まやの午睡

日常の記録です。

長男が無事に帰国便へ

2022-05-03 18:27:28 | 日記
今朝、空港へ発った長男から、無事にチェックインやセキュリティなどの関門を通過したとLineが入った。フランスに来る時の便もぎりぎりになって二度も時間の変更があったので、フランス発も急に遅れることになれば、搭乗72時間前以内の検査が認めてもらえない可能性がある。というので、土曜に受けて陰性証明をもらっていたのに帰国前日の月曜にも念のためまた検査して、陰性証明をもらうという万全の準備だった。いつまでこんなことが続くのか本当にストレスの種だ。

3 月末に日本からスイスのサロンに行って陽性のためジュネーヴに残った数名の人たちは「陰性」になるまで帰れないので、ひと月も足止めされた人もいた。かの地では、もう誰もマスクしていないので、マスクしているとそれこそ同調圧力で仕事しづらくノーマスクとなったことも原因の一つとか。その点フランスは、「個人主義」の国のいいところがやっと発揮されて、誰がマスクつけていようといまいとみな他人のことは気にしていないので、息子は外でもずっとマスクを着けていた。
フランスでは公共交通機関内では罰則付きマスク着用義務が解除されていないので大抵の人はマスクを常備しているのだけれど、今パリには外人観光客がどっと増えてメトロの中でノーマスクで大声で話している家族連れなどがいるので、少し不安だ。

私たちも今月下旬から来月にかけてカナダだから、カナダの空港で可能性があるという「抜き打ちテスト」で万一陽性になったりしないように、気をつけなければ。

今回のカナダの手配はキャンセルになった以前と同じくすべて長男と次女が連携してやってくれた。
私たちはいったいどんな無能な老夫婦かという感じになりつつある。
長男は私たちがカナダで病気になるなどのアクシデントに備えて、手厚い「旅行保険」を勝手に申し込んでいた。私たちの主な滞在先になる義弟は、夫がフランスでは常飲している粉末シコレはモントリオールにないからひと瓶瓶持ってくるように、などとわざわざ電話してきて、夫はうんうんとメモしていた。

いや、確かに、ケベックとフランスを行き来して暮らしている義弟夫妻に比べると、私たちはもうずっと長距離便に乗っていない。2人で最後に乗った国内便は2019年の夏。
私の最後の長距離便は2019年の11月の日本。夫の最後の長距離便は2018年の春の日本。
確かにもう4年前だけれど、日本では沖縄にも行ったし、今回のカナダよりも長かったし、もちろんシコレなど持って行っていない。夫にとっては日本の方が「外国」だけれど、何の問題もなく適応している。それに比べるとケベックはフランス語も通じるし、義弟もいるし、飛行時間も大西洋を越えるだけだからロシアの影響もないし、日本への飛行に比べるともともと半分の時間しかかからない。(今の日本はウクライナ戦争の影響でますます遠くなった)

それなのに、私自身、今の「心理的距離」はカナダの方がずっと遠い。不思議だ。

短い滞在の間に、長男は、ナントで単身赴任の長女のアパルトマンを訪ね、レンヌの長女の新居を訪ね、婿クンの手料理を食べて、甥や姪たちから大歓迎され、パリでは次女のアパルトマンを訪ね、義妹(私の夫の妹)のところで次女の一家(パパくんや甥や姪)にも会い、洗礼子を抱くこともできた。コロナ前は空手の研修と仕事でよく日本に来て長男のところに滞在していた甥(長男にとっては従兄)も合流した。その甥の連れ合いはパリオペラ座オーケストラのヴィオラ奏者なので、ロックダウン中の苦労などもいろいろ聞かせてもらった。甥は義妹の跡を継いで(?)
フランス仏教者連合の代表者になっている。

夫方の家族のきずなが強いのはありがたいし、うちの子供たちのきずなも強いし、彼らが連携して「かって万能だったはずの父親」を懸命にフォローしようとするのも心強い。もっとも、長女たちがパリに持っている建物内の駐車スペース二つを売却するというので、候補者に見せる役は夫が一手に引き受けているし、長男がパリに持っているアパルトマンの管理や世話や修理なども夫が全てやっているし、次女がベビーシッターに頼めない時に駆り出されるのも夫だ。
夫の致命的な欠点は、子供たちや兄弟たちから頼まれたことはすぐに引き受けて全力を尽くすので、それによって自分の健康が損なわれるリスクなどを全く考えないことだ。
若い時から極端だったが、今はさすがに高齢者だから、やり過ぎはみなが心配する。
でも、必要とされて感謝されるということも「健康」に利するだろうから、ある程度自由にさせているけれど、どちらにしても、46年も見てきた完全な利他と献身のスタイルを私が今さらコントロールするわけにもいかない。(ほどほどにさせたい時は本人でなく子供たちにストップをかける)
若い時はもし何かあったら私の両親に全面的に助けてもらえると思えたし、今はもし何かあったら子供たちに全面的に助けてもらえるとは思っている。
(今でも、TVでウクライナの母子が傷つくのを観るだけですぐに義勇兵に志願(誰も受け付けてくれないけど)しかねないほど、弱者を守るには怖いものなしなので、若い時は毎日帰ってくるまで本当に心配だった。)

それでも、戦争も災害もテロにも遭わずここまで来れたのだから、「高齢でもできる利他」を私も地道に続けていきたい。(今は音楽のレッスンと、生徒たちが寄付してくれるものを他のアーチストに還元するというささやかなものが中心)

次にこのブログを書くのは多分ケベックからの帰国後になります。
無事に行って無事に帰れますように。






Pクンの洗礼

2022-05-02 01:00:00 | 日記
4/17の復活祭のミサでPクンの洗礼式がパリの次女宅近くの教会で行われた。
Kちゃんの洗礼をしたパパくんの従弟の司祭とは時間が合わず、代父の予定だった長男も日本から来る予定が合わず、結局代父は14歳の孫クンで、代母はパパくんのお姉さんの長女の11歳のM ちゃんということになった。リヨンから来たM ちゃんとお兄さんのB 君(弟はリヨンでお父さんと留守番)、やはりリヨンから来たパパくんの妹の一家(妹は夏に第三子出産予定)の2 歳と4 歳の娘二人は前日次女宅に泊った。つまり子供9人が次女宅に泊ったので夜遅くまでおしゃべりしていたそうだ。

驚くのは、K ちゃんとP クンの、母方と父方のいとこたちがとても仲のいいことだ。一番年嵩は孫クンだが、パパくんのお姉さんはうちの長女と同い年で、その長男B君は、孫クンと2ヶ月しか違わない。で、三人きょうだいの長男同士の2人は今回意気投合したようだ。パパくんのお姉さんと長女は前から気が合って、今回も仕事で必要とされていることの大切さについて二人で話し合っていた。
Pクンの代父代母となったことで、孫クンと Mちゃんの関係もこれから続いていく感じだ。
パパくんが婿クンと仲良しでうちの長女と次女の家族がつるんでいるのは知っているし、K ちゃんたちがパパくんの両親の別荘でパパくん方のいとことなかよく過ごしているのも知っているけれど、いわば「赤の他人同士」の両家のいとこ同士がこんなに親しいのは不思議だ。

私自身、父方のいとことは交流があるし、母方のいとことも交流があるけれど、彼ら同士には交流がない。
長女の子供たちも、婿クンの側のいとこたちとは仲がいいけれど、そこに次女の子供たちが混ざることはない。
もう一つ、Pクンの正式代父は実はうちの長男の名が記載されている。孫クンは長男の代理で「蝋燭の代父」とよばれる存在となる。だから長男は孫クンがよく務めを果たしたと言って特別のプレゼントを持ってくるそうだ。
これで、私の一番上の息子、一番上の孫息子、そして一番下の孫息子が(もともと仲良しだけれど)オフィシャルにつながった感じがしてほっとする。

親ばかもいいところかもしれないが、長男には子供がいないから、彼の「老後」、40年後くらいに働き盛りになっているはずのPクンが頼りになるかもしれない、などと心のどこかで思ってしまうからだ。長男はもともと甥や姪、婿クンにもパパくんにも人気があるし、婿クンやパパくんの実家は資産家だし、みな仲がいいし、少なくとも今の時点で子供世代は全員安定した仕事を持ち高給取りなのだから、長男のことなんか心配するより、これから何年元気でいられるのか分からない私たちが子供に迷惑をかけないですむか心配しろよ、というところだが、「親心」って不思議だ。

健康にも仕事にも金銭的にも家庭的にもこれといった問題がないのに、40代の息子の将来を気にかけてしまうのだから、いわゆる中年「引きこもり」や、働かない子供と同居する年金暮らしの夫婦の気がかりは大変なものだろうと思うと、身につまされる。このような重荷があちらこちらで積み重なって社会の底の一部が抜けてしまうような事態にならないうちに連帯の形を考えなくてはいけない。

「自助努力」などという言葉では絶対に抜け出せない迷宮がある。