ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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茂木都立大学総長の言と行

2005年09月25日 | マ行
 石原東京都知事が(2003年)8月1日に突然、「都立の新しい大学の構想について」を発表したことで、都立大学と東京都とがもめているようです。この問題について〔岩波書店発行の〕「世界」12月号は茂木都立大学総長へのインタビュー記事「自由闊達な話し合いこそが大前提」を載せました。これを読んで疑問に思ったことを書きます。

第1点。 121頁の中段に次の文があります。

─大学は教育と研究の両面について責任を担っている。このどちらにウェイトを置くかに関しては率直に言って教員間に温度差があります。しかし、どちらにせよ都立大学は、その成り立ちから考えて、現在または将来にわたって、都民にとって有益かつ役に立つ教育と研究を行う責務があるのです。─

大学(ないし大学教員)には研究と教育の二つの仕事があるということはよく言われることです。そして、それを前提として、特に国立大学については「これまでは研究中心でありすぎた」と言われます。

しかし、本当にそうでしょうか。私見では、大多数の大学教員は研究も教育も疎かにしてアルバイトに狂奔している、と思います。私は、助教授は自著を最低1冊、教授は最低3冊出している必要があると思いますが、自著を1冊も出していない人が沢山います。それなのにアルバイトだけはせっせとやっています。都立大学についても同じ事が言えると思います。分かりやすく言えば、都立大学ではなくて「都立兼業大学」に成り下がっていると思います。

或る団体が2、3年前、東京都の情報公開条例を使って都立4大学の教員の兼業の実態を調べました。その結果を見た或る友人は「目に余るものがある」と言っていました。私も同感です。

 例を挙げましょう。都立大学の哲学の某教授は神戸大学と南山大学と北海道大学で集中講義をそれぞれ30時間し、上智大学と慶応大学でそれぞれ週2時間の授業を持ち、東京大学での多分野交流演習に月1回・4時間(年間)出ています。私の推定では、これで年間 200万円以上の副収入を得ていると思います。

これは最もひどい例の1つですが、2つや3つのアルバイトはザラです。私の経験では、本当に好い授業をするためには私の場合では1週間の出勤が2日ですが、若い人でも4日くらいが限度だと思います。それ以上になると、どこか手抜きをしなければならなくなります。

 自分の大学での授業や教授会や委員会などだけでも忙しいのに、どうして他大学でアルバイトが出来るのでしょうか。それは全てで手抜きしているからだと思います。

 このように研究と教育(もちろん自分の大学の学生の教育)の質を落としてでもアルバイトをしているのを茂木総長はどう考えるのでしょうか。法律によって、教員の兼業は総長の許可がなければできないはずです。茂木総長はどういう考えでこのようなアルバイトを許可したのでしょうか。

 また、かつて私が都立大学の大学院に在籍していた昭和38年から45年の経験で言いますと、9月の授業を勝手に休講にしているサボリ教授もたくさんいました。又、研究業績もなく授業も休んでばかりいながら政治運動とやらに憂き身をやつしている教授もいました。

茂木総長はこういうこれまでの実績(悪い実績)をどう考えるのでしょうか。

第2点。 123頁の中段に次の文があります。

─〔石原知事の〕新構想をめぐって都側と全然、協議していないとは言いません。しかし、それはあらかじめ都側が決めた枠の中の議論なんです。重要なのは、枠にとらわれない自由闊達な話し合い。これこそどのような大学を創っていくかの大前提なのです。─

では、(行政組織上の)「上」に対して「自由闊達な話し合い」を要求する茂木総長は、「下」の者との間にどのように「自由闊達な話し合い」を実行し、又都立大学の全教員に対して「学生との自由闊達な話し合い」を指示しているのでしょうか。もししているというならば、どういう工夫がなされているか具体的に教えてほしいものです。

都立大学のホームページを見てみましょう。すると次の事が分かります。

まず、茂木総長自身が都立大学の全教職員・学生に宛てたメルマガすら出していないことです。それはなぜでしょうか。小泉総理ですらメルマガを出しています。学問の府であり、議論を奨励する場のトップがメルマガすら出していないで、どうして他人に向かって「自由闊達な話し合い」を要求する資格があるのでしょうか。

いや、メルマガどころではありません。茂木総長は自分のメールアドレスすら公開していません。どうしてメールアドレスを公開して、都立大学の全関係者(更に外部の人)からの意見を聞いて、それに答え、その問答をホームページ上に公開しないのでしょうか。これこそが「自由闊達な話し合い」ではないでしょうか。

更に、教員紹介のコーナーを見てみましょう。先に兼業ばかりしているとして例に挙げました哲学の某教授の欄を見てみましょう。研究業績は最低の事しか書いていません。自分の担当している授業についての説明も不十分です。もちろん、兼業については全然書いていません。そもそも、大学側の指示した項目の中に兼業という項目がありません。

全教員(非常勤講師、集中講義の担当者を含む)について、その全職歴、全研究業績、全授業要綱、全兼業、大学内での仕事の全てを公表することは最低の説明責任だと思います。それなのに、この責任を茂木総長は果たしていません。十分な情報公開がないのにどうして「自由闊達な話し合い」ができるのでしょうか。

第3点。 124頁下段に次の文があります。

─よく基礎学力の低下が問題にされますが、私は同時に自分の意思を明確に述べ、相手が日本人であれ外国人であれ、まともに議論出来る力を養うよう手助けするのが教育の大事な仕事ではないかと考えています。─

ではこの「大事な仕事」を都立大学はこれまでどのように果たしてきたでしょうか。都立大学出身者でドイツ文学翻訳家として名高い人がいます。この方が3年ほど前、NHKのラジオドイツ語講座で「原書で楽しむグリム」という講座を1年間、担当しました。内容的には結構面白いものでした。しかし、語学的にはかなり問題のあるものでした。私の気づいた点をNHK宛てに質問しました。係から返事がきました。「いま、担当の先生に回答をお願いしています」と。しかし、「担当の先生」からはついにお返事はいただけませんでした。

第4点。このように問題点を指摘しますと、多分、茂木総長はこう答えるのでしょう。

 ─これもまた、すぐに効果の現れるという話ではないのですが。( 124頁)

この「大学の仕事の効果はすぐに現れるものではない」という論拠は大学人の好く使うものです。任期制導入が問題になった時もそうでした。今回の国立大学の独立行政法人化に反対する論拠の1つもそうでした。

この一見もっともらしい論拠を反駁しておきましょう。

第1に、都立大学は創立してから50年以上たっているのです。この間に大した成果が上がっていないことが問題なのです。むしろ悪くなってすらいるのが問題なのです。これまで50年以上の時間が与えられながら、大した成果も挙げられなかった人達が「大学の仕事の効果はすぐに現れるものではない」と言っても通りません。

一歩を譲ってそうだとするならば、どういう手を打っていつまでにどの程度の効果を挙げるのか、数値目標を出すべきでしょう。今はマニフェストの時代なのです。更に、教授の業績についても、定年(ないし退職)の時に「最後の審判」をして、研究や教育について成果の不十分だった教授には退職金を払わないとか、減額するといった制度を創るべきです。

第2に、すぐに効果の出るような手段や方法も沢山あります。例えば、高知大学で導入している日本語技法の授業です。これは1年生の前期だけのものですが、実質3ヵ月で効果が出ているそうです。それを何年も続け、方法を改良していけば成果は大きくなるでしょう。

総長がメルマガを出して教職員の意見を聞いて、「自由闊達な話し合い」をするのも効果はすぐに出ると思います。北星学園大学校の土橋校長のように学長通信を出していた(当時)人もいます。茂木総長もそれのまねをして総長通信を出したらどうでしょうか。これはすぐに効果が出ると思います。

同様に、全教員に教科通信を出させて学生との「落ちついた意見交換」をさせるならば、その効果は直ちに現れるでしょう。これは私の経験からはっきり言えます。

つまり、「大学の仕事の効果はすぐに現れるものではない」というのはやる気のない大学人の逃げ口上であり、言い訳にすぎないのです。

結論として私の言いたいことは、「自由闊達な話し合い」を実行していない茂木総長にはそれを東京都に主張ないし要求する資格がないということです。あるいは、そういう事を要求しても力にならないということです。

しかし、私は同時に、石原都知事の都立大学改革の方向もやり方も支持しません。

では都立大学はどうしたら好いのでしょうか。民営化したらいいと思います。法政大学総長の清成忠男氏は朝日新聞のアンケートに答えてこう言っています。

「成熟した経済大国という現状においては、国立大学の存在意義はない。今日、国立でなければできないことは何もない。基礎研究は私立大学に財政資金を投入すれば、国立大学に劣らず十分に可能である。国立大学への優遇など、『民業圧迫』はやめるべきだ。」(2003年07月06日付け朝日新聞)

同感です。この国立大学にはもちろん公立大学も入ります。小泉総理の言うとおり、民間で出来る事は民間に任せるべきだと思います。東京都は財政難で苦しんでいるそうですから、民営化したらその点でも助かると思います。

 付記

これは「世界」に投稿したものですが、「世界」は「自由闊達な話し合い」がお嫌いなようで、採用されませんでした。ここに掲載します。


(2003年12月16日発行「教育の広場」から転載)