今年のカンヌ映画祭のパルムドール(黄金の椰子賞=最高賞)を獲得した、アメリカのテレンス・マリック監督の映画「ツリー・オブ・ライフ」。(「人生の樹」ではなぜダメなのかな。)最近は映画祭受賞作品がなかなか公開されないのですが、この映画はさすがブラッド・ピット、ショーン・ペン出演が効いてか早速公開。12日公開の映画をすぐ見たのは珍しいけど、14日に「TOHOシネマズ」の割引デイなので、早めに見たわけです。で、実は感心しないというか、これは困ったという感じなのだけど、今までそういう場合は書かないのだけど、今回はその困り具合が重要ではないかと考え、書いておくことにします。
テレンス・マリック監督という人は、今までに5作品しかない人で、今回もカンヌには来なかったというような伝説の監督です。「天国の日々」という美しい映像で知られる映画が今月下旬から限定リバイバル公開されます。僕はガダルカナル戦の米日の兵隊を描いた「シン・レッド・ライン」という戦争映画は素晴らしい出来だったと思います。今回も実に格調の高い、美しい映像詩で、人生の奥深さ、自然の中で生きる人間の生の営みが描かれています。さらには宇宙、神へと発想は深まり哲学的、宗教的な深みに達し、非常に厳粛なる気持ちで映画を見終わります。そのような意味では東日本大震災以後のわれわれ日本人にとって、非常に考えさせられる映画であるとも言えます。
父母兄弟と暮らす地方の子どもの日々、父親との葛藤、今人生を経て改めて思い出すその頃の意味、人生は、人間は、世界は、地球環境は…、皆つながりあい、支えあって、それぞれの意味を持つことを感じていく。この人生を振り返る子供がショーン・ペンで、子どもが幼い時の父親がブラッド・ピット。この配役の妙が生きています。でもプロットがあるような、ないような、話の流れで見るというより映像の流れで感じる作りになっているので、わかりにくいと感じる人もいるでしょう。でも、考えないで感じることに集中すれば、映画を見慣れていればそれほど難しくはないと思います。テレンス・マリック版「2001年宇宙の旅」という評もあったようですが、当たっているかと思います。で、この美しい哲学的映像詩の傑作の何が困った映画なのだろうか?ということです。
かなり長い映画だけど、その中にこれは「アース」かというようなBBCかNHKのネイチャー番組みたいな美しい自然の映像が多すぎるのでは?そして、なんだか抽象絵画みたいな美しいデザインの映像。そして語られる神への言葉。いや、哲学的でも宗教的でも、何でもいいんですけど。どうもそこには、「慎み」と言うべき「東洋の叡智」がない。何か大々的で、神々しく、華々しい世界が展開される。そこが魅力ではあるけれど、ちょっと嘘くさい。なんか、「普通の人々」の「普通の生活」の中に、「普遍の知恵」を見出すというような慎み深さがないのではないか。ここで語られている世界の感じ方、考え方自体は津波災害、原発事故の中を生きる我々に、とても貴重なエコロジー的世界観だと思います。しかし、言うならば多神教の伝統があるアジアから見て、一神教的な世界観による「神の秩序の再発見としてのエコロジー」と言った感じ方への違和感があると言うべきかもしれません。
そして、このような世界観をアジアの映画はもっと前から描いてきたのでは?昨年のパルムドール、タイの「ブンミおじさんの森」(前にブログで触れました)、インドのサタジット・レイの「大地のうた」三部作。イランのアッバス・キアロスタミ、中国のチェン・カイコーやジャ・ジャンクー、台湾のホウ・シャオシェンの数々の映画。日本でも、溝口健二の「雨月物語」「山椒大夫」を筆頭に、小津安二郎の「東京物語」、新藤兼人の「裸の島」、今村昌平の「神々の深き欲望」等に、さらに宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」を置けば、ずっとずっと「ツリー・オブ・ライフ」より感動的で充実した映画体験ができるのではないでしょうか。
さらに言うと、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と方丈記を引用すれば、それで済んでしまう気がしましたけど…。いや、平家でもいいし、「夏草や兵どもが」「閑さや岩にしみ入」と口ずさんでもいいです。日本人はさ、この下の句が大体言えるんですよ。方丈記だって大体の人は知ってるんだよ。と、なんだかそんなことを思ったけど、しかし、それを人工美の超大作に仕上げるエネルギーがわれらにあるかという内省もまた必要かな、と。
こんな感想を持った「ツリー・オブ・ライフ」は、ただ単に映画ファンと言うより、文明論を考えたい人には肯定、否定をまずおいて見ておいた方がいいかもしれません。
テレンス・マリック監督という人は、今までに5作品しかない人で、今回もカンヌには来なかったというような伝説の監督です。「天国の日々」という美しい映像で知られる映画が今月下旬から限定リバイバル公開されます。僕はガダルカナル戦の米日の兵隊を描いた「シン・レッド・ライン」という戦争映画は素晴らしい出来だったと思います。今回も実に格調の高い、美しい映像詩で、人生の奥深さ、自然の中で生きる人間の生の営みが描かれています。さらには宇宙、神へと発想は深まり哲学的、宗教的な深みに達し、非常に厳粛なる気持ちで映画を見終わります。そのような意味では東日本大震災以後のわれわれ日本人にとって、非常に考えさせられる映画であるとも言えます。
父母兄弟と暮らす地方の子どもの日々、父親との葛藤、今人生を経て改めて思い出すその頃の意味、人生は、人間は、世界は、地球環境は…、皆つながりあい、支えあって、それぞれの意味を持つことを感じていく。この人生を振り返る子供がショーン・ペンで、子どもが幼い時の父親がブラッド・ピット。この配役の妙が生きています。でもプロットがあるような、ないような、話の流れで見るというより映像の流れで感じる作りになっているので、わかりにくいと感じる人もいるでしょう。でも、考えないで感じることに集中すれば、映画を見慣れていればそれほど難しくはないと思います。テレンス・マリック版「2001年宇宙の旅」という評もあったようですが、当たっているかと思います。で、この美しい哲学的映像詩の傑作の何が困った映画なのだろうか?ということです。
かなり長い映画だけど、その中にこれは「アース」かというようなBBCかNHKのネイチャー番組みたいな美しい自然の映像が多すぎるのでは?そして、なんだか抽象絵画みたいな美しいデザインの映像。そして語られる神への言葉。いや、哲学的でも宗教的でも、何でもいいんですけど。どうもそこには、「慎み」と言うべき「東洋の叡智」がない。何か大々的で、神々しく、華々しい世界が展開される。そこが魅力ではあるけれど、ちょっと嘘くさい。なんか、「普通の人々」の「普通の生活」の中に、「普遍の知恵」を見出すというような慎み深さがないのではないか。ここで語られている世界の感じ方、考え方自体は津波災害、原発事故の中を生きる我々に、とても貴重なエコロジー的世界観だと思います。しかし、言うならば多神教の伝統があるアジアから見て、一神教的な世界観による「神の秩序の再発見としてのエコロジー」と言った感じ方への違和感があると言うべきかもしれません。
そして、このような世界観をアジアの映画はもっと前から描いてきたのでは?昨年のパルムドール、タイの「ブンミおじさんの森」(前にブログで触れました)、インドのサタジット・レイの「大地のうた」三部作。イランのアッバス・キアロスタミ、中国のチェン・カイコーやジャ・ジャンクー、台湾のホウ・シャオシェンの数々の映画。日本でも、溝口健二の「雨月物語」「山椒大夫」を筆頭に、小津安二郎の「東京物語」、新藤兼人の「裸の島」、今村昌平の「神々の深き欲望」等に、さらに宮崎駿「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」を置けば、ずっとずっと「ツリー・オブ・ライフ」より感動的で充実した映画体験ができるのではないでしょうか。
さらに言うと、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」と方丈記を引用すれば、それで済んでしまう気がしましたけど…。いや、平家でもいいし、「夏草や兵どもが」「閑さや岩にしみ入」と口ずさんでもいいです。日本人はさ、この下の句が大体言えるんですよ。方丈記だって大体の人は知ってるんだよ。と、なんだかそんなことを思ったけど、しかし、それを人工美の超大作に仕上げるエネルギーがわれらにあるかという内省もまた必要かな、と。
こんな感想を持った「ツリー・オブ・ライフ」は、ただ単に映画ファンと言うより、文明論を考えたい人には肯定、否定をまずおいて見ておいた方がいいかもしれません。
ちなみに、ナウシカは最近六巻本のコミックをはじめて読み、感動しました。宮崎駿の反原発の根拠ここに在りですね。
ツリー(樹)といえばハワイが舞台のジョージ・クルーニー主演の(ファミリー・ツリー)がよかったです。