今朝、空港へ発った長男から、無事にチェックインやセキュリティなどの関門を通過したとLineが入った。フランスに来る時の便もぎりぎりになって二度も時間の変更があったので、フランス発も急に遅れることになれば、搭乗72時間前以内の検査が認めてもらえない可能性がある。というので、土曜に受けて陰性証明をもらっていたのに帰国前日の月曜にも念のためまた検査して、陰性証明をもらうという万全の準備だった。いつまでこんなことが続くのか本当にストレスの種だ。
3 月末に日本からスイスのサロンに行って陽性のためジュネーヴに残った数名の人たちは「陰性」になるまで帰れないので、ひと月も足止めされた人もいた。かの地では、もう誰もマスクしていないので、マスクしているとそれこそ同調圧力で仕事しづらくノーマスクとなったことも原因の一つとか。その点フランスは、「個人主義」の国のいいところがやっと発揮されて、誰がマスクつけていようといまいとみな他人のことは気にしていないので、息子は外でもずっとマスクを着けていた。
フランスでは公共交通機関内では罰則付きマスク着用義務が解除されていないので大抵の人はマスクを常備しているのだけれど、今パリには外人観光客がどっと増えてメトロの中でノーマスクで大声で話している家族連れなどがいるので、少し不安だ。
私たちも今月下旬から来月にかけてカナダだから、カナダの空港で可能性があるという「抜き打ちテスト」で万一陽性になったりしないように、気をつけなければ。
今回のカナダの手配はキャンセルになった以前と同じくすべて長男と次女が連携してやってくれた。
私たちはいったいどんな無能な老夫婦かという感じになりつつある。
長男は私たちがカナダで病気になるなどのアクシデントに備えて、手厚い「旅行保険」を勝手に申し込んでいた。私たちの主な滞在先になる義弟は、夫がフランスでは常飲している粉末シコレはモントリオールにないからひと瓶瓶持ってくるように、などとわざわざ電話してきて、夫はうんうんとメモしていた。
いや、確かに、ケベックとフランスを行き来して暮らしている義弟夫妻に比べると、私たちはもうずっと長距離便に乗っていない。2人で最後に乗った国内便は2019年の夏。
私の最後の長距離便は2019年の11月の日本。夫の最後の長距離便は2018年の春の日本。
確かにもう4年前だけれど、日本では沖縄にも行ったし、今回のカナダよりも長かったし、もちろんシコレなど持って行っていない。夫にとっては日本の方が「外国」だけれど、何の問題もなく適応している。それに比べるとケベックはフランス語も通じるし、義弟もいるし、飛行時間も大西洋を越えるだけだからロシアの影響もないし、日本への飛行に比べるともともと半分の時間しかかからない。(今の日本はウクライナ戦争の影響でますます遠くなった)
それなのに、私自身、今の「心理的距離」はカナダの方がずっと遠い。不思議だ。
短い滞在の間に、長男は、ナントで単身赴任の長女のアパルトマンを訪ね、レンヌの長女の新居を訪ね、婿クンの手料理を食べて、甥や姪たちから大歓迎され、パリでは次女のアパルトマンを訪ね、義妹(私の夫の妹)のところで次女の一家(パパくんや甥や姪)にも会い、洗礼子を抱くこともできた。コロナ前は空手の研修と仕事でよく日本に来て長男のところに滞在していた甥(長男にとっては従兄)も合流した。その甥の連れ合いはパリオペラ座オーケストラのヴィオラ奏者なので、ロックダウン中の苦労などもいろいろ聞かせてもらった。甥は義妹の跡を継いで(?)
フランス仏教者連合の代表者になっている。
夫方の家族のきずなが強いのはありがたいし、うちの子供たちのきずなも強いし、彼らが連携して「かって万能だったはずの父親」を懸命にフォローしようとするのも心強い。もっとも、長女たちがパリに持っている建物内の駐車スペース二つを売却するというので、候補者に見せる役は夫が一手に引き受けているし、長男がパリに持っているアパルトマンの管理や世話や修理なども夫が全てやっているし、次女がベビーシッターに頼めない時に駆り出されるのも夫だ。
夫の致命的な欠点は、子供たちや兄弟たちから頼まれたことはすぐに引き受けて全力を尽くすので、それによって自分の健康が損なわれるリスクなどを全く考えないことだ。
若い時から極端だったが、今はさすがに高齢者だから、やり過ぎはみなが心配する。
でも、必要とされて感謝されるということも「健康」に利するだろうから、ある程度自由にさせているけれど、どちらにしても、46年も見てきた完全な利他と献身のスタイルを私が今さらコントロールするわけにもいかない。(ほどほどにさせたい時は本人でなく子供たちにストップをかける)
若い時はもし何かあったら私の両親に全面的に助けてもらえると思えたし、今はもし何かあったら子供たちに全面的に助けてもらえるとは思っている。
(今でも、TVでウクライナの母子が傷つくのを観るだけですぐに義勇兵に志願(誰も受け付けてくれないけど)しかねないほど、弱者を守るには怖いものなしなので、若い時は毎日帰ってくるまで本当に心配だった。)
それでも、戦争も災害もテロにも遭わずここまで来れたのだから、「高齢でもできる利他」を私も地道に続けていきたい。(今は音楽のレッスンと、生徒たちが寄付してくれるものを他のアーチストに還元するというささやかなものが中心)
次にこのブログを書くのは多分ケベックからの帰国後になります。
無事に行って無事に帰れますように。
3 月末に日本からスイスのサロンに行って陽性のためジュネーヴに残った数名の人たちは「陰性」になるまで帰れないので、ひと月も足止めされた人もいた。かの地では、もう誰もマスクしていないので、マスクしているとそれこそ同調圧力で仕事しづらくノーマスクとなったことも原因の一つとか。その点フランスは、「個人主義」の国のいいところがやっと発揮されて、誰がマスクつけていようといまいとみな他人のことは気にしていないので、息子は外でもずっとマスクを着けていた。
フランスでは公共交通機関内では罰則付きマスク着用義務が解除されていないので大抵の人はマスクを常備しているのだけれど、今パリには外人観光客がどっと増えてメトロの中でノーマスクで大声で話している家族連れなどがいるので、少し不安だ。
私たちも今月下旬から来月にかけてカナダだから、カナダの空港で可能性があるという「抜き打ちテスト」で万一陽性になったりしないように、気をつけなければ。
今回のカナダの手配はキャンセルになった以前と同じくすべて長男と次女が連携してやってくれた。
私たちはいったいどんな無能な老夫婦かという感じになりつつある。
長男は私たちがカナダで病気になるなどのアクシデントに備えて、手厚い「旅行保険」を勝手に申し込んでいた。私たちの主な滞在先になる義弟は、夫がフランスでは常飲している粉末シコレはモントリオールにないからひと瓶瓶持ってくるように、などとわざわざ電話してきて、夫はうんうんとメモしていた。
いや、確かに、ケベックとフランスを行き来して暮らしている義弟夫妻に比べると、私たちはもうずっと長距離便に乗っていない。2人で最後に乗った国内便は2019年の夏。
私の最後の長距離便は2019年の11月の日本。夫の最後の長距離便は2018年の春の日本。
確かにもう4年前だけれど、日本では沖縄にも行ったし、今回のカナダよりも長かったし、もちろんシコレなど持って行っていない。夫にとっては日本の方が「外国」だけれど、何の問題もなく適応している。それに比べるとケベックはフランス語も通じるし、義弟もいるし、飛行時間も大西洋を越えるだけだからロシアの影響もないし、日本への飛行に比べるともともと半分の時間しかかからない。(今の日本はウクライナ戦争の影響でますます遠くなった)
それなのに、私自身、今の「心理的距離」はカナダの方がずっと遠い。不思議だ。
短い滞在の間に、長男は、ナントで単身赴任の長女のアパルトマンを訪ね、レンヌの長女の新居を訪ね、婿クンの手料理を食べて、甥や姪たちから大歓迎され、パリでは次女のアパルトマンを訪ね、義妹(私の夫の妹)のところで次女の一家(パパくんや甥や姪)にも会い、洗礼子を抱くこともできた。コロナ前は空手の研修と仕事でよく日本に来て長男のところに滞在していた甥(長男にとっては従兄)も合流した。その甥の連れ合いはパリオペラ座オーケストラのヴィオラ奏者なので、ロックダウン中の苦労などもいろいろ聞かせてもらった。甥は義妹の跡を継いで(?)
フランス仏教者連合の代表者になっている。
夫方の家族のきずなが強いのはありがたいし、うちの子供たちのきずなも強いし、彼らが連携して「かって万能だったはずの父親」を懸命にフォローしようとするのも心強い。もっとも、長女たちがパリに持っている建物内の駐車スペース二つを売却するというので、候補者に見せる役は夫が一手に引き受けているし、長男がパリに持っているアパルトマンの管理や世話や修理なども夫が全てやっているし、次女がベビーシッターに頼めない時に駆り出されるのも夫だ。
夫の致命的な欠点は、子供たちや兄弟たちから頼まれたことはすぐに引き受けて全力を尽くすので、それによって自分の健康が損なわれるリスクなどを全く考えないことだ。
若い時から極端だったが、今はさすがに高齢者だから、やり過ぎはみなが心配する。
でも、必要とされて感謝されるということも「健康」に利するだろうから、ある程度自由にさせているけれど、どちらにしても、46年も見てきた完全な利他と献身のスタイルを私が今さらコントロールするわけにもいかない。(ほどほどにさせたい時は本人でなく子供たちにストップをかける)
若い時はもし何かあったら私の両親に全面的に助けてもらえると思えたし、今はもし何かあったら子供たちに全面的に助けてもらえるとは思っている。
(今でも、TVでウクライナの母子が傷つくのを観るだけですぐに義勇兵に志願(誰も受け付けてくれないけど)しかねないほど、弱者を守るには怖いものなしなので、若い時は毎日帰ってくるまで本当に心配だった。)
それでも、戦争も災害もテロにも遭わずここまで来れたのだから、「高齢でもできる利他」を私も地道に続けていきたい。(今は音楽のレッスンと、生徒たちが寄付してくれるものを他のアーチストに還元するというささやかなものが中心)
次にこのブログを書くのは多分ケベックからの帰国後になります。
無事に行って無事に帰れますように。