まやの午睡

日常の記録です。

Kちゃん脳内ヒエラルキー

2020-09-03 17:45:40 | 日記
Kチャンが新学期で幼稚園の年中組で水彩絵の具を使った絵を5枚描いたのを次女が並べて写真を送ってくれた。
上から順番に色鮮やかでモティーフも多く、下に行くほどあっさりしていて、一番下のは一色で「手抜き」観。

で、K ちゃんによると、上から、ミア、ピア、ママン、パパ、P くんのために描いたものだそうだ。
えっ、それって、私がひょっとしてヒエラルキーのトップ? と書いたら、次女が「ふん!」とリプライしてきた。

私が子供に人気があるのは、たぶん「絵がうまい」からだと思う。
どんな絵でも、たちどころに描いてぬり絵ができるようにしてやれる。
フランスに来て間もない頃の家族のパーティでも、その頃まだ幼かった姪っ子たちが私の前に列を作ってその頃フランスで放映されていた日本のアニメ「キャンディ・キャンディ」みたいな女の子の絵を描かされた。長女が小学校に入った時も、友達からバレリーナの絵の「注文」をたくさんとってきた。今は私の知らないゲームのキャラなどを注文されて困るけれど、ネットで検索してたちどころに描いてやれる。

あとは、思い当たるとすれば、小さな孫が来るときは、日本で買ったお子様ランチ風のかわいいお皿に、彩りよく盛って、これも日本で買ってきた爪楊枝についた万国旗だとか、かわいいキャラの飾りをつける。前にも書いたけれど、例えばゆで卵をチューリップ型に切らないなんて私には考えられない。今ではインスタ映えするキャラ弁とかが流行っているそうだけれど、私の場合は、ただ、母が作ってくれたものの繰り返しで、それ以外あり得ないのだ。お誕生日などの飾りつけや演出も、母譲りだ。

で、その二つを除くと、私は実に何もしていない。このブログで書いているように、孫をあずかるのは感情労働でつらいという思いの方が大きいし、目の前にいないと心の表層に彼らの占める場所は限りなく少ない。

いわゆる「世話」はしない。
孫クンが一歳の頃に肩を痛めたせいで、私は抱っこもしなければおむつも替えない、という了解が定着してしまった。

だから、それ以降は、孫クン、妹ちゃん、末っ子ちゃん、K ちゃん、Pくん、誰一人として風呂も入れていないしおむつを替えたこともない。寝かしつけもしない。

それなのに、ヒエラルキーのトップなんて、楽勝。

うちの猫ズにとっても明らかに私が夫よりも上位。
これも、トイレ砂の世話をしたり掃除したりするのは夫だし、いつも水やカリカリを補充するのも夫。
私は、よりおいしい餌をセレクトして、お座り、お手、伏せ、コロンなどの芸をさせる。
二匹の猫はいつも私のいる場所についてきて、呼ぶと答えるし、書斎のドアの前でじっと待っているし、完全に「犬」みたいだ。オスだからかなあ。なぜだろう。

で、夫の脳内ヒエラルキーと言えば、これは「相対的」であることを認めざるを得ない。
つまりその場にいる「相対的弱者」がヒエラルキーのトップであり、それに仕える。
私と二人なら自分の方が大きくて強いとおもっているからひたすら私に仕えるけれど、私の両親がいると、より高齢の彼らが上になっていた。赤ん坊がいるともちろん赤ん坊がトップ。これは身内かどうかとも関係がない。

私の脳内ヒエラルキーはどうかなー。
ヒエラルキーというより、「優先事項」の振り分けで「格付け」しているかもしれない。
「必要としてくれる人」を優先するという感じかも。
身内にはあまり「頼りにされていない」から、身内は優先カテゴリーではない。
思えばそれはありがたいことだ。私などを頼りにしないで何とか元気でやっていってほしい。

長女の新居に行ってきた

2020-09-02 18:35:59 | 日記
8月の終わり、コロナ騒ぎ以来半年ぶりに遠出をした。

最後に旅行したのは2月半ばで、TGVを利用したけれど、今回はマスクをつけて列車に乗るのは絶対に嫌だったので車でル・マンにいる義弟のうちに行き、そこから義弟の車で義弟の運転で、あちこちを回った。ストレスがなく快適だった。行きも帰りも義弟のところで一泊したので疲れもない。本来は5月の末からモントリオールの義弟夫妻のうちに行ってそこからカナダ中をあちこち回る予定だったのがすべてキャンセルになり、彼らも7月に10ヶ月ぶりにフランスに戻ったのだ。

広大なカナダとは程遠いけれどブルターニュの海辺で一泊できたのは本当に癒された。

で、長女の新居。引っ越しして一週間も経たないのでまだ段ボールが積んである。
オープンキッチンはアイランド式の部分が1 メートル以上の幅があって、レンジの横には流し、レンジの前からは収納式のキッチンフードがするすると出てきてまるで薄型テレビみたいだ。
長さも3 メートル以上あって、サイドのテーブル部分で5人家族が食事できる。向かいには壁キッチンがあって、大きな流しや調理台が。長女は仕事に行っていたけれどもちろん婿クンが料理の腕を振るってくれた。子供たちはキッチンテーブルで、大人6 人はダイニングテーブルで食事。

傍らのピアノで孫くんが、7月に教えたジブリのアニメのテーマソングをずっと弾き続けていた。妹ちゃんも末っ子ちゃんもメロディーを片手で弾いていた。

驚いたのは、長男の手紙がピアノの上に置いてあって、日本から送った小包に入っていたもので、孫クンへのゲームのソフトやその他いろいろな日本食などを送っていたことが分かった。
長男は今や孫クンのヒーローだそうだ。

私のところには3度も差し入れの小包が届いていたし、次女のところにもいろいろ送っていたのは知っている。私と長男と次女は3人でグルーブラインをやっていて、互いのことがよくわかっている。でも長女のことはよく分からないので、長男が私たちに小包を送ってくれていることは長女には話していない。でも、ちゃんと、長女にも、子供たちにも小包を送ってやっていたわけだ。いつも日曜に渋谷の本局まで持っていく国際宅急便だから、郵送料だけでも結構かかる。

彼は「独身貴族」で、気にかける妻子もいないから、と言えばそれまでだけれど、なんでこんなにいい子に育ったんだろう。ちなみに私からは彼に何も送っていない。

半年の外出規制プラス「自粛」期間、バカンスも行かず、レストランも映画も演劇もほとんど行っていないから、日本のような「給付金」はもらえないけれど、半年でちょうど30万円ほどの「黒字」ができた。それを半分ずつ、長女と次女にあげた。長女は引っ越しで物入りだろうし、次女も今いるマンションの下の階にふた部屋を新しく購入してボルダリングルームにするというので、足しになるだろうと思ったからだ。
2人の収入は、リタイア前の夫の収入を上回っているくらいだからうちよりずっと余裕があるのだけれど、子供たちもいてこれからどんどん消費もして経済を回していく世代だから役に立つと思ったのだ。また、そうすることで私たちが今のところ生活に困っていないというメッセージにもなる。私の両親が生きていた頃、いろいろ助けてくれたけれど、それによって両親に余裕がある、ということを確認出来て安心したのを覚えているからだ。

翻って長男にはしてもらうばかりで、うちのIT関係の費用はすべて彼の口座から払われているくらいだし、長男はいつも私たちのことを本気で心配しているんじゃないかと思うふしもある。
でも、まあいざとなったら、フランスにいる妹たちが私たちを助けるだろうとあてにしているのかも。

今回は、観光もしたけれど、他の友人(3 月に奥さんを亡くした)の家にも行き、夫の異母姉である90代の義姉夫婦の家にも行った。義姉は私の母と同じ年で、彼女の夫は私の代父に当たる。
まさに四世代と交流したわけで、来し方行く末をいろいろ考えさせられた。

帰ってきて、また夫と二人の暮らし。

いろいろなことはあるけれど、スピノザが「必要なことは、愛さなければならない」と言ったのが腑に落ちるようになった。人生のいろいろな局面で、その時々の「必要事」は、ポジティヴに受け止めてこなさなければいけない、という意味だ。

アンサンブルの練習は来週から、生徒のレッスンは再来週から始める。
それまでに仕事の残りを仕上げなくては。