Eテレの100分で名著で、西田幾多郎の「善」の解説を聞いた。聞きながら、西田幾多郎の善とケン・ウィルバーのインテグラル理論、オットー・シャーマーのU理論は、ほぼ同じ思考レベルにあるのではないかと感じた。
西田の「私、わたしたち」の二象限は、ケン・ウィルバーが、さらに「それ、それら」を加えて四象限にしている。しかし、西田も、人類・宇宙まで拡大させているので、到達点は同じ地平に立っているのではなかろうか。
さらに、西田の自己は、他者との融合によって形成される。「自己を深く広げていく」とは、オットー・シャーマーのU理論でいうところの、プレゼンシングからセンシングの道程とほぼ同じであると思う。
西田の「善の研究」は、100年前に書かれたという。100年後のウィルバーやシャーマーが西田をなぞっているようにも見える。場や広がりは異なるのかも知れないが、到達レベルは恐らく同じではないだろうか。我々は宇宙の中の地球の自然で生き、生かされている。生きることの本質を思考した3人は、同じ地平に至ったのではないだろうか。
西田の「私、わたしたち」の二象限は、ケン・ウィルバーが、さらに「それ、それら」を加えて四象限にしている。しかし、西田も、人類・宇宙まで拡大させているので、到達点は同じ地平に立っているのではなかろうか。
さらに、西田の自己は、他者との融合によって形成される。「自己を深く広げていく」とは、オットー・シャーマーのU理論でいうところの、プレゼンシングからセンシングの道程とほぼ同じであると思う。
西田の「善の研究」は、100年前に書かれたという。100年後のウィルバーやシャーマーが西田をなぞっているようにも見える。場や広がりは異なるのかも知れないが、到達レベルは恐らく同じではないだろうか。我々は宇宙の中の地球の自然で生き、生かされている。生きることの本質を思考した3人は、同じ地平に至ったのではないだろうか。