まやの午睡

日常の記録です。

結婚して36年も経ってからはじめてきく夫の話

2012-10-20 17:19:05 | 日記
昨夜、婿クンの両親の招待でミリタリー・サークルでのディナー・コンサートに行った。

本格的な舞台でヴァイオリンとピアノのリサイタルがあった後で、結婚式ホールでの着席ディナーだった。こういう時は本当にさすがフランスというくらい、本格的なものが出る。同じテーブルにはヴェルサイユのコーラス団のメンバー2人と退役空軍大将夫妻が同席で楽しく話せた。

パリのど真ん中にある立派なこの建物の中で孫クンの洗礼式後のパーティもしたことがある。
退役海軍士官である婿クンパパご用達の場所である。

で、コンサートも楽しかったし後のカクテルと食事が立派だったので、

「次のコンサートには私たちの方が彼らを招待しなきゃ、一般の人でも予約できるんだよね、サイトに載ってたんだから・・・」

と帰りのメトロの中で夫に話した。

「あ、でも、軍人とか元軍人なら割引料金があるのかなあ」と私。

すると夫が、

「僕だって元軍人だよー。しかも、ancien militaire distingué だし」

と言った。

夫の若いころには兵役があったし、彼が空軍の地上勤務でパリの兵営の門番とかしながら同時にソルボンヌに通えて数理経済学の修士号をとったので一年が無駄にならなかった、という話は私は知っていた。

夫の弟は1年の兵役のかわりにアフリカで2年の非軍事勤務をやった。上の兄さんたちはアルジェリア戦争に行っている。

でも夫が「ancien militaire distingué」というのは初耳だ。それってなあに ?

つまり除隊の時に階級が特進された優等兵士ということだ。また、なんで ?
当時は、18歳から兵役だが、高等教育を受ける人(当時は今と違ってバカロレアの合格率自体が20%以下だった)には入隊延期の特典があった。

で、夫の兄さんたちのように、大学に行ったような人たちは、そこで、軍事準備クラスというのを併行して受けることができた。このクラスを履修しておくと、卒業して徴兵された時に、二等兵ではなくて士官待遇で兵役をやれるからだ。

夫は、アルジェリア戦争、植民地戦争などに反対だったから、そのような状況の兵役そのものにも反対で、軍事研修などは一切しないで、グランゼコール準備クラスの数学専攻にだけ進んだ。

そうやって入隊の延期を何度も申請していたがついに、20代半ば近くになって徴兵された。おとうさんがなくなったばかりで、弟はカナダに留学していたから、おかあさんや末の妹を置いてアフリカなどに2年も民間勤務をするつもりはなかった。

何の手だてもしていないのでいわゆる二等兵扱いで、18歳で入隊する若者たちと同期になった。

入隊するといろいろな試験がある。

そこには数学の試験もあった。

数学の能力で社会階層が分けられるシステムのフランスでは、数学のできるような男は高等教育を受け、軍事準備研修をして士官として召集されるのが普通なのだから、二等兵たちの数学のテストの成績は当然ふるわない。

その中で夫は当然満点の成績で評判になり、兵営の将官に頼まれてその息子の数学の家庭教師をすることになった。

夫はとにかく何でも教えるのがうまい上に生徒にも親にも信頼感を抱かせる天性の魅力があるので、子供の成績は伸びた。

それまでも少年たちのバカンス村の指導者としていつもヒーローだったエピソードは家族からよく聞かされていた。

二等兵には軍事の基礎訓練が課せられるのだが、スポーツマンの夫はすべてに優秀だった。中距離の陸上選手だったので中距離走で伝説的なタイムを出した。

その上、若い時から、非常に落ち着いていて暖かく信頼感をそそるタイプだ。

実際に私は自分の息子や婿クンや次女の彼氏たちが私の知り合った当時の夫と同じ年になった頃に比べて見ると、彼らがみな好青年だけれども子供なあだと思ってしまう。

夫は、若いころから、年配の修道女や神父にも好かれるし、生徒の親たちにも好かれるし、理想の息子、理想の婿、理想の父親、理想の兄さん、理想の夫として思い描かれるようなタイプなのである。

つまり理想の家庭人。

もちろん私の親も初対面から気にいったばかりか一生感嘆のし通しだった。

で、兵役の間中、上官からも好かれまくって、ソ連のブレジネフが空軍を訪問した時には、特別に最前列に座らされたのだそうだ。自然体でいながら姿勢はいいし清潔感があって平和時には「理想の兵士」でもあったのだろうか。(実際の性格は一匹狼で集団生活や人の命令を聞くのは大嫌いで筋や大義を通す。)

そんなことがあって、頼んでもいないのに、除隊の時に特進したのだ。

それは準備クラスを履修したから士官になれるというシステムと違って基本的に功労賞なのだ。

へーえ。

結婚して36年にもなるのにそんな話はじめて聞いたよ、なんで今まで言わなかったの ?

「だって別に話す理由がなかったから」

うーん、しかも、すごく納得できる、夫なら十分あり得るエピソードである。好奇心に駆られて根掘り葉掘り聞いてしまった。

それに比べて、うちの長男は、兵役を延期願いしまくっているうちに、ぎりぎりで徴兵制度が廃止された。

それでも、一応適性テストみたいなのを受けさせられて、それがシミュレーションで反射神経を試すようなものだったらしく、ゲームで鍛えている長男は好成績をたたき出して、もし入隊したら士官扱いだと言われていた。

そのあとビジネススクールで国際危機管理のマスターも習得したので、士官学校に戦略会議の研修に行ってそこでも参謀のシミュレーションのテストで好成績で何かの免状をもらった。

今から10年近く前には、ある種のメジャーなオンラインゲームで、日本と中東と欧米のチームを集めて、時差を利用して英仏日語で指令しながら、サーバーから妨害されるほどにすごくビッグなキャラになったので、「神」と呼ばれていたこともある。

そういう昼夜もない生活の上に仕事もしていたのだから、20代半ばの体力がないと不可能ということで、今はリーダーを降りて時々たしなむ程度になった。

夫と長男、時代の差にもキャラの差にも愕然とするが、まあ、息子が相対的に平和な時代に生きられてよかった、としなくては。
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次女の新生活スタート

2012-10-14 12:38:25 | 日記
次女が彼氏と新しいアパルトマンを借りた。長女の時から引き続き住んでいたモンパルナス近くのワンルームから100メーターほど先に行ったところだ。16階のバルコニーからエッフェル塔が真正面に遠く見える。夜景もきれいだ。絵に描いたようなパリの暮らし。

うちの夫はもう何度も引っ越し手伝いに駆り出されていて、私も行っている。で、一昨日ははじめて、彼氏Vクンのご両親を招待したそうだ。

料理はいつもどおりVクンが作るはずだった。それを聞いて一瞬、もしうちの息子にはじめて彼女と住むところに招待されての食事が息子の手料理だったら私はどう思うだろうと、立場を置き換えてみた。

うーん、息子の手料理はおいしいから、問題ない。海釣りの獲物をその日のうちにあれこれ料理してくれる時は絶品だし。母が生きていた頃は母のためにパイなど焼いては招待していたっけ。フランスのうちに帰ってきても、一度は腕をふるってくれるし。

長女のところでの婿クンの手料理もおいしかった。おかあさんが料理自慢だからいろいろレシピを教わっているらしい。

で、どうなったかなと探りを入れてみると、結局、Vクンのおかあさんがお料理を持参してきたらしい。ランの鉢植えといっしょに。

両親ともすごく親切で優しかったと言っていた。

お母さんはリセの数学教師だ。うちの次女が昔からやりたかった職業だ。昔からバイトで塾でも家庭教師でも数学を教えていて評判がよかった。監査会社に働いて高給をもらいはじめてからも、趣味で数学の家庭教師をしていたほどだ。理系バカロレアの数学専攻でグランゼコールの予備クラスでも数学だったから、フランスのような国では有利だ。

Vクンは天文学好きのスポーツマンで、おとうさんと同じくビジネススクール出で金融関係で働いている。四人きょうだいの二番目で姉さん、弟妹がいる。姉さんの子供たちがうちの長女の子どもたちと同じくらいの年なのでよく面倒を見ていて、長女のところにも次女といっしょにベビーシッターに行ったことがあるが、次女よりも赤ちゃんの扱い方がうまいそうだ。今時のフランスでは珍しく両親をVOUSVOYERで呼ぶ、つまり敬語を使っている。でも次女はやや日本文化圏だから、自分はVクンの親に敬語だからその方が自然だと言っている。婿クンもVクンも私たちに敬語である。うちの兄は父に丁寧語を使っていた。

とにかく離婚率が50%を超えるフランスなのに、婿クンの両親もVクンの両親も私たちも誰も離婚していないので、家族関係がシンプルで助かる。

次女はまだ結婚しているわけではないから、離婚の心配はないし。と言うのは冗談だが、この次女は何しろ、うちの上の猫が死んだら生きている意味がないと言っている子なので、そして、昔から、子供のいる家庭が欲しいとも言っていたので、猫より大切な家庭ができるまでは、今16歳半のまやちゃんにがんばって長生きしてもらいたい。

今すでに「Vクンが猫よりも大切だ」と言ってくれてたらいいのだけれど、少なくとも私たちには言明していない。

でも、大の猫アレルギーで、うちに来たら滂沱の涙と咳で気の毒なくらいのVクンと暮らすことにしたのは、次女が猫なしでも生きていけるってことなのかもしれない(私たち夫婦が夏に長男とプラハに旅行していた間、次女とVクンがうちで猫の世話をしていたのだ)。

次女は28歳、Vクンはもうすぐ29歳。長女に孫クンが生まれたのは26歳で婿クンは28歳だった。今のところ2組のカップルはなかよしだ。このままうまく行ってくれますように。

そういえば婿クンの親から電話がかかって来て、来週の金曜にミリタリーサークルでディナーカクテル付きのピアノとヴァイオリンのコンサートに招待された。

ソリストは20歳の日本人の新鋭で成田達輝という人。こういう無理やりの付き合いでもないとバロックオペラばかり観ているのだから、それなりに楽しい。バロック・バレーに夢中でも、クラシック・バレーのクラスに行けばそれなりにノスタルジックなはまり方をするのと同じだ。パガニーニを聴くのは久しぶり。

Vクンの親とはまだ会ったことがないのだが、ヴェルサイユに住んでるので、ヴェルサイユのロイヤル・オペラにでも誘ってくれればいいけど。婿クンの両親はもともと音楽ファンと知っていたけれど、Vクンちはなんとなく散文的な感じがするなあ。多分だめだろう。




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日曜日に息子のマンションで・・

2012-10-01 22:21:03 | 日記
長男がトロカデロに買ったワンルーム・マンションに家具を備えつけたりするためにこの週末は大変だった。長男は10月1日から仕事が変わって東京でも引っ越しした。日本のことだからすべて予定通り引っ越しもスムーズだし新しい家具やカーテンもそろった。

フランスでは工事の人も配達の人もフランス語が不自由な外国人が多くて、時間は守らないし、仕事も中途半端で、あらゆることが信じられないくらいにうまくいかない。

結局、うちの夫や私までが掃除だの大工仕事をするはめになった。

工事の人が勝手に使ったらしいトイレが汚れているのを見てブラシでこすりながら、うちのトイレも掃除しない私がなんでこんなことをしてるのか自分でも不思議な気分になった。

フローリングの床を拭きながら、小学校の時の掃除当番のシーンを思い出した。そう、私が掃除すると、思い出は小学校の掃除当番までさかのぼるのだ。冬の日に「日直」とかで、石炭ストーブに入れる石炭をとりにいく、っていうシーンもあったっけ。

フランスの小学校には掃除当番も給食当番もないから、うちの子どもたちはそんな経験もない。長男だけは、父親を見ているのでよく掃除していた。長男は料理も趣味。

長女のところも次女のところも連れ合いが料理を含めた家事をする。
もうすぐ彼氏と住みはじめる予定の次女は、カップルのけんかの原因の一位は家事の分担だという統計を読んで、長女のところに来ている家政婦さんを紹介してもらうと言っている。

フランスは男女が平等に家事分担をするプロテスタント国とちがって家政婦さんを頼む敷居がすごく低い。うちもそうだし、婿クンの両親もそうだし、夫の母親のところにもいつも手伝いの人がいた。私の実家も、兄が生まれた直後に父の田舎から住みこみの「女中さん」が派遣されてきたので、私は生まれた時から「女中さん」がそばにいた。女中さんがいなくなってからは食堂につながっていた「女中部屋」を壊して大きいDKに改造したが、家政婦さんは時々来ていた。

うちでは夫と家政婦さんはほとんどライバル関係にあるので、夫はリタイアしてからは家政婦さんの来る日には掃除機をすでにかけている。家政婦さんは掃除機をかけないで済む分、他の仕事もできるようになった。うちは二軒長屋でトイレだけでも七つ、浴槽六つ、台所四つ、洗面台もたくさんあるので、とにかく毎週一度はさっと洗っておいてもらわないとすぐに薄汚れた感じになる。

で、長男のマンションを整えるために、電気の契約やらテレビの接続などに、近くに住む婿クンに応援を頼んだ。土曜の昼は長女は働いていたので、婿クンが孫クンと妹ちゃんを連れてうちの夫を手伝いにきた。日曜日の昼は長女の家で婿クンの手料理を食べて、その後、長女もそのマンションを見たいというので、ベビーカーを押してやってきた。次女も見に来た。次女の彼氏も何か手伝うためにやってきた。

ワンルームのマンションに家族8人。

10月から住む人が、途中で荷物を置きに来たのだけれど、さぞやびっくりしただろう。

でも、次女は孫クンと遊んでやっているし、婿クンと次女の彼氏とがなかよくうちの夫を手伝ったりしている光景も不思議だ。

その三日前には、やはりその近くにいる義弟夫婦のアパルトマンに招かれて行ってきた。義弟夫婦の一人息子の洗礼父(代父)の夫婦と洗礼母(代母)のカップルも来ていた。義弟(私より年上)はリタイアした後、税金対策もあって自分で中東に会社を作っているし、他の人もいろいろやっているものの、基本的には全員、リタイア世代のカップル四組ということだ。

義弟の一人息子はカナダ人女性とロンドンに住んでいるが子供はない。他の二組のカップルは、それぞれ子供四人に孫が七人、子供三人に孫が五人と結構大家族だ。義弟も含めて、みな海外駐在の長い新自由主義経済の「勝ち組み」みたいな人たちで、甥の代父は、別荘にコンゴから二トンの熱帯の木材を運びこんでいて、それを材料にして木工するのが趣味だという。

なんだか、リタイアした裕福なカップルの親睦クラブに紛れ込んだみたいな気がした。

そのまた数日前には、哲学者やダンサーや画家たちの集まるホーム・パーティに行ってきた。

そしてこの週末は、子供や孫たちがゴロゴロ…

なんだかまったく違う世界が次々と目の前で展開している。

昔は、いろんなシチュエーションでも平気でとけこんでいたのだけれど、この頃なんとなく、どこにいても、「私はほんとにこの人たちの仲間なんだろうか…」と思ってしまう。

トリオの仲間と話していると彼らと本当に距離が近いと感じるのだけれど、そのことがなんとなく後ろめたい。

それにしても、次の世代がどんどんと増えていくと、ところてん式に、リタイア・クラブの方に吹き寄せられていくようなのは、落ち着かない感覚だ。

自分の若い時に「年寄り世代」と見なしていた人たちの内面もいろいろあったんだろうな、といまさら思う。



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