これまで旅をして、時間があれば風景や建物などをスケッチしてきた。京都タワーは異なる日に描いたものが、たぶん10枚を超えるだろう。
今年は新型コロナ禍で、県外を訪れる機会がほとんど無くなった。そこで時間つぶしの手慰みに仏像の写真を見て描くことにした。
これまで薬師寺の三尊像と聖観音像は、火災のため黒くなっており、輪郭がはっきりしないような気がしていた。しかし、各地の仏像を十数枚描いてきて、薬師寺の仏像までついにたどり着いた。十数年前、仙台で何かの企画展として聖観音菩薩が出張していた。以前薬師寺で拝観したことはあるが、お姿がなんとも言えず優美なので、それに惹かれたことと、ちょうど時間があったので仙台会場を訪れた。それ以来疎遠になっていたが、改めて描くつもりでお顔を拝見して見ると、なんと気品があると言うか、上品というか、清楚と表現したらいいのか、他の仏像とは一風変わった彫りであるが、違いを超えてなにか伝わってくるものが、言葉には表せない。静寂の中の凜とした永遠のほほえみが、心を洗ってくれるような思いがする。
これまで美しい仏像というと、願徳寺の如意輪観音像が第一で、次に安倍文殊院の快慶作文殊菩薩、円城寺運慶作大日如来、醍醐寺の快慶作弥勒菩薩坐像、東大寺の運慶・快慶作仁王像などがある。大人気の興福寺 阿修羅像は、青年のようなお顔で、憂いを秘めておられる。
国宝ではあるが、向源寺の十一面観音は、確かに美しいが描きにくいお顔をしている。ガンダーラ系ではないかと思わせる。
そもそも仏像を描きはじめたキッカケは、今年に入って2回目の県外で、7月に奈良県吉野のホテルに宿泊した折り、ホテルにあった雑誌に如意輪寺にある源慶作の蔵王権現の写真を見たからだ、如意輪寺はホテルから登ったすぐ近くにある。金峯山寺の蔵王権現の大きさには圧倒されたが、如意輪寺の像は50cmほどだ。しかし、その迫力はすごい。写真だけ見ると大きく見える。他にこわい系のお顔の仏像として、鞍馬寺の毘沙門天像がある。困ったようなお顔は、無骨さの中に滑稽さも垣間見えて対比が面白い。
運慶や快慶の整ったお顔の仏像は描くのが難しい。反対に仏像ではないが、俵屋宗達の風神・雷神図のユーモラスはお顔は、ごまかしがきくので描きやすいように思う。それにしても、宗達はあのようなお顔とお姿を、よくも創造したものだと感心する。いつか、自分自身で創造した風神・雷神図を描いてみたなと夢想している。
今年は新型コロナ禍で、県外を訪れる機会がほとんど無くなった。そこで時間つぶしの手慰みに仏像の写真を見て描くことにした。
これまで薬師寺の三尊像と聖観音像は、火災のため黒くなっており、輪郭がはっきりしないような気がしていた。しかし、各地の仏像を十数枚描いてきて、薬師寺の仏像までついにたどり着いた。十数年前、仙台で何かの企画展として聖観音菩薩が出張していた。以前薬師寺で拝観したことはあるが、お姿がなんとも言えず優美なので、それに惹かれたことと、ちょうど時間があったので仙台会場を訪れた。それ以来疎遠になっていたが、改めて描くつもりでお顔を拝見して見ると、なんと気品があると言うか、上品というか、清楚と表現したらいいのか、他の仏像とは一風変わった彫りであるが、違いを超えてなにか伝わってくるものが、言葉には表せない。静寂の中の凜とした永遠のほほえみが、心を洗ってくれるような思いがする。
これまで美しい仏像というと、願徳寺の如意輪観音像が第一で、次に安倍文殊院の快慶作文殊菩薩、円城寺運慶作大日如来、醍醐寺の快慶作弥勒菩薩坐像、東大寺の運慶・快慶作仁王像などがある。大人気の興福寺 阿修羅像は、青年のようなお顔で、憂いを秘めておられる。
国宝ではあるが、向源寺の十一面観音は、確かに美しいが描きにくいお顔をしている。ガンダーラ系ではないかと思わせる。
そもそも仏像を描きはじめたキッカケは、今年に入って2回目の県外で、7月に奈良県吉野のホテルに宿泊した折り、ホテルにあった雑誌に如意輪寺にある源慶作の蔵王権現の写真を見たからだ、如意輪寺はホテルから登ったすぐ近くにある。金峯山寺の蔵王権現の大きさには圧倒されたが、如意輪寺の像は50cmほどだ。しかし、その迫力はすごい。写真だけ見ると大きく見える。他にこわい系のお顔の仏像として、鞍馬寺の毘沙門天像がある。困ったようなお顔は、無骨さの中に滑稽さも垣間見えて対比が面白い。
運慶や快慶の整ったお顔の仏像は描くのが難しい。反対に仏像ではないが、俵屋宗達の風神・雷神図のユーモラスはお顔は、ごまかしがきくので描きやすいように思う。それにしても、宗達はあのようなお顔とお姿を、よくも創造したものだと感心する。いつか、自分自身で創造した風神・雷神図を描いてみたなと夢想している。