マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

読点

2009年07月28日 | タ行
 日本語の読点の打ち方に一定の決まりはあるのでしょうか。私は「ない」と思っています。ある時、教科通信に「そもそも、日本語の文法には読点の打ち方の規則がない、と思います。読点のない小説もあります。例えば、谷崎の『春琴抄』」と書いたところ、ある学生が次のような事を教えてくれました。

──「日本語表現法(必修)」という授業の中で「読点の決まり」を習った。[「規則はない」とする考えと]どちらが正しいかは私の現在の知識では判断がつかないが、参考のために授業で習った原則を記しておく(テキストより引用)。

① 長い修飾語の原則
 1つの文に長い修飾句(節)が2つ以上ある場合、その境界に「、」を打つ。
② 逆順の原則
 語順を正規のものから逆転する場合、逆転した語句の後に「、」を打つ。
③ 複数の文の原則
 複数の文章をつないだ場合、文と文の境目に「、」を打つ。
④ 連続する漢字・仮名区切り
 「従来、年度の初めに」のように誤読(この場合「従来年度」という語がある)される危険性がある場合
⑤ 3つ以上の語句の区切り
 「~にはA、B、Cがある」のように3つ以上の語や句が続く場合
⑥ 助詞を省略する場合
 「イギリスの少年、ジェームズ・ワットだった」のように「である」などが省略されている場合(引用終わり)

 インターネットなどでの一応の基準を示したのでしょう。なお、『春琴抄』にもほんの少しは読点が打ってあります。

  用例による研究

 01、イサムは、フリーダの描く絵にも強烈な印象を受けた。リベラのものよりおもしろいと思った。まだ素人としかみられていなかったフリーダの絵を高く評価した、イサムは最初のひとりとなる。(ドウス昌代「イサム・ノグチ」)
 感想・下線部は「イサムは、まだ素人としかみられていなかったフリーダの絵を高く評価した最初の人たちのひとりとなる」という意味でしょう。いかにも西洋語の影響を受けた表現です。それはともかく、これはここに読点がなかったら、少し戸惑うでしょう。
コメント
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