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「文法」のサポート・第4章形容詞、第2節、第3項(495頁以下)の構成

2014年02月05日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
★ 2月3日の記事を削除し、新たにこれを掲載します。

 現在の「文法」の形容詞論は内容的整理に大きな間違いがあり、使いにくく、混乱を引き起こしていますので、再考しました。

 「文法」の495頁には「第3項・特殊な形容詞」とありますが、その内容は「形容詞の形による分類」に「意味上の分類」の一部が混ざって、混乱しています。よって、これを「形」だけに絞って、「意味内容」は第6節にまとめるのがベターだと判断しました。すると、以下のようになります。

 第3項・複合形容詞

 形容詞(現在分詞、過去分詞を含む)の前にそれを規定する簡単な語句(名詞、形容詞、副詞等)があると、語感はこれを一体のものと感ずる結果、これを合書するのが一般の傾向である。

①前綴りが分詞の元の動詞の結果を表わす場合
 rotangestrichen, kleingehackt,

②前綴りが分詞の元の動詞の手段や原因を表わす場合〔注・現在の②と③を1つにする〕
handgeschrieben, sonnbeglänzt, goldstrotzender Tempel,

③前綴りが分詞の元の動詞の目的語の場合
 aufsehenerregend, epochemachend

④前綴りが形容詞を限定する場合
weinrot, todmüde

⑤誇大的合成形容詞〔注・現在の(2)〕

 ・現在の「(3)形容でない形容詞」「(4)変則的な形容詞」「(5)属詞文の代用句」は第6節に移します。「第4項、充足概念と不足概念」は「→262頁の⑥」とだけ書いて表題だけ残し、内容は、「⑥・充足概念と不足概念」という表題にして262頁に移します。第6節は以下のようにします。

   第6節 付加語形容詞の意味上の分類と用法

 付加語形容詞を意味ないし働きによって分類しますと、まず、大きく、限定的形容詞(何らかの意味で後に続く名詞を限定する形容詞)と説明的ないし描写的形容詞(名詞に本来含まれている性質を表に出したに過ぎない形容詞)とに分ける事が出来ます。それぞれについて考えます。

 第1項、限定的形容詞の分類

 A・本来の形容詞(特殊化規定をする形容詞)

 B、本来的ではない形容詞

  B-1、具体規定的形容詞
  B-2、論定の指示的形容詞
  B-3、二格的形容詞
  B-4、同格付置的形容詞
  B-5、評辞的形容詞
  B-6、変則的な形容詞
B-7、属詞文の代用句

 C、代名詞系形容詞

  C-1、所有形容詞(mein, dein,usw.)→544の第13節
  C-2、指示形容詞(jener, dieser)→443頁
  C-3、不定形容詞(solcher)→448頁
  C-4、疑問形容詞(welcher)→1236頁の用例5と6
  C-5、関係形容詞(welcher)→付加語的関係代名詞

・A・本来の形容詞

 たとえば一人の男が緑色のネクタイをかけているのを見て:Er trägt eine grüne Krawatte!というとすれば,このeineは紹介導入の不定冠詞であり,grünは,その男が“どんな”ネクタイをかけているかを言葉にしたものであるから,特殊化規定である。特殊化規定は,具体化規定とはちがって,一般的な規定であるから,特殊化規定されたeine grüne Krawatteなるものは,その様なものが他にもたくさんあることを前提とする。だからまたeine(一つの)というわけである。(定冠詞39頁)

・B-1、具体規定的形容詞

 形容詞のうちには,形容(即ち特殊化規定)ではなくて指示(即ち具体化規定)にしか用いない形容詞がある。たとえばrecht(右の),link(左の)などがそれである。これらは従って必ず定冠詞とともに用いる:die linke Seite, die rechte Hand,――

 もちろん,ここに靴が片一方あるとして,“これは左足の靴だ”という時にはDas ist ein linker Schuhというが,此の場合のlinkはもはや元来のlinkではなく,für den linken Fußの意の転意形容詞である。(定冠詞39頁)

・B-2、論定の指示的形容詞(497頁からここへ移す)

 感想・関口は「論定の指示形容詞」としていますが、本来の指示形容詞と区別するために「指示『的』形容詞」とします。

・B-3、二格的形容詞(498頁からここへ移す)

 der väterliche Rat(父の忠言)、die mütterliche Obhut(母の庇護)は各々der Rat des Vaters, die Obhut der Mutterと同意であるが、こうした二格的形容詞は、二格付置と同様、「形容」ではなくて「規定」である。時には具体規定ですらもある(それに反してväterlichを「慈父の如き」の意に用いる場合には「形容」(即ち特殊化)である)(定冠詞46頁)。

・B-4、同格付置的形容詞(498頁からここへ移す)

 Der Königliche Gast(来訪の王)、Der brüderliche Lehrer(教師の役を受け持つ兄)は各々Der König, der Gast(またはDer Gast, der KönigまたはDer König und Gast)、Der Bruder,der Lehrer(またはDer Lehrer, der BruderまたはDer Bruder und LehrerまたはDer lehrende Bruder)と同じで、königlich, brüderlichは、〔それぞれ〕たとえば「王者らしい、尊厳な」とか「同胞的な」とかいったような「形容詞」ではなく、同格付置(Apposition)と全然同じ「規定詞」である。但し、こんどの場合の規定は、具体化規定というよりはむしろ換言的規定である(定冠詞46頁)。

・B-5、評辞的形容詞(話者の評価を表わす形容詞)

 私見では「評価の形容詞」とでも言うべきもの、つまり「話者の評価を表わす形容詞」があると思います。
 Letztlich reichte es für einen beachtlichen sechsten Rang. (DW)(結局、それは6位という悪くない成績だった)

 感想・beachtlichが評価を表していて、それを浮き上がらせるためeinenという不定冠詞を冠したのでしょう。「正当にも6位になった」ならば、Letztlich reichte es mit Recht den sechsten Rangとかden verdienten sechsten Rangと書いたのではないでしょうか。

B-6、変則的な形容詞(499頁からここへ移す)

B-7、属詞文の代用句(501頁からここへ移す)

 第2項、二格的形容詞か二格付置規定か

 「二格的形容詞」は上に述べたように「二格規定を付置するのと同じ」なのですが、実際にはどちらかが使われる訳です。その選択に当たっての規準があるのか、あるとするならば、どういう規準か、の問題です。

 01、Ebenso gewährt die Empirie wohl Wahrnehmungen von aufeinanderfolgenden Veränderungen oder von nebeneinanderstehenden Gegenständen, aber nicht einen Zusammenhang der Notwendigkeit. (Hegel, Enzykl.§39)(同様に、経験はたしかに〔時間的に〕前後して起こる変化や〔空間的に〕並んで存在している対象についての知覚を与えはするが、必然的関連は示さない)
 英・but it presents no necessary conection

 感想・ここはnicht einen Zusammenhang der Notwendigkeitとなっています。keinen Zusammenhang der Notwendigkeitとするのとどう違うのでしょうか。多分、「文法」の一184頁の第2点にある「名詞に質の含みを持たせたから」でしょう。英訳はno necessary connectionとしています。ドイツ語でもnotwendigen Zusammenhangとするとkeinenを冠置することに成るのでしょうか。

 第2項の「二格的形容詞か二格付置規定か」を考えるヒント

 01、たとえばドイツでは時々文化的関心を高めるためにDer Tag des Buches(書物の日)というものを催すが,これはdes Buchesという形であるために,die Bücherといったような日常意識を排斥して,改めてdas Buchというものの本質を考えさせる効果を発揮する語であって,その効果の全部が此のdesという定冠詞と,Buchesという単数形から来ている。もしDer Tag der Bücherであったら,すっかり世間的な,俗な,日常生活的な気持を与えて,反省的・内観的効果がなくなってしまうであろう。(定冠詞421頁)

 第3項 修辞的形容詞〔現在のまま〕
 注・現在「第4項・具体的想像を助成する贅語」は第3項の③とします。

備考

 以上は「現時点での一応の私見」ですが、もう少し考えたい点があります。それを列挙します。

 第1点。フランス語では名詞に掛かる形容詞を名詞の前に置く場合と後に置く場合があります。染木布充(そめき・のぶみつ)著『「なぜ?」がわかると超かんたん!フランス語文法』(ナツメ社)は「これ〔どういう形容詞は名詞の前に置き、どういう形容詞は後に置くかの問題〕は、1冊の本になるほどのテーマ」だと断った上で、「入門書だから、目安」として、「思い入れを含めた主観的な意味を持つ形容詞」は前に、「客観的な意味を持つ形容詞」は後に置くのが一般的、としています。

 この分類基準は「第1性質と第2性質の区別」とどの程度重なるのでしょうか。この区別はロックに帰せられるのが普通ですが、事実上デカルトにもありましたから、こういう考えはフランス人には当然だったのかもしれません。そう推定する根拠は以下の通りです。デカルトは動物機械論を唱えましたが、これは動物アニマル(animal)説に対抗する物で、正しくは「動物非アニマル説」と言っても好いくらいのものです。なぜなら、animalはギリシャ語のanima(霊魂)に由来していて、動物をanimalと呼ぶことは「動物には人間と同じく霊魂がある=内発的に運動する」という考えを前提しているからです。そして、デカルトの動物機械論は「動物には霊魂はない」とする考え、つまり「外からの入力がなければ運動しない」という考えだからです。何を言いたいかと言いますと、デカルトはフランス語を手がかりにして哲学したと推定出来るということです。ですから、その第1性質と第2性質の理論もフランス語の形容詞の使い方を手がかりにして考えたとしても不思議はないのです。

 又、染木は「1冊の本になるほどのテーマ」としていますが、これを詳しく論じた本はあるのでしょうか。なお、「1冊の本になるほどのテーマ」と言って終わりにする人と、そこから実際に「1冊の本」を書く人とがいると思います。後者でありたいと思います。

 第2点。私は、「B-5、評辞的形容詞(話者の評価を表わす形容詞)」というものを挙げましたが、これは副詞における「批評の副詞(評価の副詞)」に対応するものです。こういう形容詞があるとして、それはフランス語では「前に置かれる形容詞」の一種とされているのでしょう。それの用例がほしいものです。一般にフランス語では「話者の下す評価を表現する方法」としてどういうのがあるのでしょうか。更に、では、日本語では「話者の下す評価を表現する方法」としてどういうのがあるでしょうか。これも知りたいものです。

 第3点。日本語の形容詞の分類について、大野晋は次のように述べています。
──形容詞には、太く・細く・長く・短く・高く・低くのように語根にクの音を加えて活用するグループがあります。〔又〕悲しく・淋しく・楽しくのようにシクの音で活用する第二のグループがあります。

 古代語で二割くらいの例外がありますが、はじめのグループは概して、物の状態を表すのに対し、第二のグループは概して情意を表します(これは若くして亡くなった山本俊英君が学習院大学二年生のときに発見したことです)。

 つまり、ク活用形容詞──状態を表す
    シク活用形容詞──情意を表す

 という顕著な傾向が古代日本語にありました。(大野・丸谷・大岡・井上共著『日本語相談』3、朝日新聞社。引用終わり。なお角括弧の箇所は牧野が補ったもので、改行も少し変えました)

 この区別はフランス語の上記の区別と重なる部分があるのではないでしょうか。

 以上の事を今、考えています。つまり用例を集めています。読者の皆さんも、適当な用例が見つかったら教えてください。その時には出典を明記してください。なるべく明解な文がいいです。よろしくお願いします。

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