尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「劇場型選挙」をどう変えていくべきか

2017年07月09日 22時32分48秒 |  〃  (選挙)
 選挙制度の問題というのも僕の大きな関心分野なんだけど、都議選が終わったから選挙のやり方そのものについて考えておきたい。もっとも大体は前に書いてるんだけど、自分以外は覚えていないだろうから時々書き直したいと思うわけである。まあ書いても実現可能性はないだろうが。

 表題に「劇場型選挙」と書いた。「選挙まつり」と言ってもいい。2005年の衆院選は「郵政民営化まつり」とでもいうべきものだった。郵便局を民営化しても不便になるだけだろうと僕は思ったけれど、国民の大多数は「郵政民営化」で劇的に素晴らしいことが起きると思ったようだった。そして、民営化された日本郵政には元東芝の経営者が来て、東芝と同じく外国の会社を多額で買収して大赤字を出した。「郵政民営化で日本経済は回復する」などと論陣を張った当時の担当相、竹中平蔵氏は、安倍内閣で「加計学園」問題には「一点の曇りもない」と言い張っている。

 まあ「民営化」問題はいつか別に書きたいけど、2009年の総選挙は「政権交代まつり」、2012年は「自民党政権復帰まつり」、今回の都議選は「小池まつり」だった。小池都知事の支持率は高いんだから、小池支持の「都民ファーストの会」に多くの人が投票するのは理解できる。だけど、「都民ファースト」から二人立っていて、どっちがどっちだか、何が違うのか、理解していた有権者はいないだろう。本人たちの政策もよく知らずに投票した人も多いんじゃないか。

 僕自身がそういう感じで、自分の選挙区で今回立候補した人のことをほとんど知らない。現職は自民の2人と、公明の1人だけで、都民2人、共産、民進、公明が新人を立てた。(他に維新の元職。)ポスターがある程度前から貼ってある人は、今度の都議選に出るんだなと党と顔は判る。でも「都民ファースト」の人は全然知らない。選挙公報がないし、今度変わるというけど政見のチラシも配れない。選挙区の外れに住んでるから、自分が家にいるときに選挙カーが回ってくることは確率的にほとんどゼロに近い。全然候補者のことが判らないまま、投票日を迎えるわけである。

 そういうやり方だったら、政策論争も盛り上がらず、その時点での「勝てそうな陣営」にとりあえず乗ってしまおうという有権者が増えるのも当然だろう。それでいいのか、変えるべきことはないのかと思うわけである。ということでいくつかの論点をまとめてみる。

選挙運動期間をもっと長くする 
 政策論争にならない最大の原因は、選挙運動期間が短いことにある。学校の生徒会長選挙じゃないんだから、有権者何十万の東京の選挙で、お互いに知らない人をある程度知るためには、最低でも3週間程度は必要だ。実際、一月ぐらい前には主要政党の候補者ポスターは町中に貼ってあるんだから、その頃から「立候補受け付け」「ポスター掲示板解禁」にすればいいじゃないか。

ネットと文書による「第一次選挙運動期間」を設ける
 ただし、選挙期間を長くすると、お金がもっとかかる上に、結構迷惑である。だから、「選挙カーによる連呼」とか「電話戦術」なんかは、今と同じぐらいの期間でいい。いま選挙運動だと思ってる期間より前に、事実上の選挙は始まってる。その期間も公的に認めてしまい、ネットとビラ配りに限って認めればいいと思うわけである。

投票日を日曜から平日に移す
 多くの人にとって、仕事が一番休みになるのは、やはり日曜日だろう。その日曜日に選挙運動をする機会が少ない。今回の都議選では金曜に告示され、次の次の日曜に投票だから、期間中に日曜は一回しかない。最近行われたイギリスの総選挙は木曜日、韓国の大統領選挙は火曜日だった。諸外国で平日にやってるんだから、日本でも平日にできないわけがない

 よく学校の体育館なんかを投票所に使っているけど、それは平日は授業だから使えない。でも町中には空き家なんかいっぱいあるし、駅の近くの公的施設の会議室なんかを使う方が行きやすい。何も夜8時じゃなくても、10時ころまで投票できるようにして、翌日開票すればいい。投票所もデパートやスーパーなど、地域の人が行きやすい場所に設置してどこでも投票できるようする。

戸別訪問の解禁
 「戸別訪問」というのは、選挙運動員が各家庭を回って選挙運動をすることである。今は禁止されているけど、それは「大組織に有利」とか「買収の恐れがある」などの理由だろう。でも、イマドキ買収とか、あるいは強要めいた運動をするところがあるだろうか。有権者も録音、録画していて、ネットにアップするに決まってる。あっという間に落選どころか、現行犯で逮捕・起訴である。そういう恐れがあるんだから、それほどヒドイことがあるとは思えない。

 一方、候補者本人や家族、秘書や運動員が直接回って政策を説明できれば、これほど有意義なことはない。疑問を聞くなり、候補者本人の人柄もちょっとの時間では判らないだろうが、まあ直接会っての印象ほど強いものもない。当選後に問題を起こして、あんな人とは思わなかったなんていうことも減るかもしれない。各家庭を回るとなれば、ちゃんと政策を理解した運動員がある程度必要になる。そういう質の高い運動員を確保できるかがカギとなる。ポッと出の新党がブームに乗るだけで勝てる選挙から脱却できるかもしれない。ただ、それも運動期間がもっと伸びないと意味がない。

候補者名を書く「自書式」選挙をやめる
 日本の選挙は、候補者名を自分で書かないといけない。だから、候補者の名前を覚えて行かないといけない。これが高齢化社会の今となっては、けっこう負担なんじゃないかと思う。だから、候補者の方も、政策どころか、党の名前以上に自分の名前を連呼している。名前を連呼する選挙カーが走る原因はそこにある。それを「候補者名に〇をする」(チェックする)方式に変える。党ごとに「シンボルカラー」を決めて、投票用紙にもその色が印刷されている。そうなると、何が何でも候補者名を覚えてもらう選挙がかなり変わるのではないか。また高齢者や若年層も選挙に行きやすいだろう。

文書制限の緩和、供託金の廃止など
 大体以上なんだけど、とにかく今まで「選挙とはこんなもの」と思っている常識を壊していく必要があると思う。供託金も(前に書いたけど)いらないと思うが、まああるとしても大幅に引き下げた方がいい。文書配布も制限が多く、不自由である。「文書」というものは、つまりはビラ、チラシだけど、昔は一種特別なものだった。普通は作るのも大変で、保守系の候補にはそんなになかった。労組の運動員なんかが野党候補のチラシをよく配っていた。そういうイメージが古い政治家にはあったんだろうけど、今じゃパソコンとプリンターなんか誰でも持ってる。ホームメイドの選挙ビラを友人・知人に渡せる自由があれば、電話するより楽なんじゃないか。
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