されて困るけれど、ネットで検索してたちどころに描いてやれる。
あとは、思い当たるとすれば、小さな孫が来るときは、日本で買ったお子様ランチ風のかわいいお皿に、彩りよく盛って、これも日本で買ってきた爪楊枝についた万国旗だとか、かわいいキャラの飾りをつける。前にも書いたけれど、例えばゆで卵をチューリップ型に切らないなんて私には考えられない。今ではインスタ映えするキャラ弁とかが流行っているそうだけれど、私の場合は、ただ、母が作ってくれたものの繰り返しで、それ以外あり得ないのだ。お誕生日などの飾りつけや演出も、母譲りだ。
で、その二つを除くと、私は実に何もしていない。このブログで書いているように、孫をあずかるのは感情労働でつらいという思いの方が大きいし、目の前にいないと心の表層に彼らの占める場所は限りなく少ない。
いわゆる「世話」はしない。
孫クンが一歳の頃に肩を痛めたせいで、私は抱っこもしなければおむつも替えない、という了解が定着してしまった。
だから、それ以降は、孫クン、妹ちゃん、末っ子ちゃん、K ちゃん、Pくん、誰一人として風呂も入れていないしおむつを替えたこともない。寝かしつけもしない。
それなのに、ヒエラルキーのトップなんて、楽勝。
うちの猫ズにとっても明らかに私が夫よりも上位。
これも、トイレ砂の世話をしたり掃除したりするのは夫だし、いつも水やカリカリを補充するのも夫。
私は、よりおいしい餌をセレクトして、お座り、お手、伏せ、コロンなどの芸をさせる。
二匹の猫はいつも私のいる場所についてきて、呼ぶと答えるし、書斎のドアの前でじっと待っているし、完全に「犬」みたいだ。オスだからかなあ。なぜだろう。
で、夫の脳内ヒエラルキーと言えば、これは「相対的」であることを認めざるを得ない。
つまりその場にいる「相対的弱者」がヒエラルキーのトップであり、それに仕える。
私と二人なら自分の方が大きくて強いとおもっているからひたすら私に仕えるけれど、私の両親がいると、より高齢の彼らが上になっていた。赤ん坊がいるともちろん赤ん坊がトップ。これは身内かどうかとも関係がない。
私の脳内ヒエラルキーはどうかなー。
ヒエラルキーというより、「優先事項」の振り分けで「格付け」しているかもしれない。
「必要としてくれる人」を優先するという感じかも。
身内にはあまり「頼りにされていない」から、身内は優先カテゴリーではない。
思えばそれはありがたいことだ。私などを頼りにしないで何とか元気でやっていってほしい。
上から順番に色鮮やかでモティーフも多く、下に行くほどあっさりしていて、一番下のは一色で「手抜き」観。
で、K ちゃんによると、上から、ミア、ピア、ママン、パパ、P くんのために描いたものだそうだ。
えっ、それって、私がひょっとしてヒエラルキーのトップ? と書いたら、次女が「ふん!」とリプライしてきた。
私が子供に人気があるのは、たぶん「絵がうまい」からだと思う。
どんな絵でも、たちどころに描いてぬり絵ができるようにしてやれる。
フランスに来て間もない頃の家族のパーティでも、その頃まだ幼かった姪っ子たちが私の前に列を作ってその頃フランスで放映されていた日本のアニメ「キャンディ・キャンディ」みたいな女の子の絵を描かされた。長女が小学校に入った時も、友達からバレリーナの絵の「注文」をたくさんとってきた。今は私の知らないゲームのキャラなどを注文されて困るけれど、ネットで検索してたちどころに描いてやれる。
あとは、思い当たるとすれば、小さな孫が来るときは、日本で買ったお子様ランチ風のかわいいお皿に、彩りよく盛って、これも日本で買ってきた爪楊枝についた万国旗だとか、かわいいキャラの飾りをつける。前にも書いたけれど、例えばゆで卵をチューリップ型に切らないなんて私には考えられない。今ではインスタ映えするキャラ弁とかが流行っているそうだけれど、私の場合は、ただ、母が作ってくれたものの繰り返しで、それ以外あり得ないのだ。お誕生日などの飾りつけや演出も、母譲りだ。
で、その二つを除くと、私は実に何もしていない。このブログで書いているように、孫をあずかるのは感情労働でつらいという思いの方が大きいし、目の前にいないと心の表層に彼らの占める場所は限りなく少ない。
いわゆる「世話」はしない。
孫クンが一歳の頃に肩を痛めたせいで、私は抱っこもしなければおむつも替えない、という了解が定着してしまった。
だから、それ以降は、孫クン、妹ちゃん、末っ子ちゃん、K ちゃん、Pくん、誰一人として風呂も入れていないしおむつを替えたこともない。寝かしつけもしない。
それなのに、ヒエラルキーのトップなんて、楽勝。
うちの猫ズにとっても明らかに私が夫よりも上位。
これも、トイレ砂の世話をしたり掃除したりするのは夫だし、いつも水やカリカリを補充するのも夫。
私は、よりおいしい餌をセレクトして、お座り、お手、伏せ、コロンなどの芸をさせる。
二匹の猫はいつも私のいる場所についてきて、呼ぶと答えるし、書斎のドアの前でじっと待っているし、完全に「犬」みたいだ。オスだからかなあ。なぜだろう。
で、夫の脳内ヒエラルキーと言えば、これは「相対的」であることを認めざるを得ない。
つまりその場にいる「相対的弱者」がヒエラルキーのトップであり、それに仕える。
私と二人なら自分の方が大きくて強いとおもっているからひたすら私に仕えるけれど、私の両親がいると、より高齢の彼らが上になっていた。赤ん坊がいるともちろん赤ん坊がトップ。これは身内かどうかとも関係がない。
私の脳内ヒエラルキーはどうかなー。
ヒエラルキーというより、「優先事項」の振り分けで「格付け」しているかもしれない。
「必要としてくれる人」を優先するという感じかも。
身内にはあまり「頼りにされていない」から、身内は優先カテゴリーではない。
思えばそれはありがたいことだ。私などを頼りにしないで何とか元気でやっていってほしい。