プーチン大統領は、2022年11月25日、ロシアで母の日にあたる27日を前に、ウクライナ侵攻に派兵された兵士の母たち17人との会合に参加。『写真を掲げる女性は「わたしの息子は、街を守るために戦って死にました」と語った。プーチン氏は「近親者、とりわけ息子が死ぬのは大きな悲劇だ。だが交通事故、あるいはアルコールが原因でそれぞれ年間3万人ほどが死ぬ。われわれは神の下にある。大切なのはどう生きるかだ」と出席者に説いた。プーチン氏はこれまでも「核戦争が起きればわれわれは殉教者として天国行きだが、敵は悔い改める時間もない」と発言している(東京新聞、2022年11月27日)』。
プーチン氏の言う意味は、「核戦争になっても、われわれは神の意志により死ぬのであり天国にいけるが、敵は地獄に落ちるだろう」とも読めなくはない。上記の発言は、過激な宗教の原理主義者と、ほとんど違いがない。異なるのは、過激宗教原理主義者は、まだ核を持たないのに対し、プーチンは全地球生命を滅亡させることのできる核を保有しており、いつでも使える立場にもいることである。プーチン氏の核発言は威嚇であろうが、言葉の使い方として適切ではない。
竹田青嗣は、「中学生からの哲学超入門」ちくまプリマー新書、2009.7.10,P53で、『欲望がなければ、世界の意味の秩序は形成されない。世界と欲望は、相関的な関係になっている。あるものの存在や性質は、絶対値をもっていない。それと関係する主体との間で決まってくる。道徳律は僧侶には尊いが、マフィアには絵空事だ。事物の存在の性格や意味が、それに向き合う人間(主体)との関係によって変化する』という。
竹田の言からプーチン氏の欲望を、様々に読むことができるが、それは諸氏にお願いしたい。
地球の環境と資源の限界が見えている今、必要なのは力ではなく、言葉を用いての相互理解であり、相互承認である。ただ、プーチン氏は上述の懇談の冒頭、『侵攻による戦死者について、「私個人と国のすべての指導層が痛みを分かち合っていると知ってほしい」と語りかけ、テレビやインターネットには偽情報が多いとして、「信じてはならない」と訴えた(東京新聞2022年11月27日)』という。相手の言うことには耳を傾けないということであり、解決の糸口を自ら塞いでいる。まさか、ウクライナからの小麦が入らず、飢餓に苦しむアフリカ諸国の人たちのニュースも、フェイクとして受け止めてはいないだろうが、まともには聞こうとはしていないのは確かだ。インドのモディ首相ではないが、「今は戦争をしている場合ではない」のだ。
メタ認識の低い指導者を戴いた場合、その国のみならず、世界の人びとが不幸になり、命の危険に晒されてしまう。これを地獄と呼ぶのだろう。この先で地獄に落ちるのは誰か。多くの人には見えていると思う。全員が見えるようになるのは言葉の力であると信じている。その兆候は、少しではあるが現われてきつつあり、さらに加速する必要がある。
プーチン氏の言う意味は、「核戦争になっても、われわれは神の意志により死ぬのであり天国にいけるが、敵は地獄に落ちるだろう」とも読めなくはない。上記の発言は、過激な宗教の原理主義者と、ほとんど違いがない。異なるのは、過激宗教原理主義者は、まだ核を持たないのに対し、プーチンは全地球生命を滅亡させることのできる核を保有しており、いつでも使える立場にもいることである。プーチン氏の核発言は威嚇であろうが、言葉の使い方として適切ではない。
竹田青嗣は、「中学生からの哲学超入門」ちくまプリマー新書、2009.7.10,P53で、『欲望がなければ、世界の意味の秩序は形成されない。世界と欲望は、相関的な関係になっている。あるものの存在や性質は、絶対値をもっていない。それと関係する主体との間で決まってくる。道徳律は僧侶には尊いが、マフィアには絵空事だ。事物の存在の性格や意味が、それに向き合う人間(主体)との関係によって変化する』という。
竹田の言からプーチン氏の欲望を、様々に読むことができるが、それは諸氏にお願いしたい。
地球の環境と資源の限界が見えている今、必要なのは力ではなく、言葉を用いての相互理解であり、相互承認である。ただ、プーチン氏は上述の懇談の冒頭、『侵攻による戦死者について、「私個人と国のすべての指導層が痛みを分かち合っていると知ってほしい」と語りかけ、テレビやインターネットには偽情報が多いとして、「信じてはならない」と訴えた(東京新聞2022年11月27日)』という。相手の言うことには耳を傾けないということであり、解決の糸口を自ら塞いでいる。まさか、ウクライナからの小麦が入らず、飢餓に苦しむアフリカ諸国の人たちのニュースも、フェイクとして受け止めてはいないだろうが、まともには聞こうとはしていないのは確かだ。インドのモディ首相ではないが、「今は戦争をしている場合ではない」のだ。
メタ認識の低い指導者を戴いた場合、その国のみならず、世界の人びとが不幸になり、命の危険に晒されてしまう。これを地獄と呼ぶのだろう。この先で地獄に落ちるのは誰か。多くの人には見えていると思う。全員が見えるようになるのは言葉の力であると信じている。その兆候は、少しではあるが現われてきつつあり、さらに加速する必要がある。