河野太郎は、2020年6月防衛大臣の時、日本上空で目撃された気球型飛行物体の行方を問われ「気球に聞いてください」と答え、さらに「安全保障に影響はございません」と軽視した答弁をしていたとのこと。
そこで、私は気球に聞くことにした。すると気球の答えは、「人工衛星の時代、気球がなにするものぞ、との解釈もあるが、気球ほど安く、リアルに状況を把握できるものはない。人工衛星一発あげる費用があれば、無数に近い気球をあげることができる。だから、これからの空飛ぶ車時代においては、気球のさらなる耐久性、安定性を確立するならば、空飛ぶ車の交通整理が可能となり、空の安全を確保することが可能になる」であった。
なるほど、たかが240年前の昔に登場した気球といえども、空気との比重差で浮かぶという誠に安上がりなものなのである。蘊蓄的に言えば気球は、「フランスのモンゴルフィエ兄弟が、暖炉の熱気に煽られた洗濯物を見て、火を燃やした時に出る煙に空気より軽い成分(空飛ぶ魔力)があると信じ、この煙を集めれば人間も空を飛べると考えて作ったのが熱気球で、1783年11月21日、人類史上初の有人飛行を熱気球で成功させた」ということである。
この発想は、大前研一、柳井正が絶賛する、名和高司「コンサルタントを超える問題解決と価値創造の全技法」ディスカヴァー・ツウェンティワン、2018.7.15の二軸、四枠の間トリックス分析を読んでいて浮かんできたもの。同書は500頁ほどで、今ちょうど半分ほど読み進めてきたところである。流石に大前、柳井の両巨匠が推薦した本である。目から鱗というよりも、目が千個、万個も付いてしまったような錯覚に陥っている。さすがにマッキンゼーで20年、ボストンコンサルティングに6年もいて、実践経験を積んだ者にしかわからない、各種技法の得失を、あますところなく開陳してくれている。
これまで技法を学んで、そこですべてがわかった気になって思考停止していた私は、名和の各種技法が持つ限界と、それを乗り越える着眼点と視座の高さ、射程の広さ、そして簡潔に解説してくれている素晴らしさに驚嘆した次第。ハワード・ゴールドマンが「すごい考え方」中経出版、2005.12.8,P68で、「どうやってやるか、ではなく、そのやりたいことを実現するために、次に何をすればいいか、と自問すること」と書いているが、名和の同書を読んでいると、逆に「どうやってやるか」を提示してくれており、さらに「次に何をすればいいか」をも示してくれているとでも言いたくなる。勿論、具体的な事象のことを書いてくれているわけはないが、自ずと見えてくるようになるのである。これは、名和の実践経験、つまり現実への対処で格闘してきたことを示してくれているからで、闇夜のライトのように、進むべき方向を照らしてくれていると言っていい。
そこで、私は気球に聞くことにした。すると気球の答えは、「人工衛星の時代、気球がなにするものぞ、との解釈もあるが、気球ほど安く、リアルに状況を把握できるものはない。人工衛星一発あげる費用があれば、無数に近い気球をあげることができる。だから、これからの空飛ぶ車時代においては、気球のさらなる耐久性、安定性を確立するならば、空飛ぶ車の交通整理が可能となり、空の安全を確保することが可能になる」であった。
なるほど、たかが240年前の昔に登場した気球といえども、空気との比重差で浮かぶという誠に安上がりなものなのである。蘊蓄的に言えば気球は、「フランスのモンゴルフィエ兄弟が、暖炉の熱気に煽られた洗濯物を見て、火を燃やした時に出る煙に空気より軽い成分(空飛ぶ魔力)があると信じ、この煙を集めれば人間も空を飛べると考えて作ったのが熱気球で、1783年11月21日、人類史上初の有人飛行を熱気球で成功させた」ということである。
この発想は、大前研一、柳井正が絶賛する、名和高司「コンサルタントを超える問題解決と価値創造の全技法」ディスカヴァー・ツウェンティワン、2018.7.15の二軸、四枠の間トリックス分析を読んでいて浮かんできたもの。同書は500頁ほどで、今ちょうど半分ほど読み進めてきたところである。流石に大前、柳井の両巨匠が推薦した本である。目から鱗というよりも、目が千個、万個も付いてしまったような錯覚に陥っている。さすがにマッキンゼーで20年、ボストンコンサルティングに6年もいて、実践経験を積んだ者にしかわからない、各種技法の得失を、あますところなく開陳してくれている。
これまで技法を学んで、そこですべてがわかった気になって思考停止していた私は、名和の各種技法が持つ限界と、それを乗り越える着眼点と視座の高さ、射程の広さ、そして簡潔に解説してくれている素晴らしさに驚嘆した次第。ハワード・ゴールドマンが「すごい考え方」中経出版、2005.12.8,P68で、「どうやってやるか、ではなく、そのやりたいことを実現するために、次に何をすればいいか、と自問すること」と書いているが、名和の同書を読んでいると、逆に「どうやってやるか」を提示してくれており、さらに「次に何をすればいいか」をも示してくれているとでも言いたくなる。勿論、具体的な事象のことを書いてくれているわけはないが、自ずと見えてくるようになるのである。これは、名和の実践経験、つまり現実への対処で格闘してきたことを示してくれているからで、闇夜のライトのように、進むべき方向を照らしてくれていると言っていい。