3/11、フランスのTVニュースでも一斉に触れられていた。
当時は「津波」の映像が最もショッキングだったけれど、すぐに「フクシマ」に移行し、今も「フクシマ」が連呼されている。
このブログを見ても、2011年の3月と4月は結構たくさんの記事があった。
読み返したのはほんとに10年ぶりだ。
あるいはこういうの。
思えば、95年の阪神淡路大震災の時もパリとノルマンディで2つの支援コンサートをし、3・11の時もコンサートをした。
パリの多発テロの後も、フィルハーモニーでの演奏に加わったし、直接誰かを助けたりできない「危機」の前ではいつも音楽
に思いを託してきた。
コロナ禍だけは別で、コンサートが次々と中止になり、自分が弾くどころか、演奏会を聴くこともかなわないという状況がもうずっと続いている。
演奏家でメンタルをやられた人もいる。
どういう形でこれを抜け出せるのだろう。
一度も発表会で弾くことができていない新しい生徒も数人いる。
コンセルヴァトワールはいろいろな「コンサート」をネットで「配信」しているけれど、初めの頃こそ新鮮だったものの、今はあまり食指が動かない。
「生の接触」を前提としているアートは、ヴァーチャルで別物になる。
家族関係、友人関係などは言わずもがなだ。
どのように「別物」を養い育むのかがこれからの課題になるのかもしれない。
当時は「津波」の映像が最もショッキングだったけれど、すぐに「フクシマ」に移行し、今も「フクシマ」が連呼されている。
このブログを見ても、2011年の3月と4月は結構たくさんの記事があった。
読み返したのはほんとに10年ぶりだ。
あるいはこういうの。
思えば、95年の阪神淡路大震災の時もパリとノルマンディで2つの支援コンサートをし、3・11の時もコンサートをした。
パリの多発テロの後も、フィルハーモニーでの演奏に加わったし、直接誰かを助けたりできない「危機」の前ではいつも音楽
に思いを託してきた。
コロナ禍だけは別で、コンサートが次々と中止になり、自分が弾くどころか、演奏会を聴くこともかなわないという状況がもうずっと続いている。
演奏家でメンタルをやられた人もいる。
どういう形でこれを抜け出せるのだろう。
一度も発表会で弾くことができていない新しい生徒も数人いる。
コンセルヴァトワールはいろいろな「コンサート」をネットで「配信」しているけれど、初めの頃こそ新鮮だったものの、今はあまり食指が動かない。
「生の接触」を前提としているアートは、ヴァーチャルで別物になる。
家族関係、友人関係などは言わずもがなだ。
どのように「別物」を養い育むのかがこれからの課題になるのかもしれない。