尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

福島の皆さんへ言いたかったこと

2011年08月18日 00時13分38秒 |  〃 (原発)
 最近「困ってる人」の記事を見る人が多いみたいで、夏休み期間中に毎日順位が出てます。つまりブログの閲覧者が1万人以内だと順位が出るのですが、最近は5千番、4千番台まで来てます。
 記事については、本や映画も書くけど、原発問題、政治論議も途中。そして高校無償化問題も途中なんですが、次に書く朝鮮学校の問題はいろいろ複雑な検討がいるので後回しになっています。しかし、この問題で一番書きたいのは、多分僕以外に誰も書けない「無償対象者の年限問題」なんですね。でも、その前に、「Image.Fukushima」の方の目に留まったみたいで、コメントを寄せていただきました。そこで、実は当日時間があれば会場で発言したかったことがあるので、それを書くことにします。

 まずはこのような対談を毎日企画した「Image.Fukushima」の皆さんに感謝したいと思います。このような企画が福島で実現できたことは日本の希望だと思います。

 さて、東北はあちこちたくさん行きました。海外も行きたいけど、専門が日本史だし、海外旅行は都教委への届け出が面倒なんです。西日本もいいけど、教師が一番長い休暇を取れる夏休みには暑いんですね。昔、フェリーで宮崎まで車で行って、鹿児島、熊本を回ったけど、あまりの暑さに参りました。ということで、最近は毎年のように東北。白河から恐山まで、塩屋崎から大間崎までと言うか、随分行ってます。父方をたどれば群馬を経て山形、母方をたどれば栃木を経て福島です。福島は富岡です。原発避難地帯そのものです。小さい時に泳ぎに行ったということで、親戚は今もいて、避難後に電話してみたけど誰も出なかったと母親が言っていました。(当たり前ですよね。)そういう意味で東北の津波大被害、原発事故への衝撃は、当然誰でもあるでしょうが、自分でも大変大きいものがありました。

 そういう中で、福島へ何回来たかなあと話を聞きながら思い出してみました。多分15以上、福島の温泉だけで泊ってると思います。山も好きで磐梯、安達太良、東吾妻の一切経山、会津駒など登っています。(100名山の平ヶ岳は大変そうで行ってませんけど。)また、勤務先の学校行事でもよく来ました。林間学校や移動教室と言う名前で、1年生や2年生で行う宿泊行事ですね。江戸川の中学でも、足立の商業高校でも、墨田の夜間定時制でも、あれ、思い出してみれば皆行ってる。磐梯山、浄土平、鶴ヶ城、野口英世生家、尾瀬…というふうに個人的な思い出もいっぱい詰まってるところです。地元だと温泉は日帰りができるので、案外僕の方がたくさん泊ってるのかもしれません。秘湯好きなので、飯坂、東山なんかは行ってないのですが。(あまり名前を書くのもどうかと思うけど、あえて書くと、鷲倉温泉がおススメ。)その中で秘湯好きには有名な「日本秘湯を守る会」そのものを福島が支えています。この会の会長として会を発展させてきたのが、「二岐温泉 大丸あすなろ荘」の館主佐藤好億(よしお)さんです。現知事は佐藤雄平さん、前知事は佐藤栄佐久さんですが、僕にとって福島で一番の佐藤さんはこの方です。この素晴らしい宿の館主の佐藤さんは、地方から発信する素晴らしい文化運動の担い手だと思っています。

 さて、そんなことでずいぶん福島もいろいろ行ってますが、(三春の滝桜も行ったけど、花見山へ行ってるのは東京では少ないでしょう)、中山義秀記念館なんか行ってる人は少ないでしょう。(戦前戦後に活躍した作家。歴史小説が多い)。そんな中で、こんなに忘れられていていいのかという場所がありました。それは松川事件記念塔です。見えていてもどうやって近づけばいいのか、とにかく行きにくい場所でした。松川事件は1949年に起きた列車転覆事件で、共産党員の犯行とされ多くの被告が裁判で有罪になりました。(一審福島地裁で死刑5人)。被告は無実を訴え、作家の広津和郎氏をはじめ多くの人々が疑問を持ち、大規模な救援運動が起こりました。最終的には最高裁で有罪判決が破棄され、1961年に仙台高裁で全員無罪、1963年に最高裁でそれが確定しました。

 佐藤栄佐久さんの本には「検察の捜査がこんなものとは知らなかった」とあるのですが、松川事件で検察は死刑被告のアリバイを証明するメモを隠していました。松川の教訓が生きていれば、今頃可視化などという議論がもめることはなかったでしょう。そして、松川事件の救援運動は大きな教訓をいくつも残していると思います。

「現地調査」の大切さ いろんな市民運動で今では当たり前に行われている現地調査は、松川運動の遺産だと思います。東大児玉教授の国会証言でも同じ場所でも放射線値がいろいろ違う。細かい調査が必要と言ってますが、原発の問題、津波の被害も多くはまだ実際に見ることなく議論している人もいます。現地へ行き、話を聞く。科学的な調査をきちんとする。その重要さ。
「統一と団結」 思想を超え、党派を超え、おかしいものはおかしいということ、シロウトの疑問を大切にすること。これが松川運動の広がりを支えたと思います。無罪後は、やはり共産党と言う党派性に捕われていった点は否めず、そのため60年代後半以後に松川運動が継承されにくかったのではと思います。今後、原発のあり方(減らし方)、放射線の危険性の考え方などについて、様々な考え方の違いが現れ、今までいつもそうだったように、「分裂」が起こってくるのではないかと思います。(もう兆しはあるかな?)一番大切なことは、シロウトがおかしいと思うことを大切にする。被害者の声を重視する。党派性を押さえて、個別の課題を皆で考え、まとまれるところはまとまっていく。感情的にならず、じっくりしぶとくやっていく。そういうことだと思います。

 そういうようなのが「松川の教訓」だと思っていて、冤罪事件だけでなく、多くの場で大切に引き継いで行かなくてはいけないと思います。ちょっと今の時点の言葉が入ってるけど、こんなことを言いたかったかな。

 さて、近所のスーパーで福島の桃を安く売ってました。こんなに安くていいのかな。でも、安いから買ったのも事実ですね。とても美味しかった。 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画「ツリー・オブ・ライフ」 | トップ | 都教委の「全教職員ストレス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃 (原発)」カテゴリの最新記事