土木の工程と人材成長

土木建設の工程管理や組織運営、そして人材成長の話題や雑学を紹介します

土木建設とAIの関係 -松尾豊「人口知能」を読んで その1ー

2019-08-31 11:36:09 | 人生経営
 塩野誠との対談本「人工知能」を読み、前半で感銘を受けた箇所を抜書きし、第1回目の感想をお届けしたい。

 「抽象化して考えることは、いまのところコンピューターが苦手とする部分だ」P63。

 「人間は少ないデータから、いかに人より早くパターンをみつけるかという競争をやっている。なぜなら、他の生物や  個体に勝って生き残るには、異変にいかに早く気づくか、が決定的に重要だからだ。異変に早く気づくために、膨大  な量の普通のことを知っておかなければならない」P65。

 「学習が早い人ほど一見すると違う事象を同じとみて、そこに共通する要因を見つけ出すことができる」P66。

 上記を読んでいて思い浮かんだのは、3年前に和歌山県日高においてCPDSセミナーの講師としてAIの話をしていた時のこと。CPDSとは、全国土木施工管理技士会連合会が、土木技術者の継続学習システムのことで、公共建設工事に携わる技術者は、年間20時間の学習(都道府県によって若干異なることもある)をしなければならないという制度である。

 30分ほと経った時、いきなり会場から「土木と関係ないではないかっ!やっめろーっ!」という大声がかかった。ちょうど、ボストンマラソンの爆破犯人が、犯行の前に歩道を歩いている2人をカメラで捉えており、犯行を行う前の人間に特有の体の振るえをAIが捕捉していたという話の時だった。

 だが、今やAIは土木建設の分野においては、トンネルを掘っている断面の安定性や危険度、そしてコンクリートの表面品質を判定するのに使われている。また、50m先から撮影した写真で、コンクリートのひび割れが0.1mmでも検出できるようになっている。体の振えという動きと、割れ目という静止画像の違いはあるにせよ、パターン認識というAIが得意とする機能は同じであろう。

 私としては、セミナーでお伝えしたかったことは、「AIの進展によって、土木建設の世界が変わってくる。だから、今からその意識を持って工事に携わっていくように」、とのことを示唆する話のつもりだったのだが、件の御仁には、まったく通じなかったようである。

 急遽工事成績の話に切り替えたが、次ぎの年からは、日高への出入は禁止になってしまった。地区の方々(その人一人の影響かも知れない)判断だから仕方がないし、私にはどうしようもないことなのだが、声を張り上げた御仁は、この地域の土木技術者をミスリードしてしまったのではないかと心配をしているところである。よほど欲求不満を抱えた人なのではないのかなと思いつつ、悔しさと共に哀れさや無念さを覚えた。

小さいことを鍛錬して積み重ねる

2019-08-28 13:26:20 | 人生経営
 宮本武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と言ったという。渡辺誠「新訳五輪書」PHP、2010.4.6,P19には、標題のことが書かれている。そこには、「・・・深き道理を得んと、『朝鍛夕錬』してみれば、・・・」とある。武蔵の五輪書には「朝鍛夕錬」と書かれているとすれば、「千日、万日」は、後世の人が言い換えたものと思われる。ともあれ、武蔵がこの鍛錬によって何を会得したかというと、「わが自然の動きが兵法の神髄に当を得ることになったのである」とのこと。武蔵の「自己の自然の動き」が「兵法の神髄」に合致していたとの理解であり、自然の原理・原則への到達までには至ってはいないように思える。このへんが、武蔵が不遇の人生を送らざるを得なかった思考の限界なのだろうか。否、時代から言って武蔵を責めるのは酷なのかも知れない。

 先に二宮尊徳の「積小為大」を紹介したが(2019.7.4)、武蔵は命を掛けて修行しており、尊徳は経済、武蔵は武という、生きる世界の違いが言葉の表現の差異として表れている。他にも、「千里の道も一歩から」などがあり、ぐっと身近になってくる。

 「神々は細部に宿る」もよく聞く。ドイツのモダニズム建築家ミース・ファンデル・ローエが標語として使用していたとのこと。「ディティールにこだわってこそ、作品の本質が決まるので、細かいところにまで気を配らなければいけない」という意味だと言う。伊藤若冲の絵を見ると、「なんと細部にまで・・・」と、驚嘆してしまう。が、細部だけでなく、配置も良く全体の調和が取れている。優れたモノは、細部だけではないことがわかる。

 ネットサーフィンしていると、『「神は細部に宿る」は正しく使おう』というのがあった。曰く、「サイロに陥いらないように」「全てのものは有限という認識を持つこと」「スピードという新たな質への理解をする」「手段が目的化するのを回避する」「評価指標の取り違えをしない」「限界効用逓減の法則への理解も必要」「2:8の法則への理解も」「クイック&ダーティーの考え方もする」、などの注意事項が書かれていた。
http://sh0tk.blogspot.com/2012/02/blog-post_23.html

 ところで、「五輪書」をなぜ買ったかと言うと、先に五輪書などから編み出した「OODA」のことを紹介していたからだ(2019.5.8)。そこで述べたことは、PDCAだけではなく、OODAもあるであった。

距離と時間の概念

2019-08-27 07:47:22 | 人生経営
 道を尋ねた場合、そこまでの距離や所要時間を言ってくれる人は少ない。距離や時間の概念が希薄なのであろう。私にとっては距離が分ると、歩く、あるいは車でどのくらいの時間がかかるのかがわかるので便利で大変助かる。

 ミツバチは8の字ダンスで距離を教えているらしいので、距離の概念があるのだろう。ミツバチにとっては、蜜という大事な餌のことなので、どのくらいの距離にあるのかは、生死をわけるからだろう。人間には距離の概念が希薄ということは、人間が生きのびていくのには、距離はほとんど関係なかったのかもしれない。いや、そんなことはないだろう。水場や餌のある場所は大事な情報だったはずである。生き延びていくのに大いに関係するのだが、便利な社会に住む人間にとっては、距離がどのくらいなのかということは、ほとんど必要なくなり、脳の中から脱落していったのかも知れない。いやいや、距離の概念がなくても、生き延びていける他の脳力が発達してきたのだろうか。このへんまでくると、脳科学者におまかせした方がいいだろう。

 時々距離表示のない地図があるが、先日入手した和歌山市の観光地図にも、距離が書き込まれていなかった。Yahooの地図で距離を調べて、だいたいの距離を書き込んでみた。明日のセミナーが開催される会場はホテルから約1.5Kmだ。この距離なら、手ぶらだと20分である。しかし、リュックサックの中にパソコンや本など、重い荷物を担いでの移動であり、また暑い中を歩くので30分は見ておいた方がいいだろう、などと想定してみた。

 車の移動であると、距離数の倍の時間を見ておくとちょうどだと思われる。例えば15kmであると30分という具合だ。勿論、どこでも距離の2倍かというとそうではなく、街中の信号の配置具合や朝・昼・夕の時間帯、そして、田舎の信号がほとんどない道や、曲がりくねっている山道などでは調整する必要はある。直線に近く、道幅がひろく、信号がないというのが理想の道だろう。が、建設費は高くつくことだろう。我々は時間をお金(道路建設費)で買える時代に生きている。

制約理論と他の理論との関係

2019-08-15 15:38:00 | 人生経営
 制約理論(TOC:Theory of Constraints)は、イスラエル人物理学者のエリヤフ・ゴールドラットが1984年に『ザ・ゴール』で理論体系を示したもので、SCM(サプライチェーン・マネジメント)で用いられる理論の1つである。SCMを最適化する手法とされ、全体としてキャッシュフローを生み出すことを目的に、ボトルネックとなる工程に注目しスループットを最大化するための考え方である。

 ボトルネック (bottleneck:瓶の首)とは、システム設計上の制約の概念で、『隘路』とも言われる。80-20の法則などが示すように、物事がスムーズに進行しない場合、遅延の原因は全体から見れば小さな部分が要因となり、他所をいくら向上させても状況改善が認められない場合が多い。このような部分を、ボトルネックという。 瓶のサイズがどれほど大きくても、中身の流出量・速度(スループット)は、狭まった首のみに制約を受けることからきている。

 ところで、リービッヒの最小律というのがある。植物の生長速度や収量は、必要とされる栄養素のうち、与えられた量のもっとも少ないものにのみ影響されるとする説で、ドイツの化学者・ユーストゥス・フォン・リービッヒが提唱したものである。リービッヒは、1803年5月12日生まれで1873年4月18日に没している。1948年生まれのゴールドラットよりも150年も前の人である。

 リービッヒは、植物は窒素・リン酸・カリウムの3要素が必須であるとし、生長の度合いは3要素の中でもっともあたえられる量の少ない養分によってのみ影響され、その他2要素がいくら多くても生長への影響はないと主張した。後に養分以外の水・日光・大気などの条件が追加された。現在では、それぞれの要素・要因が互いに補い合う場合があり、最小律は必ずしも定まるものではない、とされている。

 組織では、単純に制約を特定できるかというと難しく、誰かが肩代わりをしている場合があり、なかなかに示唆的でもある。それはともかく、リービッヒの最小律は、制約理論の基となった考え方であろう。

 リービッヒの最小律を分かりやすく説明するものとして、「ドベネックの桶」が知られている。 植物の成長を桶の中に張られる水の量とすると、桶を作っているそれぞれの一枚の板を、養分や要因と見立てる。これによると、たとえある一枚の板が長くとも、一番短い部分から水は溢れ出し、結局水嵩は一番短い板の高さまでにしかならない。制約理論では、一番短い板を、一番弱い鎖だとして説明している。

 ある建設会社の社長さんに、制約理論から生まれたCCPM(クリティカルチェーン・プロジェクトマネジメント)の説明の際、制約理論を鎖の比喩で説明していたところ「うちは、社員を鎖のような物としては考えていませんので」と、顰蹙をかってしまった。この時、恐らくリービッヒの最小律で説明していたら、受け入れられたのかも知れない。女性の社長さんなので、鎖と言ったことの本質を論理的にとらまえるのではなく、感情面で捉えられて反応したのであろう。説明するこちらの読みが浅かったと言える。

 たまたま、ネット検索で見つけたのだが、『知的財産創造のコミュニケーニケーションサイト」の、因果関係モデル「TOC思考プロセスとは」によると、「TOCによれば、次のように「人間が変化に対して抵抗する6つの段階」があるという。
(1) 問題そのものに対して同意しない
(2) 解決の方向性に同意しない
(3) 解決策が問題を解決することに同意しない
(4) 解決策を実行すると新たな問題が発生する
(5) 解決策実行前の障害を克服できない
(6) 未知の問題や障害に対する不安と恐れ
TOCは、これらの6つの抵抗の階層を克服してゆくためには、次の状態を順番に作っていけばよいという。
(1)問題について合意する
(2)解決の方向に合意する
(3)解決策が問題を解決することに合意する
(4)解決策の実行後に問題が起こらないことに合意する
(5)解決策実行前の障害を克服できることに合意する
(6)解決策の実行に合意する
 実はこの思考プロセスがI-TRIZの基本的な思考プロセスと同じなのだ。I-TRIZの基本的な思考プロセスは、IWB(Innovation WorkBench®)という革新的な問題解決のためのソフトウェアに組み込まれている「アイディエーション・プロセス」というものだ
 アイディエーション・プロセスは、
(1)問題の情報把握
(2)プロブレム・フォーミュレーションとブレーン・ストーミング
(3)方策案のまとめ
(4)結果の評価
(5)実行計画の策定
 といった項目からなっている』、と紹介されている。
https://www.chizaisouzou.com/メニュー/因果関係モデル/toc思考プロセスとは/
 
 以上のように、制約理論は、リービッヒの最小律やI-TRIZなどを借用しているのではないかと思われる。

 制約理論ではキャッシュフローを産み出すことを基本的な考え方としており、そのために以下の3条件が必要と定義している。
1 全体的なスループットを増大させる。
2 全体的な運転資本を低減する。
3 全体的な経費を低減する。
(この1、2、3の順番が大事で、利益を出すためによくやられている3の経費を低減するところから入ってはいけないと、ゴールドラットは警告している)
 これらを最適に実現するために、以下のステップを繰り返す。
1. 制約条件を特定する。
2. その制約条件を徹底活用する。
3. ほかの全プロセスをその制約条件プロセスに従わせる。
4. 制約条件のスループットを底上げする。
 そして、現状分析ツリーや、対立解消図、前提条件ツリー、移行ツリー、未来実現ツリーなどの、問題解決ツリーを提示したところが、TOC(制約理論)の新しさなのであろう。とは言え、対立解消図は弁証法の拡張であり、前提条件ツリーはトヨタの「なぜなぜ」の変形ではないかと思われる。

岡山と和歌山と信州の桃

2019-08-14 09:25:23 | 心理
 岡山と言えば、海外メジャー「AIG全英女子オープン」に初出場で優勝。日本勢としては1977年「全米女子プロ選手権」の樋口久子以来となる42年ぶり2人目のメジャー制覇した渋野日向子(20歳)の出身地だ。「マスカット」や「ままかり」も有名だ。7月末、岡山駅の地下で桃を買った。1個千円以上する。白い桃だったが、食してみるとこれが値段以下というか、まったく甘みがなく、高いばかりのガッカリだった。たぶん、桃太郎が嘆いているに違いない。まったくそうだろう。いやいや、桃太郎は「味はきび団子だよ」と言うのかも知れない。

 次の週、和歌山のあら川の桃を、和歌山駅に隣接する近鉄百貨店地下の食品売り場で買った。赤い色の桃である。値段は岡山の半値以下で、味は十倍は美味しかった。が、皮の具合なのか、少し渋みが感じられた。和歌山はなんと言ってもミカンに梅干し。ミカンも品種改良で美味しいものが採れるらしい。そうこうしているうちに、娘から信州の桃が送られてきた。これが美味しいこと、今年食してきた桃の百倍も美味しかった。目黒のサンマではないが、桃は信州に限るというのが、現時点での私の評価である。

 ところで桃は、中国で古くから栽培されており、桃はただの果物ではなく、桃源郷の不老不死の「仙果」として、特別なものとされていた。邪馬台国の最有力候補地とされる纒向遺跡で、3世紀中ごろに掘られた穴から桃の種約2,000個が見つかっている。食べたものではなく、桃を竹かごに盛って祭祀に使った後、土坑に埋めたらしい。桃の実は長寿・不老不死をもたらす不思議な実、破邪の力を持つ神聖な果実として扱われてきた。味が悪いなどとゲスな私が言える筋合いのものではないのかも知れない。

(言わずもがなではあるが、桃の味は、その年の気候や生産者、土地など、色んな要素に左右されるのだろう。上記はたまたまこうだったという話であり、ある地域全域のものがそうだと特定するものではないことはいうまでもないことを、お断りしておきたい)