昨夜、婿クンの両親の招待でミリタリー・サークルでのディナー・コンサートに行った。
本格的な舞台でヴァイオリンとピアノのリサイタルがあった後で、結婚式ホールでの着席ディナーだった。こういう時は本当にさすがフランスというくらい、本格的なものが出る。同じテーブルにはヴェルサイユのコーラス団のメンバー2人と退役空軍大将夫妻が同席で楽しく話せた。
パリのど真ん中にある立派なこの建物の中で孫クンの洗礼式後のパーティもしたことがある。
退役海軍士官である婿クンパパご用達の場所である。
で、コンサートも楽しかったし後のカクテルと食事が立派だったので、
「次のコンサートには私たちの方が彼らを招待しなきゃ、一般の人でも予約できるんだよね、サイトに載ってたんだから・・・」
と帰りのメトロの中で夫に話した。
「あ、でも、軍人とか元軍人なら割引料金があるのかなあ」と私。
すると夫が、
「僕だって元軍人だよー。しかも、ancien militaire distingué だし」
と言った。
夫の若いころには兵役があったし、彼が空軍の地上勤務でパリの兵営の門番とかしながら同時にソルボンヌに通えて数理経済学の修士号をとったので一年が無駄にならなかった、という話は私は知っていた。
夫の弟は1年の兵役のかわりにアフリカで2年の非軍事勤務をやった。上の兄さんたちはアルジェリア戦争に行っている。
でも夫が「ancien militaire distingué」というのは初耳だ。それってなあに ?
つまり除隊の時に階級が特進された優等兵士ということだ。また、なんで ?
当時は、18歳から兵役だが、高等教育を受ける人(当時は今と違ってバカロレアの合格率自体が20%以下だった)には入隊延期の特典があった。
で、夫の兄さんたちのように、大学に行ったような人たちは、そこで、軍事準備クラスというのを併行して受けることができた。このクラスを履修しておくと、卒業して徴兵された時に、二等兵ではなくて士官待遇で兵役をやれるからだ。
夫は、アルジェリア戦争、植民地戦争などに反対だったから、そのような状況の兵役そのものにも反対で、軍事研修などは一切しないで、グランゼコール準備クラスの数学専攻にだけ進んだ。
そうやって入隊の延期を何度も申請していたがついに、20代半ば近くになって徴兵された。おとうさんがなくなったばかりで、弟はカナダに留学していたから、おかあさんや末の妹を置いてアフリカなどに2年も民間勤務をするつもりはなかった。
何の手だてもしていないのでいわゆる二等兵扱いで、18歳で入隊する若者たちと同期になった。
入隊するといろいろな試験がある。
そこには数学の試験もあった。
数学の能力で社会階層が分けられるシステムのフランスでは、数学のできるような男は高等教育を受け、軍事準備研修をして士官として召集されるのが普通なのだから、二等兵たちの数学のテストの成績は当然ふるわない。
その中で夫は当然満点の成績で評判になり、兵営の将官に頼まれてその息子の数学の家庭教師をすることになった。
夫はとにかく何でも教えるのがうまい上に生徒にも親にも信頼感を抱かせる天性の魅力があるので、子供の成績は伸びた。
それまでも少年たちのバカンス村の指導者としていつもヒーローだったエピソードは家族からよく聞かされていた。
二等兵には軍事の基礎訓練が課せられるのだが、スポーツマンの夫はすべてに優秀だった。中距離の陸上選手だったので中距離走で伝説的なタイムを出した。
その上、若い時から、非常に落ち着いていて暖かく信頼感をそそるタイプだ。
実際に私は自分の息子や婿クンや次女の彼氏たちが私の知り合った当時の夫と同じ年になった頃に比べて見ると、彼らがみな好青年だけれども子供なあだと思ってしまう。
夫は、若いころから、年配の修道女や神父にも好かれるし、生徒の親たちにも好かれるし、理想の息子、理想の婿、理想の父親、理想の兄さん、理想の夫として思い描かれるようなタイプなのである。
つまり理想の家庭人。
もちろん私の親も初対面から気にいったばかりか一生感嘆のし通しだった。
で、兵役の間中、上官からも好かれまくって、ソ連のブレジネフが空軍を訪問した時には、特別に最前列に座らされたのだそうだ。自然体でいながら姿勢はいいし清潔感があって平和時には「理想の兵士」でもあったのだろうか。(実際の性格は一匹狼で集団生活や人の命令を聞くのは大嫌いで筋や大義を通す。)
そんなことがあって、頼んでもいないのに、除隊の時に特進したのだ。
それは準備クラスを履修したから士官になれるというシステムと違って基本的に功労賞なのだ。
へーえ。
結婚して36年にもなるのにそんな話はじめて聞いたよ、なんで今まで言わなかったの ?
「だって別に話す理由がなかったから」
うーん、しかも、すごく納得できる、夫なら十分あり得るエピソードである。好奇心に駆られて根掘り葉掘り聞いてしまった。
それに比べて、うちの長男は、兵役を延期願いしまくっているうちに、ぎりぎりで徴兵制度が廃止された。
それでも、一応適性テストみたいなのを受けさせられて、それがシミュレーションで反射神経を試すようなものだったらしく、ゲームで鍛えている長男は好成績をたたき出して、もし入隊したら士官扱いだと言われていた。
そのあとビジネススクールで国際危機管理のマスターも習得したので、士官学校に戦略会議の研修に行ってそこでも参謀のシミュレーションのテストで好成績で何かの免状をもらった。
今から10年近く前には、ある種のメジャーなオンラインゲームで、日本と中東と欧米のチームを集めて、時差を利用して英仏日語で指令しながら、サーバーから妨害されるほどにすごくビッグなキャラになったので、「神」と呼ばれていたこともある。
そういう昼夜もない生活の上に仕事もしていたのだから、20代半ばの体力がないと不可能ということで、今はリーダーを降りて時々たしなむ程度になった。
夫と長男、時代の差にもキャラの差にも愕然とするが、まあ、息子が相対的に平和な時代に生きられてよかった、としなくては。
本格的な舞台でヴァイオリンとピアノのリサイタルがあった後で、結婚式ホールでの着席ディナーだった。こういう時は本当にさすがフランスというくらい、本格的なものが出る。同じテーブルにはヴェルサイユのコーラス団のメンバー2人と退役空軍大将夫妻が同席で楽しく話せた。
パリのど真ん中にある立派なこの建物の中で孫クンの洗礼式後のパーティもしたことがある。
退役海軍士官である婿クンパパご用達の場所である。
で、コンサートも楽しかったし後のカクテルと食事が立派だったので、
「次のコンサートには私たちの方が彼らを招待しなきゃ、一般の人でも予約できるんだよね、サイトに載ってたんだから・・・」
と帰りのメトロの中で夫に話した。
「あ、でも、軍人とか元軍人なら割引料金があるのかなあ」と私。
すると夫が、
「僕だって元軍人だよー。しかも、ancien militaire distingué だし」
と言った。
夫の若いころには兵役があったし、彼が空軍の地上勤務でパリの兵営の門番とかしながら同時にソルボンヌに通えて数理経済学の修士号をとったので一年が無駄にならなかった、という話は私は知っていた。
夫の弟は1年の兵役のかわりにアフリカで2年の非軍事勤務をやった。上の兄さんたちはアルジェリア戦争に行っている。
でも夫が「ancien militaire distingué」というのは初耳だ。それってなあに ?
つまり除隊の時に階級が特進された優等兵士ということだ。また、なんで ?
当時は、18歳から兵役だが、高等教育を受ける人(当時は今と違ってバカロレアの合格率自体が20%以下だった)には入隊延期の特典があった。
で、夫の兄さんたちのように、大学に行ったような人たちは、そこで、軍事準備クラスというのを併行して受けることができた。このクラスを履修しておくと、卒業して徴兵された時に、二等兵ではなくて士官待遇で兵役をやれるからだ。
夫は、アルジェリア戦争、植民地戦争などに反対だったから、そのような状況の兵役そのものにも反対で、軍事研修などは一切しないで、グランゼコール準備クラスの数学専攻にだけ進んだ。
そうやって入隊の延期を何度も申請していたがついに、20代半ば近くになって徴兵された。おとうさんがなくなったばかりで、弟はカナダに留学していたから、おかあさんや末の妹を置いてアフリカなどに2年も民間勤務をするつもりはなかった。
何の手だてもしていないのでいわゆる二等兵扱いで、18歳で入隊する若者たちと同期になった。
入隊するといろいろな試験がある。
そこには数学の試験もあった。
数学の能力で社会階層が分けられるシステムのフランスでは、数学のできるような男は高等教育を受け、軍事準備研修をして士官として召集されるのが普通なのだから、二等兵たちの数学のテストの成績は当然ふるわない。
その中で夫は当然満点の成績で評判になり、兵営の将官に頼まれてその息子の数学の家庭教師をすることになった。
夫はとにかく何でも教えるのがうまい上に生徒にも親にも信頼感を抱かせる天性の魅力があるので、子供の成績は伸びた。
それまでも少年たちのバカンス村の指導者としていつもヒーローだったエピソードは家族からよく聞かされていた。
二等兵には軍事の基礎訓練が課せられるのだが、スポーツマンの夫はすべてに優秀だった。中距離の陸上選手だったので中距離走で伝説的なタイムを出した。
その上、若い時から、非常に落ち着いていて暖かく信頼感をそそるタイプだ。
実際に私は自分の息子や婿クンや次女の彼氏たちが私の知り合った当時の夫と同じ年になった頃に比べて見ると、彼らがみな好青年だけれども子供なあだと思ってしまう。
夫は、若いころから、年配の修道女や神父にも好かれるし、生徒の親たちにも好かれるし、理想の息子、理想の婿、理想の父親、理想の兄さん、理想の夫として思い描かれるようなタイプなのである。
つまり理想の家庭人。
もちろん私の親も初対面から気にいったばかりか一生感嘆のし通しだった。
で、兵役の間中、上官からも好かれまくって、ソ連のブレジネフが空軍を訪問した時には、特別に最前列に座らされたのだそうだ。自然体でいながら姿勢はいいし清潔感があって平和時には「理想の兵士」でもあったのだろうか。(実際の性格は一匹狼で集団生活や人の命令を聞くのは大嫌いで筋や大義を通す。)
そんなことがあって、頼んでもいないのに、除隊の時に特進したのだ。
それは準備クラスを履修したから士官になれるというシステムと違って基本的に功労賞なのだ。
へーえ。
結婚して36年にもなるのにそんな話はじめて聞いたよ、なんで今まで言わなかったの ?
「だって別に話す理由がなかったから」
うーん、しかも、すごく納得できる、夫なら十分あり得るエピソードである。好奇心に駆られて根掘り葉掘り聞いてしまった。
それに比べて、うちの長男は、兵役を延期願いしまくっているうちに、ぎりぎりで徴兵制度が廃止された。
それでも、一応適性テストみたいなのを受けさせられて、それがシミュレーションで反射神経を試すようなものだったらしく、ゲームで鍛えている長男は好成績をたたき出して、もし入隊したら士官扱いだと言われていた。
そのあとビジネススクールで国際危機管理のマスターも習得したので、士官学校に戦略会議の研修に行ってそこでも参謀のシミュレーションのテストで好成績で何かの免状をもらった。
今から10年近く前には、ある種のメジャーなオンラインゲームで、日本と中東と欧米のチームを集めて、時差を利用して英仏日語で指令しながら、サーバーから妨害されるほどにすごくビッグなキャラになったので、「神」と呼ばれていたこともある。
そういう昼夜もない生活の上に仕事もしていたのだから、20代半ばの体力がないと不可能ということで、今はリーダーを降りて時々たしなむ程度になった。
夫と長男、時代の差にもキャラの差にも愕然とするが、まあ、息子が相対的に平和な時代に生きられてよかった、としなくては。