マキペディア(発行人・牧野紀之)

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カネミ油症

2009年08月19日 | カ行
     カネミ油症40年

          宿輪(しゅくわ)敏子(カネミ油症五島市の会事務局長)

 国内最大の食品公害であるカネミ油症事件が明るみに出て今月(2008年10月)で40年を迎えた。普通の食事をしただけで一生の病を背負わされ、被害の深刻さゆえに沈黙せざるを得ない。加害企業と行政はそれをいいことに被害者を放置し、事件を矮小化してきた。この40年間は、そうした人権侵害の歴史だったと思う。

 長崎県・五島列島には多くのカネミ油症被害者がいる。私もその一人だ。母は、私が小学1年生の頃、米ぬか油を使って芋の天ぷらやドーナツをせっせと作ってくれた。その手料理に猛毒のダイオキシンが混入しているとは夢にも思わなかった。しばらくして家族6人全員の体調がおかしくなった。吹き出物やツメの変色、歯茎の出血、目が開かないほどの目ヤニ、腹痛。原因が米ぬか油だとわかったときの母の苦悩は想像を絶する。わが子に毒を食べさせていたのだから。母は1年半後に40度の熱を40日出して死にかけた。肝臓が化膿していたのだ。肝臓に触るとザクッと音がし、砂のような石が大量にできていた。

 世界で初めてダイオキシンを直接食べたカネミ油症は、「病気のデパート」と言われるほど症状が多様である。治療法はなく、慢性毒性がじわじわと内臓や骨を痛めつけ、がんなどによって死に至らしめる。

 五島列島の奈留島では発生当時、米ぬか油を製造した原因企業のカネミ倉庫も国や自治体も、全住民に回覧板などで危険性を知らせるなどの努力をしなかった。家に残っていたカネミの油は名前を名乗らぬ人に持っていかれ、毒が入っていたかどうかの連絡もなかったという。

 被害を届け出た人は西日本一帯に1万4000人いる。しかし、九州大の油症研究班が作った基準で患者と認定されたのは2000人に満たない。奇妙なことに、毒油を一緒に食べた家族でさえ認定・未認定に分かれている。被害者であることを名乗り出ず、沈黙を守り続けている人も多い。治療法がないことや心ない差別が大きな理由である。

 子や孫の世代への影響を心配する人も少なくない。その懸念は調べるにつけ濃厚になってきた。だからこそ、親たちは差別を心配して被害の実態を語ろうとしない。どれくらいの被害者がいるのかを含め、被害の全容はわからないままである。

 カネミ倉庫は支払い能力がないという理由でいまだに賠償金を払っていない。認定患者への補償は、たった23万円の見舞金と医寮費の一部を支払う「油症券」の支給だけ。次世代の影響まで懸念される甚大な被害に対して、あまりにひど過ぎる。

 私は、カネミ油症について、ずっと忘れたいと思ってきた。だが被害者が高齢化していく中、「若い世代の誰かがやらねば」と、14年前から体験を話し、聞き取り調査を始めた。

 厚生労働省は今年(2008年)初めて健康実態のアンケートを始めた。被害者が地元の政治家に働きかけてやっと実現した。遅すぎるし、対象は認定患者だけで全容解明には程違い。だがこの調査をきっかけに、手段を尽くして被害者がどのような状態に置かれているかを把握し、医療費の完全無料化や健康管理手当の支給など、不安を少しでも和らげる恒久対策を考えてほしい。

 食への信頼が揺らぐ事件も相次ぐ。企業や行政が自らの責任にきちんと向き合う姿勢を持たない限り、信頼は決して取り戻せないと思う。まずは、被害者の沈黙に甘えず、40年間放置してきたカネミ油症の救済に正面から向き合うべきである。

 (朝日、2008年10月30日)