Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

勢い余って買っちゃった♪

2008年12月30日 | つれづれ日記
私の愛車プリウスは買ってこれまで夏タイヤ履きっぱなし。
なのでこの時期になると、ナビ画面上部に表示される気温表示(3℃以下になると表示される)を見ては、凍結路面で滑りゃしないか心配で、どきどきしながら運転していました。
とりあえず都心が雪の日はプリウス君は運休でよいとして、急に冷えちゃった時も安心して運転したい。…という想いが以前からありました。

とは別に、愛車プリウス君も私の運転もなじむようになり、そろそろ自分の愛車でスキーへも行ってみたい!?

ということで、冬も本格化した頃から、スタッドレスタイヤを買おうと密かな計画を立て始めました。

でもタイヤ4本で、値段にして70,000円~100,000円。ホイールまで凝りだすと、値段は天井知らずに上がっていきます。
今のお給料ではとても高いのは買えません。でもタイヤは欲しい!!
密かなタイヤ購入計画がそこにスタートしました。

まずは飲み代の徹底的な節制。この時期になると、忘年会はお付き合いもあり仕方なしとして、それ以外のただ私が飲みたいだけで開催する飲み会は一斉排除。それでも飲みたければ、家に冷えているビールや焼酎を飲む。これなら私のお財布も痛みません。
といってもそんなちょっとやそっとでタイヤ代丸々は捻出できず。
そうなればあとは勢いです。

年末最後の洗車中、ふらりタイヤ屋へ足を運んでみることに。

店員さんにタイヤ選びのコツや、気を付けるべき注意点を聞いていると、いつしか値段の話しに。
「今日まで年末セールで工賃半額ですよ!! 年始じゃできません!!!」
「お客さんだけに内緒ですよ。窒素充填サービス!!!」
「んじゃしょうがない!! ここまで値下げしましょう」
とうまいこと私をのせてくれるタイヤ屋の店員さん。

元々勢いづいたら買いそうなくらい弱い意志でタイヤ屋に行ってしまった私。
「ほんじゃこの値段でどうだ!」と、電卓にバキッと値引きしてくれた値段が表示された途端、そのまま「買った!!」。勢いあまってタイヤ4本+ホイール+窒素充填+ナット6本×4本分+夏タイヤ保管料合わせて110,000円、ものすごい買い物をしちゃいました。

早速洗車したてのピカピカの愛車プリウスに新品タイヤに新品ホイールを装着!
絶対私は買い物下手だなと改めて思いました。

タイヤ屋に最初は慣らし運転をしながらいきなり長距離走るなと言われたのに、そのまま慣らしドライブへ出発!
市内をぐるり50km近く走り込んできました。
今までになり走り心地に、アクセルの踏み方、ブレーキの踏み方をいろいろ試行錯誤。ちょっとずつコツもつかんできました。

これからいよいよ冬本番!
これどんな場所でも走っていけます!!

せっかくなので元を取るべく、いろいろ出掛けたいと思います。
愛車プリウスでどこかす出掛けたいというあなた!!
ご連絡お待ちしております♪

年末のごあいさつ~一年お付き合い頂きありがとうございました

2008年12月28日 | つれづれ日記
まもなく2008年も終了。今年も一年この長いだけで大してオチもない当ブログにお付き合い頂きありがとうございました。

2008年は、正月から共同システム稼働確認で仕事、以来暫くは前年に続いて拷問のような生活が続きながらのスタート。愛車プリウス2度目の事故(通称:横浜ベイブリッジ砂袋事件)もこの時期でした。
春になると、今まで貯まった休暇と残った大量の仕事に、遊んで夜勤の繰り返しで壮絶な日々が続きました。スキーに趣味の電車旅行にと、日本全国を駆け巡りつつ、期限に追われる仕事に体力的にも精神的にも追い込まれ、ハイペースに飛ぶような生活が展開されました。
夏も近付くとようやく仕事が落ち着き、例年の生活ペースが戻り、人としてあるべき日々の楽しみのありがたみを実感。東北ねぶたを鑑賞したり、日本最大の花火・スターマインに感動。毎週花火にビール、思い出いっぱいの夏休みでした。
秋になると、ありがたみを実感しすぎた反動で資金難に陥り、あわや財務超過寸前に…。
スケジュールに余裕がでると、いろいろな生活に今後への悩みが生じるようで、冬は若干情緒不安定に。今年の年越しは、そんな悩みに不安がつきまとう、ちょっぴりセンチメンタルな年越しに。
さて来たる2009年はどんな年になるんでしょうか?

来たる2009年は9月にいよいよ私も30歳になります。
だらだらやってると、知らないうちに人生の方向性が固まるんじゃないかと急に思うようになり。した途端、日々の生活ひとつひとつがちゃんとした方向を向いているのかが気になり、いろんな細かいもののひとつひとつが気になったり。
2008年はとあるきっかけで、仕事を頑張る糧は、日々の生活にあるということに気づかされた一年でした。これから先、どうやって日々の生活を充実させるか…それはやっぱりいい相手を見つけないとと思い、ようやく今まで長かったプチピーターパンシンドロームもちょっとずつ収束傾向に。
でも気になる相手が見つかったからって、それが即座に成果に結びつく訳ではなく、それはそれで焦りと迷いを産み、それは巡り巡って仕事に立ち返り、生産性が落ち…。なかなか仕事とプライベートのバランスは難しいようです。
なんかすっきりとしない、もやもやしまくりの年越しです。

一年振り返り一文字で表すとまさに「迷」という一年。
来たる新年、その答えはでるのでしょうか?

来たる新年も、引き続き当ブログは変わらず気が向いたベースでのんびり更新していきたいと思います。
これからも変わらず、当ブログをどうぞごひいきに。

ご覧の皆さんも、来たる新年が良い年でありますように…。
では皆さん、よいお年をお迎え下さい。


平成20年12月 J-san

今日でさようなら~名鉄モンキーパークモノレール線

2008年12月27日 | つれづれ日記
名鉄名古屋から名鉄犬山線の特急電車に揺られて30分。犬山を出て、まもなく長良川というところで、犬山遊園という今でこそ小さな小駅に電車は停まります。
降りるとホームのすぐ先が長良川で有名な鵜飼の観覧船の乗り場も、この駅から歩いてすぐ。でも普段は誰も乗り降りしないさびしい駅です。
振り返ると、上りホームの真上に、橋桁が覆いかぶさっていて、暫くするとその先の山の上からモノレールがものすごい轟音を立てながら走ってきます。それが名鉄モンキーパークモノレール線(犬山遊園~動物園間1.2km)です。

このモノレール、1962/03/21に開業した日本で最も古いモノレール。
この路線は、終点・動物園駅に隣接する日本最大の霊長類を扱う動物園として有名な日本モンキーパークに行く足として利用されていたのですが、開業46年を経て、モノレールが老朽化。その補修に見合った採算が取れないことを理由に、今日をもって廃線となりました。

車体は当時の子供の趣向をとらえた、どことなくロボット系ヒーローのような顔つき(本当にそれを意識してデザインされている)、ボディーにはモンキーパークにいる猿たちをなぞった可愛いキャラクターのペイントでにぎやかなデザイン。車内も猿のキャラクターで埋め尽くされ、開業当時から走る車両の老朽さを感じさせない雰囲気があります。

私がこのモノレールに出会ったのは小3の夏。祖父に連れられ名古屋の私鉄に乗りに行った時。新名古屋(現・名鉄名古屋)からパノラマカーに乗り(ちなみにこのパノラマカーも今日で引退)、次が終点・新鵜沼というところで祖父が降りようと言い、疑問に思いながら降りると真上に古臭いモノレールが。
夏なのにクーラーもなく、でも走り出すと日本最古ゆえか、ものすごい轟音を立てながら、豪快な揺れ、お世辞にもなめらかな走りとは言えず、その尋常じゃない乗り心地に当時すごくわくわくした記憶があります。

このモノレールの廃線を知ったのは今年はじめ。
私は以来その古風でこそのその味が好きだったので、乗り収めということで春にお別れをしにそのモノレールに乗りに行きました。

その日はそこにたどりつく前にいろいろ寄り道しすぎたせいで、犬山遊園に着くと次の発車は終電。平日の夕方の最終の動物園行のモノレールに乗るそんな変わり者は私だけ。既に改札は駅員が誰もおらず、きっぷ売り場もクローズ。でも乗らない訳に行かないので、無人の改札口を突破しホームに行くと、ホーム手前に柵があり、その柵が閉まっていて車両のすぐ手前で足止め。
「どうしよう…」と不安に待っていると、その終電の運転手が控え室から出てきて私を発見。「また変わり者がきたよ…」的な目線で見られ、柵を突破し車内に入ると、当然私1人の乗客を乗せ出発。

モノレールは基本全ての車軸がゴムタイヤなので、道路上を車が走るかのようにスーっと走るもの。でもこのモノレールは走行桁の上に鉄軌道が敷かれていて、縦の重量を支える車軸が普通の電車と同じものを持っているため、走りがゴツゴツとしているのが特徴。なので音もゴムがこすれる音以外に、普通の電車と同じようなガタンガタンというジョイント音(レールのつなぎ目を越える音)がするので、乗り心地はかなり独特になる訳です。

途中成田山駅で形式的にドアを開けすぐ閉め出発。ここから先はモンキーパークの園内を突き進み、園のほぼ中心が終点動物園駅。着くと折り返し上り終電になるため、家族連れが数人折り返し電車を待っていました。

動物園駅はモンキーパーク園内のため、動物園の入場券がないと降りられません。なのでそのまま乗ってきたモノレールに乗りすぐ折り返し、犬山遊園へと戻ることにしました。
所要5分、犬山遊園駅に戻る手前、長良川の川べりの景色が遠くに見えます。ちょうど夕日の時間だったので、すごく哀愁漂う車窓。これで最後…という寂しさも相まって、さらに哀愁が漂ってきます。

終点・犬山遊園に着くと子供たちはすぐ出口から家路へと散っていき、ホームで写真を撮る私だけがひとり取り残されます。気のすむまでシャッターを切り、最後のお別れを終えました。

名鉄は会社設立の経緯から、大手私鉄の1社に数えられながら、多くの赤字支線をかかえていたのですが、経営基盤を安定化させる目的でここ5年でその支線が一気に廃線に。いろいろ味のある路線がいっぱいあった名鉄。今日でまたその面白みが1つ失われてしまいました。
ちょうど今日は名鉄の名車・7000型パノラマカーも引退とのこと。
時代の移り変わりは画して寂しく感じることが多いです。

JRチームスキーパーティー'08プレ大会

2008年12月21日 | つれづれイベント
私が今所属している俗称"JRチーム"に配属されたのは今から4年前の夏。
その時チームには、テンションの高い兄貴的な協力会社さんがいて、その人がいろんなイベントを企画しては、チームみんな集まっていろんな遊びをしていました。

その時にはじまったイベントとして、有名なのは恒例・鬼うどん巡礼。
今では当初の参加メンバーがチームを離れたこともあり、既に今の参加メンバーのほとんどは我がJRチームメンバーではなくなっているものの、以来半年に一度の恒例行事。次回第10回記念大会という恒例行事になりました。

次に恒例化しようとして失敗したのが、ダーツ大会。
当時あまりダーツのゲームを知らず、またオーソドックスなゲームでもスコアがなかなか伸びず、チーム行事としては1回で終了してしまいました。

最後に冬のイベントとしてはじまったのがJR鬼スキー大会(現在のJRチームスキーパーティー)。'04シーズンに開催して以来、共同システム開発で忙しかった'07シーズンを除き、毎年開催している名企画。
チームのメンバーが入れ替わっても、関わりをもった人は全て参加資格があるため、メンバーは毎年増えるばかり。前回'06シーズンの開催時には、参加メンバーが20人を超え、毎年参加希望の連絡を多く頂くほどの人気企画になりました。

その火つけ役となった協力会社さんは、翌'05春に会社を退職され、以降は残ったメンバーで、機会を見つけては回を重ねて早4年半。今年も春、秋と鬼うどん行事を開催し、季節も変わって冬。今年もスキーの季節がきました。

共同システム開発で、JRチームに関わった人というのが膨大な人数となり、それをまとめるにはということで、今年は早々チームメンバー代表で幹事会を結成。会社近くのファミレスに集まっては、企画をどうしようか話し合いをする日々が始まりました。

結果、本大会は2月中旬に決定。後輩メンバーは手際よくメンバーを調整し、企画実現へ頑張ってくれます。そんな打ち合わせをしている中で、ふと12月下旬に幹事会メンバーのスケジュールが合う日程があることが判明。急遽、プレ大会の開催が決定!
恒例、チームマネージャーと、チームに所属する協力会社さんの運転する車2台で、本大会へ向けたプレ大会に行くことになりました。

メンバーは現チームに所属するメンバーでスケジュールの調整のついた10名。かなり間際に決まった企画にしては、すごい集結力。しかもX'mas前に…。

今日は真冬とは思えない春の陽気とのことで、東京でもコートがいらないぽかぽか陽気とのこと。でも一応防寒用具一式揃えいざ出発!

日の出前の深夜5時。愛車プリウスに乗り、メンバーを拾いチームマネージャーご自宅の駐車場へ。車を乗り換え、圏央道~関越道と飛ばし、尾瀬の丸沼高原スキー場を目指します。
関越道沼田i.cを降り一般道へ。そろそろ"雪の進軍、氷を砕き~♪"って雪が見えて歌いたくなるはずが、一向に雪らしきものは見えず。山を徐々に上り、ナビではそろそろスキー場間近なはず。11時頃、うっすら雪らしきものが見えたところでスキー場到着。

更衣室が遠かったため、駐車場で着替えていざゲレンデへ!
ゲレンデ行ピストンバスに乗る時、バス操車のおじさんが、我々メンバーにレンタルが必要な人がいることに気づいて一言「レンタル終わっちゃったよ…」。一同唖然。

さてどうしようか。聞くとレンタルショップは他にないらしく。
協議の結果、レンタルがなきゃしようがないということで、急遽他のゲレンデを目指すことに。慌てて選んだのが、尾瀬高原の入口・スノーパーク尾瀬戸倉。
でも既に昼前。迷ってる間もなく、再び車に乗り込み尾瀬高原へ向かいます。

移動中やっぱり雪がない。今度のゲレンデも雪はあるのか!?

ナビで指したスキー場らしき場所に到着。車を降りると、土の上に宙づりのリフト、かろうじて動いているリフトの横を帯状に積もらせた雪の上を滑る人たち。
船橋の人工スキー場より狭いゲレンデ。でもメンバー一同楽しめればOK!
車を飛び出しいざスキー!

今日はメンバーの半分は、初めてスノーボードを体験してみようということに。
初めてのボードシューズを履き、板を装着。
それぞれ苦戦しつつも、自分が初めてスノーボードをチャレンジした時より数倍早く、みんな自分の滑り方を身につけゲレンデへと飛び出していきます。
寡黙に地道に自分の腕を試す人、ポイント毎にできる人に見てもらいながら身につけていく人、コント系…。十人十色で客観的に見てると非常に面白く。
私はその横でカメラ片手に、my板ちゃん(ショートスキー)で、今シーズンの足慣らしをします。

ゲレンデ1本、しかも数百メートルしかないゲレンデ。でもメンバーがどこで何をしてるのかが一望でき、人も少なかったので、まるでうちのチームのプライベートゲレンデのようでそれはそれでかなり面白い。
好きな時に召集をかけて記念撮影したり、みんなで滑走したり…。
思い思いに練習し、ゲレンデ1本でも十分満足して練習を終えました。

帰り道温泉に入り、美味しいごはんを食べ。
どうしても眠たい帰り道、車内で流れるドラマ"24"を見ながら、ジャック・バウアーのマネをするどきどきキャンプのマネをして車内大爆笑。
間際の土壇場企画も、大盛況に終わりました。

次回2月本大会も、これぐらい楽しくできたらいいな…。

チームマネージャー宅駐車場で愛車プリウスに乗り換え、メンバーを送る道中、関東では気圧の谷に当たり、風速30m/sのものすごい風が吹きすさび…。
道路上にあり得ないものが落ちてたり飛んでたり。ベイブリッヂの悪夢が頭をよぎりスピードがまったく出せず、早く帰りたいのに目的地に近付かない近付かない。
最後のひとりを送り届け帰り道の首都高湾岸線。ものすごい横風にあおられ、ハンドルをがっちり握っての運転。正直ここがこの一日で一番疲れた場面でした。

翌日、筋肉痛になったのは、意外や腕。ショートスキーの私がスキーで腕を筋肉痛にする訳もなく。原因は間違いなく首都高。
それから一週間、疲れが癒えず仕事はまったく乗らず。楽しい後には怖いツケがいっぱい待ってます。

駅のメロディーの音楽的素晴らしさ

2008年12月07日 | つれづれ日記
ここ10年でどこの駅でも聞けるようになった、駅の発車メロディー/入線メロディー。実はこの駅発車メロディーの歴史は意外と深い。

最初に登場したのは1971年、京阪の始発駅で牛若丸をモチーフとしたメロディーが流れたのが最初と言われている。
それから暫くはあまり一般的に普及はせず。それがどこの駅でも聞かれるようになったきっかけが1989年。当時駅のメロディーと言えば単調なベルばかりで、いっぱいホームのある駅ではそれが複数同時になると耳障りで、同時に鳴っても美しいメロディーをというのがきっかけで、YAMAHAが新宿駅に駅発車メロディーを導入したのがきっかけ。そのメロディーは森の静かな風景をモチーフとしたもので、メロディーは新宿駅1番線から14番線まで異なるが、同時になってもまるでちょっとした森の喧噪のような静かな曲だった(今では聞くことができない)。
以来JR東日本では首都圏のほとんどの駅で駅発車メロディーが採用されるようになり、それをきっかけに他のJR駅や私鉄の駅で駅発車メロディー、入線メロディーが採用されるようになった。

メロディーは専用のモチーフを使ったものばかりだったのが、最近ではご当地のアーティーストの曲を編曲した"ご当地メロディー"なる曲がいろいろな駅で採用されてきた。

"ご当地メロディー"が流行するきっかけは1997年。映画・蒲田行進曲の舞台であるということで、京浜東北線・蒲田駅に「蒲田行進曲」をモチーフとしたメロディーが導入されたのが始まり。以来、山手線・恵比寿駅に「第三の男(サントリーCMソングの曲)」、山手線・高田馬場駅に「鉄腕アトム」、京葉線・舞浜駅に「Zip-A-Dee-Doo-Dah/It's a small world」等、との場所を象徴する曲をモチーフとしたメロディーも多くなってきた。最近では高崎線・熊谷駅/籠原駅に「熊谷市歌」、東北線・大宮駅/さいたま新都心駅/浦和駅に「希望のまち(さいたま市政令指定都市の記念ソング)」等、土地の宣伝的な多少売り込み的な曲も増えてきている。

駅のメロディーは短くて5秒くらいのものから、15秒くらいのものが一般的。それ以上の曲も稀にあるが、ダイヤ上無理があり打ち切られてしまうことも多くなり、メロディー愛好家はフルで聞くのに苦労する(実際私も何年もねばってフルを聞けていない曲も数曲ある)。
その短い尺の中に、"ご当地メロディー"であればこのメインモチーフをうまく挿入し、きれいな曲の片付けをし、全体のメロディーを曲として完成させている。最近導入された京急線・浦賀駅「ゴジラのテーマ」は、元々モチーフが長い曲がうまく駅のメロディーらしくまとめられていて、曲の終わりのメロディーの片づけ方はかなり考えられていて感心する。

私も実は15年前頃、マイクを持参し駅で録音していたメロディー愛好家。当時は駅の発車メロディーからバス接近表示でバスが近づいた時になるメロディーまで、スピーカーにマイクを近づけいろいろ撮りに行っては、あとでメロディーを聴いては駅の情景を思い出しわくわくしていた頃もありました。ただフルで音声的にきちんと1曲1曲を収めるのは、駅員のおしゃべりが邪魔だったり、曲が途中で切られたりとかで思いの他辛い作業で、1年も経たず自分で録音しにいくのは断念。最近では専らサイトからプロが収録したデータをダウンロードしたり、たまに発売される音源集を買ったりして、趣味を満たしていたり。
実はこのメロディー考について書いた小コラムが読売新聞に載ったこともあったっけ!?

そんなメロディー愛好家がおすすめする曲がこれ。
・京急線 上大岡駅「夏色(ゆず)」…2008年11月に導入された"ご当地メロディー"の最新曲。つい明るい気分になってしまう曲で、会社へ向かう途中とかの暗い気分を一瞬で明るくしてしまうようなアレンジが素晴らしく。


・函館線 函館駅「旅立ちの鐘」…最初に4回鐘が鳴るところからメロディーがスタート、最後に遠くへふわっと消えてしまいそうな、しっとりとした素敵なメロディー。

・京阪主要駅のメロディー…始発駅から終着駅まで通して聴くとさらにひとつのメロディーになるという凝ったもの。上り/下り、特急系/急行系でメロディーが4タイプあり、先日CD化。ただ作った人が私のお気に入りのゲームの製作者向谷実氏ゆえ、聞いているとゲームをやりたくなるのがネック。
・京葉線 東京駅他「Verde Rayo V2」…駅メロディー愛好家になったきっかけの曲。ただ3度転調を3回繰り返すだけの単調なメロディーだが、安定和音がただ繰り返されるのがなんかハマる。

・東北新幹線 仙台駅…仙台を代表する作曲家・榊原光裕氏が作った曲で、モチーフが短い間に大胆に移るのが斬新で、この曲も途中でモチーフが大きく変わり、最後には草原をイメージするようなイメージへと進展する。最近編曲が変わり、ややこもったアレンジに変わったのが残念。

時刻表愛好家、乗りつぶし派、写真系などは、鉄道好きでも歴史が深く、またファンの数も多いが、メロディー愛好家はまだ数が少なく、著作権の都合で自分の撮った音声が公開できない等、趣味を人に伝えづらくファンがいまいち根付かず。
でもこれだけ日々の生活に根付き(毎日絶対耳にする)、そしてその一瞬で場所を象徴してしまうメロディーの力強さには音楽的な価値があると自分では思っていて。
たまの休日、私は駅でスピーカーの下にたたずみ1日を過ごす日もあります。それはメロディーに聞き入っている時。ちょっとした雑音も耳にしたくない時なので、その時を見かけたらそっとしておいてあげて下さいね。