尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

安倍政権の対応-IS問題⑩

2015年03月23日 23時56分09秒 |  〃  (国際問題)
 IS問題はこれで最後にしたい。安倍政権の対応についてはよく判らない面が多い。例の「特定秘密」とやらに指定され、しばらく明るみに出ない部分も多いとか。もう時間も経ってしまったし、自分でも書く時期を失した感もするのだが、僕には一つ確認しておきたいことがある。それは総選挙中の対応という問題である。僕は安倍首相のみならず、菅官房長官までもが遊説に飛び回っているのにビックリして、「官房長官、東京にいて下さい」という記事を書いた。(2014.12.4)それを書いていた時には、地震や火山噴火などを心配していたのだが、「世界のどこで大きなテロ事件が起き、日本人が巻き込まれないとも言えない」とも書いた。首相は自民党総裁でもあるから全国を応援して回るのも当然だが、官房長官は本来「留守を預かる」のが仕事ではないのか。

 ところで、政府がこの問題の発生をいつ認識したのか。後藤健二さんが拘束されたのは、2014年10月25日と思われる。約1か月後の11月下旬に、後藤さんの妻のもとに「拘束した」というメールが届いたが、そのメールは自動的に迷惑メールに分類されて読まれなかった。12月3日に新しいメールが届き、再び迷惑メールになったが、今回は開封された。そのメールに「前にも送った」とあることから、未開封の以前のメールもこの時読まれて、後藤健二さんが拘束されたと判断した妻は外務省に連絡したという。政府は直ちに情報の分析を始め、犯人グループとメールのやり取りを行った。後藤さん本人しか答えを知らない質問に回答があり、最終的に拘束を確認したのは12月19日と菅官房長官は国会で答弁している。(以上の日時は、2015年2月24日付朝日新聞「検証『イスラム国』人質事件」による。)

 総選挙は12月14日のことだが、こう見ると「最終確認」は総選挙後だとされているが、一番重大な「判断に至るやりとり」はまさに選挙終盤にかぶっていたということは明らかである。渡航以前に外務省は中止要請をしていたということだが、そうであれば行方不明の事実も当然把握していたはずである。やはり、総選挙中には官房長官が官邸で指揮できる態勢が必要だったのではないか。

 さて、その問題は別にして、どのような問題があるだろうか。「ヨルダンに対策本部を置いた問題」「エジプトでIS対策の2億ドル援助方針を明らかにした問題」が、事実経過の問題では大きいと思う。そもそも「身代金を払うかどうか」という問題もあるが、われわれが2015年1月20日にネット動画を通してこの問題を知った時点で、すでに「身代金は政府としては払わない」という判断を家族には伝えていたという。であるならば、それ以後の「交渉」は何だったのか。IS側が当初「2億ドルの身代金」を要求したのは、それを払うという判断を日本政府に求めるというよりも、払わない日本政府を非難するための「象徴的金額」であることは明らかである。だから、それ以前の「秘密交渉」段階の事情が重要なのだが、それがよく判らない。

 日本政府はシリア大使館を2012年3月21日に一時的に閉鎖して、ヨルダンに臨時事務所を置いていた。それはシリア内戦の激化によるものだが、アサド政権を支持しないという米国に追随する措置でもあっただろう。今回の事件はシリアに入国して起こったことだから、シリア大使館臨時事務所があるヨルダンに本部を置くというのは、一応理解できるようにも思える。事件公開以前に、すでにヨルダンで対応に当たる陣容を強化していたというが、その後の解放に向けた交渉はヨルダン(政府だけでなく、各界有力者)を通して行ったとされている。しかし、入国したのはトルコからであり、解放されるならトルコに出国してくる。トルコの人質が解放された事例もあり、トルコに本部を置くべきだったのではないかと当初より指摘する声がある。ただ、トルコは秘密裡に身代金を払ったと思われていて、トルコに本部を置くと「身代金交渉をする」という意味に理解されかねない。だからトルコを避けたという見方もあるらしい。しかし、トルコのルートを無視していたわけではない。トルコにも協力は求めていたので、むしろヨルダンを隠れ蓑にしてトルコでもっと重要なやり取りがあった可能性も皆無ではない。その場合は事情はしばらく表には出ないだろう。

 だけど、「身代金は政府としては払わない」となると、何か政府の打つ手はあるのだろうか。その方針自体の問題も考えなければならない。だが、身代金を払えば解放されたのかどうかの判断は難しい。僕は「身代金を絶対に払ってはいけない」とは考えてはいないのだが、では「秘密裏に払って解放を求めるべきだ」とも思わない。ケース・バイ・ケースで判断するしかないと思うのだが、今回の事例では判断する材料が少ない。だが、その問題の判断はさておき、「身代金は払わない」とするなら、より慎重に行動しなければ「イスラム国」に乗じられることになりかねない。安倍首相は「テロリストに屈しない」「テロリストに忖度(そんたく)しない」とよく言うが、「屈する」とか「忖度する」という話ではなく、「利用されないように細心の注意する」という問題である。

 安倍首相は2次政権発足以来外国訪問を繰り返しているわけだが、今年は1月16日~21日の中東訪問(エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスティナ)しか行っていない。国会開会中であること、ドイツのメルケル首相や仙台の国連防災会議など外国首脳の日本訪問が相次いだことなどもあるだろうが、2012年には3回、2013年には5回も、3月までの年度末に外国訪問を行っていることを考えると、今年は異例である。確かに総選挙のために新年度予算案作成、国会審議も遅れているのだが。どうも、今回の中東訪問の真意が判らない。1月17日は「阪神淡路大震災20年」の式典が行われたことを考え合わせると、あえてエジプトやイスラエルを訪問する意図が理解できないのである。まあ、正式な国交がある国を訪問して何が悪いのかと言われると、答えに困るのだが。

 だから、この問題の正解は永遠に判らないだろう。悪く考えると、「あえて挑発して問題を明るみに出す」ということになる。5月以降の「安保法制審議」に向けて国内世論を誘導するためである。この時期以後に問題が明るみに出ると、国会審議への影響が深刻で安保法制審議が間に合わない恐れがある。そこまでの世論操作を考えるのは僕もあまりしたくはないが、そうすると「よく考えつめないで、アメリカに向けた方針をぶち上げてしまった」ということか。そもそも、イスラム政権を軍部が打倒した後に軍人が大統領に就任したエジプトを訪れるというのはどうなんだろうか。「アラブの春」の「失敗例」のエジプトを訪問し、続いてイスラエルを訪れるという計画そのものがおかしいのではないか。本来はここでまだ行っていないチュニジアをこそ訪れ、新政権への協力を確認するべきだったのである。

 ヨルダンの女性死刑囚との「交換」という最終盤の「交渉」も、どのような事態が起きていたのか、まだ不明な点が多い。僕は「ヨルダン分断策」の意味合いを感じ、ISの方針に現実性をあまり感じなかったのだが、解放に向けて準備が進んでいたという報道もある。というか、そもそもIS側にきちんとした指導方針が存在するのかも判らない。ただはっきりしているのは、「どうしても取り戻したい囚人」ではなかっただろうということである。何だか重要人物のように報じていたマスコミもあるがそれは間違いだろう。そもそも「自爆テロに失敗した」テロリストであり、指導者でも何でもない。「自爆テロ」要員は、ヤクザ映画にある「鉄砲玉」でこそあれ、どうしても取り戻すべき仲間とは言えない。タテマエとしては人質交換の要員ではあるだろうけど。だから、僕は明るみに出た時点でIS側は宣伝工作を重視しているのであると思わざるを得ない。

 政権側の対応は、そのことが判っているのか、いないのかが不明である。当然判っていると思うのだが、首相の野党への答弁などを見れば、「テロリストの思いを忖度して、屈することがあってはならない」的なことばかり言っていた。安倍首相がテロリストに屈したということではなく、「首相がテロリストに利用されてしまった」という話である。問題の本質が理解できていない。敢えて突っ張る、敢えて誤解したふりをしているということもありうるが、自分でヤジを飛ばして後で訂正すると言った様子を見れば、単に「判らない」というだけのことかもしれない。
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