塩野誠との対談本「人工知能」を読み、前半で感銘を受けた箇所を抜書きし、第1回目の感想をお届けしたい。
「抽象化して考えることは、いまのところコンピューターが苦手とする部分だ」P63。
「人間は少ないデータから、いかに人より早くパターンをみつけるかという競争をやっている。なぜなら、他の生物や 個体に勝って生き残るには、異変にいかに早く気づくか、が決定的に重要だからだ。異変に早く気づくために、膨大 な量の普通のことを知っておかなければならない」P65。
「学習が早い人ほど一見すると違う事象を同じとみて、そこに共通する要因を見つけ出すことができる」P66。
上記を読んでいて思い浮かんだのは、3年前に和歌山県日高においてCPDSセミナーの講師としてAIの話をしていた時のこと。CPDSとは、全国土木施工管理技士会連合会が、土木技術者の継続学習システムのことで、公共建設工事に携わる技術者は、年間20時間の学習(都道府県によって若干異なることもある)をしなければならないという制度である。
30分ほと経った時、いきなり会場から「土木と関係ないではないかっ!やっめろーっ!」という大声がかかった。ちょうど、ボストンマラソンの爆破犯人が、犯行の前に歩道を歩いている2人をカメラで捉えており、犯行を行う前の人間に特有の体の振るえをAIが捕捉していたという話の時だった。
だが、今やAIは土木建設の分野においては、トンネルを掘っている断面の安定性や危険度、そしてコンクリートの表面品質を判定するのに使われている。また、50m先から撮影した写真で、コンクリートのひび割れが0.1mmでも検出できるようになっている。体の振えという動きと、割れ目という静止画像の違いはあるにせよ、パターン認識というAIが得意とする機能は同じであろう。
私としては、セミナーでお伝えしたかったことは、「AIの進展によって、土木建設の世界が変わってくる。だから、今からその意識を持って工事に携わっていくように」、とのことを示唆する話のつもりだったのだが、件の御仁には、まったく通じなかったようである。
急遽工事成績の話に切り替えたが、次ぎの年からは、日高への出入は禁止になってしまった。地区の方々(その人一人の影響かも知れない)判断だから仕方がないし、私にはどうしようもないことなのだが、声を張り上げた御仁は、この地域の土木技術者をミスリードしてしまったのではないかと心配をしているところである。よほど欲求不満を抱えた人なのではないのかなと思いつつ、悔しさと共に哀れさや無念さを覚えた。
「抽象化して考えることは、いまのところコンピューターが苦手とする部分だ」P63。
「人間は少ないデータから、いかに人より早くパターンをみつけるかという競争をやっている。なぜなら、他の生物や 個体に勝って生き残るには、異変にいかに早く気づくか、が決定的に重要だからだ。異変に早く気づくために、膨大 な量の普通のことを知っておかなければならない」P65。
「学習が早い人ほど一見すると違う事象を同じとみて、そこに共通する要因を見つけ出すことができる」P66。
上記を読んでいて思い浮かんだのは、3年前に和歌山県日高においてCPDSセミナーの講師としてAIの話をしていた時のこと。CPDSとは、全国土木施工管理技士会連合会が、土木技術者の継続学習システムのことで、公共建設工事に携わる技術者は、年間20時間の学習(都道府県によって若干異なることもある)をしなければならないという制度である。
30分ほと経った時、いきなり会場から「土木と関係ないではないかっ!やっめろーっ!」という大声がかかった。ちょうど、ボストンマラソンの爆破犯人が、犯行の前に歩道を歩いている2人をカメラで捉えており、犯行を行う前の人間に特有の体の振るえをAIが捕捉していたという話の時だった。
だが、今やAIは土木建設の分野においては、トンネルを掘っている断面の安定性や危険度、そしてコンクリートの表面品質を判定するのに使われている。また、50m先から撮影した写真で、コンクリートのひび割れが0.1mmでも検出できるようになっている。体の振えという動きと、割れ目という静止画像の違いはあるにせよ、パターン認識というAIが得意とする機能は同じであろう。
私としては、セミナーでお伝えしたかったことは、「AIの進展によって、土木建設の世界が変わってくる。だから、今からその意識を持って工事に携わっていくように」、とのことを示唆する話のつもりだったのだが、件の御仁には、まったく通じなかったようである。
急遽工事成績の話に切り替えたが、次ぎの年からは、日高への出入は禁止になってしまった。地区の方々(その人一人の影響かも知れない)判断だから仕方がないし、私にはどうしようもないことなのだが、声を張り上げた御仁は、この地域の土木技術者をミスリードしてしまったのではないかと心配をしているところである。よほど欲求不満を抱えた人なのではないのかなと思いつつ、悔しさと共に哀れさや無念さを覚えた。