まやの午睡

日常の記録です。

「見た目」

2023-04-03 22:10:48 | 日記
コロナ禍のロックダウンで日本に長くいかなかったせいもあるけれど、ますます「着るもの」に頓着しなくなった。もともと、セーターやTシャツとジーンズだけで暮らしていける。
ただ、昔、ピアノの先生がおしゃれだったことが何となく誇らしかった記憶があるので、生徒たちが来るときは、少なくとも、「身だしなみ」には気を遣う。歯も磨くしローズウォーターとワセリンで手をマッサージしておく。
また、日本に行くと、「フランスから来た人」というバイアスで見られるから、ユニクロとか来ていたらなんだか申しわけないような気がして、少しは工夫する。

それでも、ボトムなどはたいていいつもユニクロのレギンズ・ジーンズとか、ストレッチのウエストゴムのものばかりだ。スキニーでもあまりぴっちりしないようにMサイズやフリーサイズを選ぶのだけれど、「いつまでも10年、20年前と同じそういうものをよく着ていられますね」と言われることがあった。褒められているのかあきれられているのか憐れまれているのかよく分からない。
着心地としては、バレーのレオタードにタイツなどが本当は、一番可動性があって好きだ。ワイドパンツとかロングスカートとか、自分の体のかなり外側に境界があるのって、この年になると、階段や何かで引っかかるのではないかとその方が気になるからだ。

「見た目」は気にならない。というか、あれこれ忙しくて、見た目をケアするような暇がない。
それなのにたまに、「手がきれいね」とか「シワがないですねー」などと女性の友人に「うらやましがられる?」ことがあって驚く。「どうして?」と思って同世代のその人の手を見るとなるほどシミが点々とあったりしてああ、そういうことか、と納得する。
私にとって手や指は楽器の一部でもあるから、これまで時々悩まされてきた腱鞘炎などさえなければ十分だ。シワに至っては、これも敢えてそんなことをいう人の顔を反射的に見ると、確かにシワが多かったりする。でもそんなこと話題にしなければそもそも見ないって。

見た目だの人の評価を気にしなくても気楽に生きてこられたのはフランスという場所のおかげだとは思う。もし日本にいたらかなりの時間を「見た目」を整えるのに費やしていたのかもしれない。
最近、畏敬するある方から、私のブログを読んだ感想として、

「臆せず飾らず裏なく、ご自分の地を出している」

という言葉をいただいた。これには感激した。

私が少なくとも自覚的には絶対に嘘をつくことなく、誰に忖度もせず、保身や「見た目」のキープにこだわらず、ただその時々に「誠実」に書いていることをすぐに読み取ってくださったのだ。「見た目」がなくとも、言葉によってだけでも、真意や思いが伝わるということはあるのだとあらためて感動する。力をもらえた。

だから細々とこの日記も続けていきます。(お気軽にコメントください。)