マキペディア(発行人・牧野紀之)

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投書・大学の誕生とその後の変遷についての感想

2012年03月25日 | タ行
 注・これはメルマガ「教育の広場」の第154号(2003年12月28日発行)に掲載された投書ですが、今回独立させました。最近は、と言いますか、メルマガからブログになって以来、このような「小論文」と言えるような内容のある投稿がなくなりました。「コメント」という言葉が悪いのでしょうか。さびしいです。

大学の誕生とその後の変遷についての感想(K・S)

 いつも楽しく拝読させていただいております。

 『茂木都立大学総長の言と行』『都立大学問題のその後』等大学問題についての鋭いご指摘には刮目(かつもく)に値するものと考えております。

 さて先生のご指摘の大学問題について2つの大きな問題点が焦点になるのではないかと思います。大学の堕落と大学教員の堕落という組織とその構成員の問題をご指摘になさっているのではないかと拝察申し上げます。この問題を別の角度から考えさせていただきたく存じます。

 大学問題が取り上げられる都度、大学の発祥地である、ボローニャのことが思い浮かべられます。中世来の法律は、19世紀の近代法典が成立するまで、6世紀のロ一マ法大全(ユスチニアヌス法典)を基にしていたと思われます。

しかしこのローマ法大全に含まれる法条文は、いろいろと矛盾を含んでおり、適用どころかその全体の理解もできない状態に特に中世に陥ったようです。そこでこのローマ法大全の体系的学習をしようと自発的に学生がボローニャに集まり、遠くドイツからもアルプスを越えて来る学生もいたそうです。

このような学習者・研究者のうち、秀でた者等が出てきて、その者に給金を払い教員として雇うということが出てきたようです。この給金を払うために学生が組合を作ったのボローニャ大学の始まりと言われております。

給金を出すのは学生でしたが、彼らとて、生産者ではないので決して裕福ではなかったようです。それこそ法学の修得が死活問題であったので、学生にとって有益でないと思われる教員は即刻解雇されたようです。いわば学生と教員の間に緊張関係があり、これが将来の大学の大いなる基礎を提供したものであると考えます。大学の自治も学生側が握っていたと思われます。

この緊張関係が解け、大学が堕落するきっかけは、大学が学生に依存せず、パトロンを得たことにあるのではないかと愚考しております。特にドイツの大学が、王や諸侯によって設立されました。

そこでは優秀な学者を招くために、教員の身分保障や学内統治を認めました。大学の自治は、学生の処分のための牢獄を持つまでにもいたりましたが、大学の自治は教員に移っていったと思われます。

自治の担い手である大学教員が、緊張感を持ちながら自らを律している限り、この大学制度は立派に機能すると思います。そして実際に大学人が自分の研究でさまざまに活躍していたことは周知の事実であります。

このドイツの制度が日本に導入されたようです。しかし昨今、大学教員は「永久就職」「身分保障」の制度的保障のお陰で特に国公立大学で先生がご指摘の通り堕落が始まりました。これはパトロンが抽象的な国民・住民であって、具体的な国民・住民に対する責任感が欠如していることもこの堕落を助長いたしました。

その結果、利己的で名誉欲の固まりとなっていきました。論文を書かなくても、講義を適当に欠講しても、なんらお咎めはありませんから、バイトに精を出す大学教員が登場するのも不思議ではありません。

そのくせ、大学外の人には「先生」と呼ばれ、また呼ばれなければ、呼ぶことを要求し、さらに審議会等に名を連ねたがり、勲章も求めたがります。このような大学教員が増えると、自分の利益を確保するために、「仲間」を集めだします(地方では、某政党員が殆ど教員を占める大学が多数あります)。

大学自治が堕落すると、堕落教員の自治となり、このような中で、「学生のために努力しよう」などという教員がいると、それは自分たちの既得権益を失うことを主張する者として、その教員は排除されるのが現状です。

都立大学を含む、国公立大学は国民・住民の血税で運営されているのに、そのパトロンである国民・住民に対してどれだけの還元をしているのでしようか。石原知事の問題提起を真剣に受け止めることができない大学は、先生の仰るとおり「民間に売却するべき」です。

この期に及んでもまだ「問答無用の形で出された新構想は、人文学部の廃止を前提としているとされ、大学の自治を完全に無視する暴挙」と叫ぶ「極楽とんぼ」は絶滅されるべきです。人文学部が不要とされている根拠・原因を突き止め、その上で再生可能か否かを外圧がある前に、自らが検肘し、改革案を呈示し、改革を遂行するのが、自治の1つの現れであると考えます。

したがってこの発言は自治能力の欠如を自ら告白していることに他なりません。だからこそ今日にいたったことに思い至らぬ大学教員を即刻解雇して、もっと国民・住民のためになる教員を雇い、その上で国民・住民のための大学ヘと変えていかねばなりません。

無能・無益な大学教員、生活扶助制度としての国公立大学は即刻廃止または民間に売却されるべきです。独立行政法人として血税を使い、無能無益の教員の余命を長らえさせるべきではありません。大学教員の雇用の確保よりも無駄な血税に一銭も投じさせないことの方が、重要であると考えます。

 追伸

  LECは東京リーガルマインドという資格試験予備校です。


        お返事(牧野 紀之)

投書をありがとうございます。

ヨーロッパでの大学の根本的な性格の変遷など、勉強させていただきました。

かつて1998年04月から06月まで、東大の西洋史の樺山紘一さんがNHKの人間大学の1つとして「都市と大学の世界史」という題で12回の講義をされましたが、その中でもふれられていなかった点が、ご投書の中にはあると思います。


    関連項目

茂木都立大学総長の言と行

都立大学問題のその後

吉川一義教授の教養