まやの午睡

日常の記録です。

長男との旅行に続いた「青天の霹靂」

2023-08-01 23:11:35 | 日記
7月に長男が4年ぶりの夏のバカンスにやってきた。
クリスマス以来、一日だけ出張の合間に私宛の荷物を届けに来てくれたことがあったけれど、いっしょに旅行できたのは去年の四月末のナントとレンヌの旅以来だ。去年は確かまだ出発72時間前のPCR 検査陰性証明が必要ということで、旅行していても、感染しないように、感染させないように、ひやひやものだったのを思い出す。

今回は久しぶりに、日本でも何の規制もなくなって、フランスはもちろん誰もマスクしていないし、4年前と変わらない自由な旅行を満喫した。
3年前に予定していてコロナのせいで行けなくなったポーランドのクラクフ旅行は、ウクライナ戦争のせいであきらめ、フランス国内で巡礼旅行ということになった。
4年前は飛行機で行ってレンタカーを借りて回ったのだけれど、今年はプランを立てる時から次女にも長男にも反対された。ル・ピュイとアルプスのサレットはリヨンとグルノーブル経由で電車で行くと5時間もかかり、車だとその半分なので、迷っていたのだけれど、次女は夫に運転させるのはだめだと言い、結局長男がすべてタクシーを予約してくれた。
私が春に日本に行った時に全部手配してくれたもので、私は行きたい場所をリスティングするだけ。
10年前に夫と長男と北海道旅行をした時、タクシーを借り切ってとても親切にあちこち回ってもらえたというポジティヴな思い出もある。
婿クンやパパクンのように息子が運転好きだったら便利なのにとちらっと思わないでもないが、日本でも煽り運転の話だとかいろいろ聞くと、私と同じペーパードライバーであることはむしろ安心でもある。
で、天気にも恵まれて楽々と旅行できた。
グルノーブルで二泊したホテルは、それぞれキングサイズのベッドや浴室などのある独立した部屋が、間にあるドアでつながっているという構造で、ゆっくりできた。
(ちなみにこの旅行の費用は私たちから夏生れの長男への久しぶりの誕生プレゼントということで、たて替えてもらった部分は全部振り込んだ。でも、帰りは疲れているだろうからということで長男が勝手に帰りの列車をファーストクラスにグレードアップしてくれていた。こういう気遣いも嬉しい。)

どこでも、ナントやレンヌと同じくすべて長男がgoogl mapで道案内してくれたりレストランを見つけてくれたりするので、私たちはガイドか添乗員にまかせっきりのシニア夫婦という気楽さだった。それでいて違和感がない。これがもし長女や次女と一緒なら違うだろう。長男と三人というのは、もちろんこの20年、母も交えて旅してきた思い出もあるけれど、彼が生まれた最初の四年間の印象が強烈なのだ。特に、彼が二歳から三歳にかけての一年間は、夫が役所を休職して日本にいた(日仏学院などいろいろなところで教えていたとはいえ、お役所仕事とは根本的に違うし、日本語が不自由だから言葉を使う雑用は免除されていた。彼の人生で唯一のバカンスに似た親子三人の蜜月期間だった)ので、三人の生活、三人の旅の思い出は刻印されている。だから、私たちと長男という組み合わせだと、それがまるで世界の始まりですべてのように感じる。
もし彼が結婚していたり子供がいたりすれば話はまったく別だろうけれど、彼が「自由」であることで時間が止まっている感じがする。
もちろん彼が小さいときは私たちが仕切ったり守ったりしていたのに今はすべて彼が私たちの世話をしてくれる。その「世代交代」が全く自然で違和感がない。

むろん彼が、無職だとか生活に困っているとか健康に問題があるなどであれば、私たちが甘えている場合でなく心配の種だったろうが、彼は生活を満喫しているし、学生時代からの友人と今もつきあっていて(その友人には妻子がいるがバカンス中ということで、今回は二人で何度も食事に行ったり映画を観にいったりしていた。その彼は日本好きで、能面のコレクションもしていて、別荘に茶室を特別に造らせたりしているそうだ)、妹たちとも甥や姪たちとも仲がよく、今回も長女の誕生日パーティのためにいろいろなグッズを持ってきていた。

そう、私は仕事が遅れているのでパスしたが、旅行から戻った後、義弟の別荘で、次女の家族、長女や子供たち、夫と長男(義弟は長男の洗礼親)らが泊りがけで長女の誕生パーティーをしたのだ。(この時も、夫に長距離運転をさせたくないというので、パパくんが運転した。)

ところが、このパーティの少し前に、「青天の霹靂」とでもいうことが起こった。

いやあ、コロナ禍があっても、ウクライナ戦争や、「暴動」や「猛暑」や「森林火事」があっても、「家族レベル」では幸い大きな被害はなく、私は残された時間をできるだけ、次世代へのメッセージを残すことに費やそうとしていたのに、まだ「大事件」が起こる余地があったとは・・。
もしこのことを分かち合える人がいなかったら、心穏やかではなかったろうが、家族みんなと話し合うこともできて、すぐ冷静になれた。メールやLineでつながっていることにも感謝だ。
この「霹靂」がこれから展開していくかを観察し、そこにどう関わっていくかも考えながら、いつかはこのブログにも挙げていくことになるだろう。

「すべてのことには時がある」ということで。

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