新型コロナウイルス感染をはじめ生活習慣病などから自らの命を守るためには、まずは当たり前だが個々人の心構えが大切である。新型コロナでは三密を避け、手洗いを徹底する、生活習慣病は日ごろの生活を見直して改善するなど、自身がどれだけ気配りと行動ができるかにかかっている。
このことを、日経2020.6.8の12面に大屋雄裕慶応大学教授が「ウイルス問題は、われわれ自身が自らの行動を十分にコントロールできるかが生死を分けるという意味では、自分との闘いだと言っていい。セルフコントロールなのである」と書いている。この伝で言うと、緊急事態宣言解除直後、接客業従業員が集団感染発生していたというのは、どういうことを意味するのであろうか。
次に、国家が国民の命を守るという政府の最大の責務が挙げられる。新型コロナウイルス感染症から、日本国政府は国民の命を本当に守ったと言えるのだろうか。ホッブスは、殺戮・闘争・戦争の現実の中から、「万人の万人に対する戦争を洞察し、闘争をなくすものとして国家の存在理由について、はじめての哲学原理を『リバイアサン』で提示した(竹田青嗣「人間の未来」ちくま新書、2009.2.10)」。民主主義国同士の戦争が回避されている現在、体制の異なる国への警戒は勿論あるが、これを除けば国家は感染症をはじめ自然災害から国民の命を守ることが最大の使命となっている。日本国政府は、本来の役割を真に果たしていると言えるのであろうか。
前掲竹田のP43では、「さまざまな問題について、その原因と本来的な構造を知らない者は、慣習と先例を自己の行為の法則にしがちである」と書かれている。アインシュタインの「問題を解くには、思考を変えなければならない」は、このことへの警告である。
また、ジャック・アタリは、「歴史には法則がある」と言う。しかし、日経2020.6.9,1面は「11年前の教訓放置」と題して、「新型コロナウイルスの猛威に対して、日本の対応はもたつき、ぎこちない。バブル崩壊、リーマン危機、東日本大震災。いくつもの危機を経ても変わらなかった縦割りの論理、既得権にしがみつく姿が今回もあらわになった。このひずみをただなければ、日本は新たな危機に立ち向かえない。・・・自らのルールにこだわり現実を見ない。そんな感染症対策での失敗は今回がはじめてではない。・・・世界から一目置かれた日本の官僚機構は右肩上がりの成長が終わり、新たな危機に見舞われるたびにその機能不全をさらけ出してきた。・・・前例や既存のルールにしがみつき、目の前の現実に対処しない・・・。」と、アタリの逆バージョンを日本の官僚機構が行っていることを炙り出している。官僚は通常時では優秀に機能することのほうが多いが、例外もあるものの危機時にはまったく役に立たなくなるのが常である。
歴史から学んでいない日本国政府と官僚組織。日本国の官僚は守られ過ぎていると言える。定年延長で騒がれた黒川弘務・東京高検検事長は、掛け麻雀をして辞任に追い込まれたが、日ごろから高給の上に退職金が5千万円を越えると言う。どこかの国のように、在職中に汚職で金を稼がないと退職後が心配だという制度も問題だが、黒川氏をはじめ、日本の国家公務員は庶民から見ると濡れ手で泡に思えてくる。
最後に宗教について。祈りは、自らの心を鎮めることはできても、新型コロナウイルスなどの病原菌から、神は守ってくれない。韓国のキリスト教系の協会で集団感染が発生したし、新型コロナウイルス蔓延中は、イスラム教のモスクでの集団礼拝も中止になっている。神に祈りを捧げたとしてもウイルスや自然災害から逃れなれない。神(信仰・祈り)の役割は、別にある。
言わずもがなであるが、何事も「法則を知る」こと。つまり「本質(本当のこと)を知る」ことが肝要であり、病気から身を守ることなど、物事に適切に対処できるのは、これ以外にない。
このことを、日経2020.6.8の12面に大屋雄裕慶応大学教授が「ウイルス問題は、われわれ自身が自らの行動を十分にコントロールできるかが生死を分けるという意味では、自分との闘いだと言っていい。セルフコントロールなのである」と書いている。この伝で言うと、緊急事態宣言解除直後、接客業従業員が集団感染発生していたというのは、どういうことを意味するのであろうか。
次に、国家が国民の命を守るという政府の最大の責務が挙げられる。新型コロナウイルス感染症から、日本国政府は国民の命を本当に守ったと言えるのだろうか。ホッブスは、殺戮・闘争・戦争の現実の中から、「万人の万人に対する戦争を洞察し、闘争をなくすものとして国家の存在理由について、はじめての哲学原理を『リバイアサン』で提示した(竹田青嗣「人間の未来」ちくま新書、2009.2.10)」。民主主義国同士の戦争が回避されている現在、体制の異なる国への警戒は勿論あるが、これを除けば国家は感染症をはじめ自然災害から国民の命を守ることが最大の使命となっている。日本国政府は、本来の役割を真に果たしていると言えるのであろうか。
前掲竹田のP43では、「さまざまな問題について、その原因と本来的な構造を知らない者は、慣習と先例を自己の行為の法則にしがちである」と書かれている。アインシュタインの「問題を解くには、思考を変えなければならない」は、このことへの警告である。
また、ジャック・アタリは、「歴史には法則がある」と言う。しかし、日経2020.6.9,1面は「11年前の教訓放置」と題して、「新型コロナウイルスの猛威に対して、日本の対応はもたつき、ぎこちない。バブル崩壊、リーマン危機、東日本大震災。いくつもの危機を経ても変わらなかった縦割りの論理、既得権にしがみつく姿が今回もあらわになった。このひずみをただなければ、日本は新たな危機に立ち向かえない。・・・自らのルールにこだわり現実を見ない。そんな感染症対策での失敗は今回がはじめてではない。・・・世界から一目置かれた日本の官僚機構は右肩上がりの成長が終わり、新たな危機に見舞われるたびにその機能不全をさらけ出してきた。・・・前例や既存のルールにしがみつき、目の前の現実に対処しない・・・。」と、アタリの逆バージョンを日本の官僚機構が行っていることを炙り出している。官僚は通常時では優秀に機能することのほうが多いが、例外もあるものの危機時にはまったく役に立たなくなるのが常である。
歴史から学んでいない日本国政府と官僚組織。日本国の官僚は守られ過ぎていると言える。定年延長で騒がれた黒川弘務・東京高検検事長は、掛け麻雀をして辞任に追い込まれたが、日ごろから高給の上に退職金が5千万円を越えると言う。どこかの国のように、在職中に汚職で金を稼がないと退職後が心配だという制度も問題だが、黒川氏をはじめ、日本の国家公務員は庶民から見ると濡れ手で泡に思えてくる。
最後に宗教について。祈りは、自らの心を鎮めることはできても、新型コロナウイルスなどの病原菌から、神は守ってくれない。韓国のキリスト教系の協会で集団感染が発生したし、新型コロナウイルス蔓延中は、イスラム教のモスクでの集団礼拝も中止になっている。神に祈りを捧げたとしてもウイルスや自然災害から逃れなれない。神(信仰・祈り)の役割は、別にある。
言わずもがなであるが、何事も「法則を知る」こと。つまり「本質(本当のこと)を知る」ことが肝要であり、病気から身を守ることなど、物事に適切に対処できるのは、これ以外にない。