まやの午睡

日常の記録です。

2年ぶり、長男の来ない年末が来る。

2023-12-10 03:49:33 | 日記
いつの間にか12月も上旬が過ぎようとしている。

11月上旬に日本から戻ってから、寒さに適応するのもつらかったけれど、ウクライナ戦争以来、飛行時間が伸びて出発時間が早まり、朝5時起きで羽田行きのタクシーを待つなど、疲れがたまる。そして時差ボケもまだとれていないのに、11/18の土曜には長女、次女、孫5人らが来る。
遅れてしまったけれど妹ちゃんの12歳の誕生日と末っ子ちゃんの9歳の誕生日を同時に祝うという名目。すでに学校やら友人やら家族やらで何度も誕生祝をしていると思うのに、私が日本から何を持ってくるかという期待もあるようだ。

私が日本に行っている間、長女たちはスペイン領のカナリー諸島にバカンスに行っていた。ホテルのロビーにピアノがあって、関係者以外使用禁止とあったのだそうだが、孫クンが弾きだしたという。ホテルの人がやってきたので注意されるかと思っていたら、ホテルの人はビデオ撮影を始めたのだそうだ。
確かに孫クンのピアノは、単に「うまい」というだけではなく、自分の世界を豊かに提示して周りの人を誘い込むような雰囲気で、それがいくらでも繰り広げられるので、いったいいつの間にこうなったのか不思議だ。

土曜は昼過ぎまで生徒のレッスンがあったので、土曜の昼の支度は10人分全て夫が支度したし、寝室の用意、ベッドメイキングも全て夫がしてくれていたとはいえ、ここではまだ書かないけれど、今回の家族の集まり、すごいストレスがあって、私はふらふらだった。
彼らがそれぞれ帰っていった日曜の夜からは、送れている仕事にかかることになり、それがようやく終わったのが木曜の夜、次の朝には耳裏の異変に気付いた。
ストレス性の耳性帯状疱疹だと分かって抗ウィルス剤など適切な治療にたどり着いたのは次の週の水曜朝だった。

その時点では、長男が12/20に来ると言っていて、まだバカンスに入っていず生徒たちが来る週なのに、クリスマスのパーティを一日早めて土日にすることになり、また悪夢の週末か(しかも12人)と内心不安だった。次女たちは24日の午後にはリヨンに行き(1年おきにパパくんの姉と妹の家族のいるリヨンでクリスマスをするので、今年はその年に当たっている)、年末に戻ってくる。

1月の仕事を今のうちにこなしておこうとがんばるつもりで、また、14日にはピアノとバイオリンと私のビオラでテレマンのポロネーズ・ソナタを公開で演奏することになっているので、最低限の練習が必要だ。日本行きのせいで休んでいたバロックバレエの振り付け譜も全部覚えなくてはならない。どれもポジティヴなことだし、好きでやっているのだから、メンタルにもいいはずなのだけれど、帯状疱疹のせいで免疫力に自信がなくなった。

すると、昨日、長男が仕事の都合でクリスマスに来られなくなったという。
キャンセルして、今度新しく買うパリのアパルトマンの最終サに合わせて2月ごろに来るそうだ。

ほっとするとともに寂しくもある。
大丈夫、みんなへのプレゼント類は小包みで送るから、と言われた。

日本では世話になっているから、うちに来ている時は、出来るだけおいしいものを食べさせたいとか思うので、そのプレッシャーがなくなって楽だけれど、クリスマスの飾りを手伝ってくれたり甥や姪と遊んでくれたりするのでそれがなくなるのは残念かも。でも今年は夏に妹たちや甥や姪たちに夫の弟のうちで会っているからまあいいだろう。

思えば、ある時期は仕事の都合でクリスマスは帰ってこれずもっぱら大晦日とお正月に帰ってきていたし、クリスマスに帰れるようになってからは、大晦日や正月を次女と東京で過ごしてニューイヤーコンサートに行ったりしていた。コロナ禍の2020年のクリスマスは、彼が検査で陽性になると日本に戻れないからピリピリしたし、すべてのレストランや映画館も閉鎖されていたから、12人がずっとうちにいるといういちばんストレスフルなものだった。2021年はフランスの規制はほとんど解除されていたのに、日本が鎖国状態で長男は来れなかった。去年の2022年、久しぶりにみんながリラックスできた。で、今年のクリスマス。

今までと違う別の事件によるストレスが加わり、時間的にもバカンスの始まりが遅いためぎりぎりで、長男もいないとなると、出来るだけシンプルに、と考えている。

世界情勢も、ウクライナ戦争が終わらないままに、パレスティナ戦争が加わり、それらのもたらすネガティヴなインパクトをこれ以上体のストレスに加えないようにと、安全距離を保とうとする毎日だが、どうなることだろう。

これを読んでくださっている方という小さなサークルの中の方たちが、できるだけ平和な世界でできるだけ穏やかな年末年始を送ることができますように。




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