まやの午睡

日常の記録です。

義兄、義姉たちと会って思ったこと

2023-10-01 07:05:00 | 日記
前の記事に書いたとおり、9月初めに親戚巡りをした。
行く前に書いていたような健康談義やら相続談議でうんざりするようなことはなく、いろいろな意味でインスパイアされた。
最高齢は私の代父で95歳。夫がもっぱら話し相手になって、私は彼の長男で私より2歳年下のJLとずっと話していた。JLの次男の8 歳になる娘の母親が育児放棄をして、彼はその孫娘の世話と父親の世話で大忙しなのだ。それでも生来の社交家なので、父親のいる施設でもすぐ友人ができて毎夕アペリティフでみなと話し合っているそうだ。父親の食事も作る。(父親はもう食堂に降りないので、食事が運ばれるのだけれど、長男が時々父の好きなものをつくって一緒に食べる。(長男の分はもともと自分で作らなくてはならないから)

施設の近くに住むPH夫妻(私の代父はPHや私の夫の義理の兄に当たる)も、毎日のように通って、爪を切るなど、いろいろな世話をしている。といっても、今の、基本自立している高齢者のためのレジデンスではもう限界なので、介護付き施設に近く移るという話だ。

で、夫の兄のPHは81歳、妻Mは少し年下だと思うが、彼らのうちに2年ぶりに行ったが、相変わらず手入れは行き届いているし、Mの料理は食器も盛り付けもすてきだし、庭の手入れも完璧で、PHの絵画や彫刻作品も増えている。7人の孫たちがそれぞれ18歳になれば絵を贈るそうで、こういう絵を、と注文する孫もいてそれにあわせて制作している。美術学校のコースにもリタイア以後ずっと通っている。Mも、ダンスやプール、いろいろやっていて、2人でミュージアム・パスも持っていて、仲間とトレッキングもするし、バカンスにも行くし、何より、多忙な子供たちや孫たちのために、信じられないようなレベルの援助をしている。
しかも、それなりに、故障を抱えたり、痛いところがあったりして、元気はつらつというわけではない上に、子供たちや孫たちの健康不安などもあるのだ。

彼らは変わらないのだけれど、彼らが変わらないということ自体に向ける私の見方が変わった。
前は何となく、ブルジョワ趣味で自己満足のマウンティングをしている夫婦かと思っていたのだけれど、80歳を超えてもそれを続けているというのは、もうすでに承認欲求とかなどと関係がなく、子や孫たちを支え続けるという「使命感」みたいなものの強度がすごい。尊敬。

もう一組のA夫婦もすごい。Aも夫の兄で82歳。妻のMJは少し年下。やはり孫7人。孫息子の一人をこの新学期からあずかっている。リールのグランゼコール予備クラスの寮に入ることになって、週末はA 夫妻のうちに戻る。ニースで働く母親(Aの長女)も時々合流する。
Aの末っ子である三女の三男はまだ中学生で、Aは毎週一度、三女のうちに通ってその孫息子の面倒を見ている。(両親とも働いていて帰りが遅い時があるので)
Aは、私と夫が着いた時、駅に迎えに来てくれてうちで手料理(彼の料理はプロはだし、というかプロだった)をふるまってくれてその後で、「観光」案内をしてくれた。もともと190cm近い堂々とした体躯の人だったけれど、健康上の理由でウォーキングを熱心にやっていて、体が引き締まり、健康そうで明るく、生き生きしていた。といっても、実は股関節に問題があるなどいろいろな不都合も抱えているのだけれど、イメージとしては元気はつらつだ。アパルトマンには妻のMJのアトリエもあって彼女も美術学校に通ってもう何十年も趣味の油絵をやっている。南仏の別荘にも通う。

彼らを見ても驚くことばかりだった。

ある意味、彼らの体験した健康上の問題やら、子どもたちの問題やらは、その一つでも私の身の上に降りかかっていたら、私など完全に落ち込んでいるだろう。でも、彼らはポジティヴで輝いている。私たちが来たからというのでなく、子供や孫たち(彼らにも七人の孫がいる)を全方位的に支える頼もしさがあふれている。

彼らを見ていると、いつも、「仕事に専念するため」とかいって、家庭にも健康にも波風が立たないようにびくびくして祈っている私の「小ささ」にあきれた。

私と夫が、5年後に彼らのようにポジティヴに生きているのかどうか分からない。
彼らほど子や孫による負荷がないけれど、首都圏に住んで、ストレスにさらされている私たちって、ひょっとして不健康? とも思えてきた。ともあれ、自分の根拠のない「上から目線」を正されたことに感謝。



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