まやの午睡

日常の記録です。

日本から帰った

2022-11-16 17:28:07 | 日記
3年ぶりの日本から帰ったら、うちがすごいことになっていた。

私の留守にはじめて孫ズ5 人がわらわらと集まって、日本にいる長男までスイス出張の途中にうちに寄り、ブエノスアイレスの学会から帰ってきた長女や便乗して旅行していた婿クン、子供たちの面倒は私がみるからと言ってやってきた次女、甥の運転でやってきた義妹などで、一時は12人だったのだ。万聖節の休みには私が日本に行くというのをこの3 年でみな忘れていたらしい。
で、次女がケーキを作る、砂糖はどこ、計量カップはどこ、などと質問が送られてくる。

子供たちは私のレッスン室や書斎でいろいろものを動かして元に戻さない。
棚や冷蔵庫、冷凍庫を開けると、キャンディの袋や、アイスクリームや、その他私なら買わないようなものがあふれていた。
次女たちはよく長女のうちに集まってバカンスを過ごすし、そんな時は婿クンが食事も全部用意するのだけれど、彼はホームだ。いつもなら次女が子供たちを連れてくる時は、私がホームですべてを仕切るので次女は何もしない。上げ膳下げ膳なので、勝手が分からない。
夫も、この3年ほとんどずっといっしょにいたから、急に一人になるだけで勝手が違うところに、突然10人以上に押しかけられたらなすすべがない。
私なら10人以上を数日食べさせるスキルがあるし、段取りもできるけれど。

昔、バカンス時に私の両親が滞在していた時に、突然、旅行帰りの友人のファミリーが事故に遭遇してうちに転がり込んできたことがあった。赤ん坊と乳母を入れて6人だった。
うちはすでに7 人だったが、彼ら6 人を泊めて食べさせた私を見て母が感心していたのを覚えている。大人数の食事の世話については、夫の母から教えてもらって、なるほどと覚えたものだ。でも、それはフランスの食材だからできるもので、日本で同じことをしろと言われたら無理だけれど。

で、私の留守の会食に、みんなはあちこちのテイクアウトを使いまわしたりして何とかしたようだった。夫は、いつも通りクレープを焼いた。

「ああ、いなくてよかった」というのが私の感想。
私はと言えば、日本でたった一日の自炊もせず、レストランで食べないときはコンビニやフードコートからのテイクアウトの生活だった。

長男は日本に戻る時のPCR検査がもう義務付けられないので、今回は安心して、大家族でわいわい、マスクもなしのフランスとスイスだった。この数年、彼が来るたびにコロナのストレスでまいっていたので、開放感がある。

で、後ひと月もしたらクリスマス、長男もまた来るし、今度は私がいろいろ采配しなくてはいけない。でも自分のうちで自由に用意できるのは楽だ。
これでも東京の長男のうちに滞在するときは汚さないよう気をつけている。長男の出張中に家政婦さんが一度きれいにしてくれた後を保つようにこまめにゴミ捨てもした。

でも、クリスマスまでが大変だ。生徒のレッスンの遅れの取り戻し、雑誌の原稿、ウェブマガジンの寄稿まで約束してしまったし、本2冊の締め切りもあるし、1月のコンサートはごまかしがきかないので練習しなくてはならない。

長男のところに、彼が日本で一人暮らしをしてすぐに私の両親がプレゼントしてくれた電子ピアノがあるので毎日少し弾いては癒された。ベートーベンの悲愴ソナタの楽譜があったので久しぶりに弾いた。でも昔の電子ピアノだから、タッチが今一つという感じがあった。でも、長男の社会人としての門出を祝ってくれた両親の思いが迫ってくる。

(この前にアップした記事は別ブログのものだったので削除しました。前後関係が意味不明で失礼しました。)