まやの午睡

日常の記録です。

4人の孫で飽和状態のところに長女の一撃

2019-03-01 09:37:41 | 日記
2月、1週間長女の子供たち3人をあずかった。スキーがキャンセルになったとかで、ブルターニュの冬休み2週間のうち最初の1週間は婿クンの両親が、次は私たちの番で、大変なのは、末っ子ちゃんとKちゃんが遊べるようにと週の後半に次女がKちゃんまで連れてきたことだ。長女の3人だけなら、ちょうど30年前にタイムスリップしたような感じでまあなんとかやっていけるけれど、Kちゃんはまだまだ目が離せない。

うちの子が小さい時にも、いとこたちを3人までいっしょにあずかったことがあるけれど、うちの末っ子より年下は誰もいなかった。下に追加されるのは疲れる。夏には次女の第二子が生まれるから全部あずかればもっと大変になるだろう。(その第二子は男の子だと判明した。だから弟ちゃんとよぶことにしよう。)

週末には長女夫妻が友人の子供の洗礼に出席するためにうちに泊まって、3人の子も連れて帰ったが、長女は相変わらずハイで、いや、自分でも言っていたが今は最高に幸せらしい。
ギタリストといっしょのグループでボーカルをやっていることは知っていたけれど、最近、ポピュラー・オーケストラのソロの歌手としてデビューしたらしい。夏までに複数のコンサートも決まっている。

そのオーケストラは、昨年の結成後以来、指揮者がずっと歌手を募集していて、本部には張り紙もしていて何人も応募があってオーディションをしたのだけれど、結局、指揮者の満足のいく歌手が見つからないままだったそうだ。長女が歌っていることを知っている子供の保護者仲間が偶然関係者で、長女を紹介して、彼女が歌ったら一発でOKだったそうだ。音程は抜群、今のグループで即興なども鍛えられ、舞台度胸も抜群なのだから分かる。
子供の時から合唱団でもソロをやっていたし、日本のJ医大に研修に行っていた時もジャズクラブのコンサートに参加してシャンソンを歌っていた。

今は毎日音楽をやり、そのことで全てのストレスが吹き飛ぶのだそうだ。ほんとうに生き生きして自信に満ちている。

と、まあ、ここまで書くと、3人の子の母で国際的に認められた研究者でもあり臨床医で教育者でもある女性が歌わせてもプロという、「自慢」だと思われるかもしれないけれど、このブログをずっと読んできた方には想像がつくかもしれないけれど、その後に長女によるお決まりの「両親批判」が延々と続くのだ。

いわく、彼女が子供の頃、私がいつも、楽器の練習をするようにうるさく言った、
楽典の勉強ばかりしたので、自分と音楽の間には「楽譜」が立ちはだかっていた。
今はじめて、音楽と直に触れ合い、音楽の喜びを知った、etc...

私は幼い頃からの音楽院でのレッスンやいい楽器を与えてやったこと、私と教授たちや合唱指揮者たちとの関係が良いことでも子供たちは特権を享受していたからそれらがようやく実を結び感謝してもらえるのかと思ったら、

「今私は、音符など読めない多くの真のアーティストたちと出会った。それで初めて音楽の喜びに目覚めた。子供の頃は親にその芽をつまれていた」

という非難の連続。

私は子供たちが一生、好きな時に楽器に向かい合えるように努力した。
小学校の音楽の時間というのがないので、音楽院に行かないと一生音譜を読めないままに過ごす音楽好きのフランス人はたくさんいる。
特別に才能のある人は別として、音譜を読めないことに劣等感を抱き続けたり、後悔したりする人は多い。そのような大人の生徒を何人も教えてきた。私にとっては、音譜をよみながら何らかの楽器を演奏できる(日本なら小学校のリコーダーだとか)レベルまでは、プールで25メートルをどんな泳法でもいいから泳げるというのと同じで、途中でやめても、いざという時や、やりたいと思った時に大きな困難がない最低限のものだ。大人になってからやるのはかなりの意志や時間やらが必要だ。子供の時に、それらを習わせておくのは親の務めだとくらいに思っていた。

私も怠け者で母から「練習しなさい」とうるさく言われていたけれど、ピアノのレッスンをやめるという発想はなかったし、今思うとテクニック以外の音楽的なことはスルーするような個人レッスンだったと思う。(3人目のギターの教師は自分で選び教育者としても優れた人だった。)演奏自体は嫌いではなかった。

けれども、決定的には、もうすぐ30年になろうとしている今の仲間との出会いが、私の音楽生活を一変させた。彼らなしにはバロック・バレーとの出会いもなく、音楽哲学の深化もなかった。思想にも生き方にも直結している。

私の場合、その幸運を振り返る時、必ず、親への感謝の気持ちがわきあがる。

小学校に入る前からピアノとバレーのレッスンが生活の一部となり、子供なので頭と体の一部にもなったこと、舞台に立つという体験も含めて、それらなしには、その後の「出会い」もなかったと思う。心から感謝している。

ああ、それなのに、それなのに...。

長女の言い方はいつも

「親によるまずい育てられ方にもかかわらず自分は自分の才能と才覚のおかげで自分の成功と幸せを獲得できた」

というサクセス・ストーリーなのだ。

まあ、現状が不満で苦しい、辛い、と言われるよりはもちろんいいわけで、それこそ「神に感謝」しなくてはと思うのだけれど、長女から自信満々に面と向かってけなされるとやはり何となく落ち込む。

(その上、孫クンのピアノや妹ちゃんのギターは「放置」なので、私から見ると悪い癖ばかりついている…)