尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ペギー葉山、三遊亭円歌、佐田の山、加川良、松本俊夫-2017年4月の訃報

2017年05月05日 22時44分46秒 | 追悼
 2017年4月の訃報特集。大岡信はその時に書いたけど、その後も次々と思い出の人が亡くなった。まず、歌手のペギー葉山。(1933~2017.4.12、83歳。)本名は「森繁子」で、森というのは夫の根上淳の姓である。根上淳は昔の大映映画を見てると、すごいハンサムな俳優だなあと思う。芸能界で有名なおしどり夫婦と言われていた。旧姓は「小鷹狩」(こたかり)という珍しい姓である。じゃあ、芸名の「ペギー葉山」は何なんだと思うと、実に不思議な由来がウィキペディアに出ている。

 新聞の訃報では、大体3曲、「南国土佐を後にして」(1959)、「ドレミの歌」(1961)、「学生時代」(1964)が大きく取り上げられている。まあ、そういうことになるんだろう。音大を目指す青山学院女子高等部の女子高生だったけど、在学中にジャズ歌手に転向、進駐軍キャンプで歌い始めたという経歴である。だから、青山学院大学へは行ってない。「南国土佐…は大ヒットしたという話は僕も聞いていた。もちろん同時代には知らないし、映画化されて小林旭の渡り鳥シリーズにつながったわけだが、その映画も何十年後に見た。「ドレミの歌」は知ってたけど、中学時代に映画「サウンド。オブ・ミュージック」に感動して、英語の歌詞を一生懸命覚えたから、日本語の歌詞に関心がなかった。ということで、僕が一番好きなのが「学生時代」ということになる。まあ遥か年上の大歌手という感じだったけど。

 三代目三遊亭円歌(1929~2017.4.24、85歳)は、何回か直接聞いてるけど、もう「中沢家の人々」しかやらない晩年だけである。もちろん、1970年に円歌を襲名する前の「歌奴」時代はテレビで知っている。新聞の訃報では、今でも「山のあな、あな」と見出しになっているからビックリだ。「授業中」という新作落語で、カール・ブッセ・上田敏訳の詩を朗読中にどもってしまう。今じゃ、そもそもこの原詩を知らないんじゃないだろうか。でも、小学生だった自分にはこの落語がむやみに面白かったのは間違いない。ホントに大うけしていたし、小学生もみな知っていただろう。柳家小さんの後で、落語協会会長を務めたけど、それ以上に落語協会初の女性真打ち、三遊亭歌る多を育てた功績も大きいと思う。

 第50代横綱佐田の山が亡くなった。(1938~2017.4.27、79歳。)大鵬、柏戸のいわゆる「柏鵬時代」に割って入った第三の横綱である。(もうひとり、第4の横綱、栃の海もいた。まだ存命である。)都合6回優勝したけど、横綱としては3回だった。入幕3場所目に前頭13枚目で平幕優勝をしていて、僕はそれをうっすらと記憶しているから我ながら驚く。当時は「巨人・大鵬・卵焼き」と言われたと今回もニュースで言ってた。そういう言葉は確かにあったけど、だから「当時の子どもたち」をひとくくりにされては困る。強いものは応援する必要もないと思う自分としては、巨人も大鵬もファンではなかった。子どもながらのそう思っていたわけである。だから佐田の山の方が好きだった。後、理事長になって、改革に乗り出して挫折する。でも、今や親方株のあり方は、境川理事長(佐田の山)時代の案になっている。先見の明があったと思うけど、当時はそれが受け入れられなかった。

 フォーク歌手の加川良(1947~2017.4.5、69歳)は、なんといっても「教訓Ⅰ」である。「いのちは一つ 人生は一回 だから命は捨てないようにね あわてるとついフラフラと 御国のためなのと言われるとね 青くなって しり込みなさい 逃げなさい かくれなさい…」

 これが口ずさめる人はどれだけいるだろうか。当然「反戦歌」として作られたんだろうと思う。もうこの歌は古くなったかと思った2010年代になって、原発事故や集団的自衛権が問題化する中で、この歌が「いま」を歌っているとして蘇ったのは、喜ぶべきとは言えないことだった。

 映画監督の松本俊夫(1932~2017.4.12、85歳)は、日本の映像理論家や実験映画作家として重要な人だった。芸術系大学で映像論を教えるというのも、今じゃ当たり前のことだけど、松本俊夫が最初と言ってもいいかと思う。劇映画は4本作っていて、「薔薇の葬列」「修羅」「十六歳の戦争」「ドグラ・マグラ」で、いずれも大きな話題にはなった。(もっとも、「十六歳の戦争」は1973年製作が、3年間公開されなかった。愛知県豊川市の豊川大空襲を描いている。豊川市が製作したけど、「難解」と思われた。秋吉久美子の初主演だけど、公開時にはすっかり有名になっていた。)それぞれ、他の人には作れない映画で貴重だと思うけど、まあ映画の出来は「問題作」になるかな。
 
 長くなってきたので、以下は簡単に。漫才師・女優の京唄子(4.6没、89歳)は、鳳啓助との夫婦漫才で人気があった。「おもろい夫婦」というトーク番組もよく見ていた。啓助とは65年に離婚していたが、コンビは続けていた。啓助は94年没。版画家・絵本作家の儀間比呂志(4.11没、94歳)は沖縄戦を描いたことで知られる。ほとんど読んでないけど、右派の論客・渡部昇一(4.17、86歳)も死去。
  
 元参議院副議長、社会党、民主党で4回当選した本岡昭次(4.10没、86歳)、「圭子の夢は夜ひらく」などの作曲家・曽根幸明(4.20没、82歳)、羽田政権で法相、鳩山内閣で国家公安委員長・拉致問題担当相を務めた中井洽(ひろし、4.22没、74歳)は民社党、新進党、自由党、民主党と移った。右派系であるけど、それ以上に何かとお騒がせがけっこう多かった。

 外国人では、映画監督のジョナサン・デミが亡くなった。4.26没、73歳。もうとにかく「羊たちの沈黙」(1991)の監督として知られている。これは作品、監督、脚本、主演男優、主演女優でアカデミー賞を受賞した。これは「或る夜の出来事」「カッコーの巣の上で」と3作しかない記録になっている。確かにあれは(トマス・ハリスの原作によるところも大きいけど)すごい映画だった。だから他の映画の記憶がほとんどないけど、次の「フィラデルフィア」はトム・ハンクスが主演男優賞を取ったエイズをテーマにした映画。「レイチェルの結婚」(2008)というのもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする