Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

秋の夕暮れ散策

2006年09月23日 | つれづれ日記
そろそろ空も秋空へと変わり、家でも窓を開けてると気持ちいい風が入るようになり、夜も布団を掛けて寝ると丁度よい季節。
今月は既に遊び過ぎていると反省し、今週の週末は自分の中で”派手な遊び禁止”宣言をし、わざとスケジュールを入れず、家で反省房で反省の予定。
前日、ちょっぴり体調が悪い中、テンションを上げ過ぎたせいか、若干呑み過ぎ、そのまま熟睡モードへ。そのまま寝続け今日、母に「いつまで寝てるの!」と怒られ起きるとなんと15時。とうに陽は傾いていました。
朝食と昼食を兼ねた食事をぽそぽそ食べながら、外をのんびり眺めていると、前日の天気予報と変わって、意外と天気がよさげな感じ。ちょっぴり嬉しくなって窓へと近づくと、秋らしく、筋雲が入った薄い青色の空が、秋らしい淡い色で私を外へ出ようと誘ってきます。
お誘いと、頼まれたお仕事だけは断らないのが私の主義。
お空からお誘いを受けては仕方ない…とばかりに、食事を終えるとすぐ様愛用のカメラを持ってお出掛けです。

行き先は、家で空を見た時から決めていました~「江ノ島」

私の住む港南台は、横浜市というのに、横浜へ行くより鎌倉が近いという辺鄙(へんぴ)な場所。当然江ノ島も、ちょっと電車に乗れば行けてしまう手軽な場所です。
家を出て15分で大船に到着。そのままモノレールに乗り換え、家を出てから30分後には、もう湘南江ノ島駅に着いていました。
江ノ電の踏切を渡り、商店街を抜け、小田急・片瀬江ノ島駅を右に見ながら、国道134号線をくぐる地下道を抜け、江ノ島水族館の脇を過ぎると、茜色に染まった夕焼け空が、まっすぐ目に飛び込んできます。
向かったのは江ノ島海岸の西浜。鵠沼海岸へと続く海は、江ノ島から弧を描いて、まさに絶好のロケーションです。

西の海の先に台風が来ているせいか、家で眺めた時は真っ青に見えた空も、意外と雲が多く、正面の夕陽も雲の合間に出たり隠れたり…。
海の家の跡地に残る鉄骨に腰掛け、しばし夕陽が沈むのを眺めました。

愛用のデジカメでいろんな角度で写真を撮っていると、なんか違和感が。
普通こういう写真って、誰もいない寂しげな海岸に、どっぷり沈む夕陽が一般的でしょ?でもよく見ると、ちょっとした祭があるんじゃないかって勢いで人がうじゃうじゃ。みんな思い思いに綺麗な夕陽に撮影していました。

ふと気付くと、俺の腰掛けている鉄骨にラブラブカップルが。
只でさえ夕陽で綺麗だけどテンション下がってきとるのに、ラブトーク聞かされた日にゃ尚のこと凹むわ思って、まだもうちょっと日暮れまであるのに勢いで退散。

でも夕陽はわいわい見るものです。
間違っても一人で見に行くと、私のように凹んでしまいますので…。

プリウスドライブ~静岡おでんと茶摘みの旅

2006年09月17日 | つれづれ旅行記
せっかくプリウスを借りたので、ちょっぴり贅沢に契約を1日長くして、もう1日お出掛けをしようかと。今日のメンバーは、仙台ツアーへ出掛けた例の方々。今回もメンバー全員集合ということで、若干波乱の予感です。

集合は7:30と言いつつ、ドライバーの私の目覚めたのが7:30。いわゆる寝坊です。しかも待ち合わせ時刻になっても来ないことに連絡してきたメンバーからの電話で起床です。慌てて飛び起き駐車場へ…最初の波乱は自分でした。

メンバー集合して、行き先会議。車の返却期限は今日の20:00。それを踏まえろと言ったにも関わらず、出た行き先は「浜松でうなぎを食べたい」「東名道をひたすら走ってみたい」等、返却期限考えとるんか!!ってものばかり。ドライバー裁量で、静岡でうなぎを食べるに決定し、昨日と同じく東名高速をかっ飛ばします。

今日の天気は午後から雨の予報。なのでメイン企画は早く片付けたい。
正直前日フルフルに運転した疲れもあって、余力を作って温泉でも寄り道…なんて腹もちょっぴりあり、その分も考え若干飛ばし気味です。
家を出たのが7:40、途中休憩を挟みつつ、11:30静岡駅南口に到着。
目的地を静岡にしたのは、ちょっぴり狙っていたうなぎのお店があったから。9/2の名古屋ツアーの際、静岡で朝食を探していた際に、いつか来たいと思った和食処にうなぎも置いていたな…と(その時店の名前を思い出せず悩んだのですが、後日調べたら、ASTY「お好み郷土料理・三久」というお店でした。そこは是非いつか行ってみたい)。
そこで上がった意見…「駅ビルじゃ嫌だ」。ならどこがえぇんじゃ!!

静岡は静岡駅の駅ビルと、静鉄新静岡駅近くのアーケードが一番の繁華街。そこで嫌だと言われてしまうとあとは知りませんという気分。好き勝手言って一向に行き先が決まらずうだうだするのが時間の無駄。そんなやり取りが1時間。ぶち切れ一発、静岡名物・静岡おでんで腹ごしらえをして、帰り道三島でうなぎを食べようということに。

静岡おでん…真っ黒になるまで煮詰めた魚介ダシに、牛スジや魚のアラのつみれなどを串に刺し煮込んだおでん。値段が1本50円程度と安く、子供のおやつとして食べられてきた静岡の隠れた名物。一番の具は、何と言っても名物・黒はんぺん。さつま揚げとはんぺんの合いの子のような感じで、最後に練りからしとふりかけで味を調えて頂くのが土地のルールです。
最近テレビでよく取り上げられていて、その庶民的な佇まいは、関東で言うと駄菓子屋におでんを置いているイメージ。今日行ったお店は「おがわ」というお店。せっかくなので大人食いということで、気になる具材を全部食べてやりました。それでも500円ちょっと。よく煮込まれた牛スジと、魚のアラのツミレが最高でした。

その後はちょっぴり腹ごしらえに日本平で茶摘みをすることに。
日本平ドライブウェイを走り、丘の上にそびえる茶畑を発見。ここで風流に茶摘み体験です。
行った茶畑はAPECで各国の首脳陣も訪れたとの畑とのこと。茶畑に佇むおじいさんから、茶摘のコツとそんな小話しを伺いつつ、初めての茶摘み体験です。
おじいさん曰く、茶摘みは「1芯3葉」と言うらしく、若葉の生ったところを、上から1つの芯と3つの葉を摘み取るのが流儀とのこと。
そうなったら、ここの茶畑を根こそぎ摘んでやるぞとばかりに、貧乏性のがめつい心に火がつきます。
最初は「1芯3葉」「1芯3葉」…とつぶやきながら順調に摘めていたものが、段々と新葉とそうでない葉の区別がつかなくなってきます。そうやって新葉が見えなくなってぼんやりしていると、再びおじいちゃん参上…「ほぅ。よく摘めたね」。おじいちゃんは至ってのんきです。

ひと仕切りお茶も摘めたので、受付に戻り、さぁ茶にしてくれ!とばかりに差し出すと、「お茶はね、最低でも4kgは必要なんよ。そのビニール持って帰って、天ぷらにしてでも食べてみなさい」…それを早く言ってくれよ。そうしたらもっと手を抜いて摘んだのに。気付くとビニール袋いっぱいの自分の摘んだどくだみ茶。
どうやらお茶にすると、「秋冷茶」と言っておいしいらしいよ。量はだいぶ足らないけど。

車へ戻り、三島にあるといううなぎのお店へ。市内・大渋滞の中掻き分け、雑誌で見つけた「うなよし」というお店を目指します。
しかし雑誌で見つけた名店だけあって、まだ16時というのにも関わらず、既にお店はいっぱい。
並:うなぎ1枚、上:並と同じ質のうなぎ2枚、特上:並と同じ質のうなぎ3枚という荒い商品設定にびっくりしつつも、この後のドライブを考えて、大盛並うな重を注文。
もう私も27歳になり、食欲も全盛期を過ぎたのか、食べれると思ったうな重を食べきれず断念。もう大盛を威勢よく食べれる年代は終わったようです。うなぎは名店だけあってか、ぷりっとした身と、香ばしく焼かれた皮が美味。今度はお腹のコントロールができた日に再度行ってみたい店でした。

再び車へ乗り込み、あとは地元へひたすら戻るのみ。
東名沼津i.c.も近づいた頃、目に付いた文字"渋滞30km"…時計は既に17時。さぁ困った。
とりあえずいつも以上にかっ飛ばし、渋滞の尻は延びに延び、秦野中井i.c.手前から10km/h以下のノロノロ運転に。これは無理と一般道へ。幾分ペースは速くなったものの、とても20時に地元のレンタカー屋は無理ということで、レンタカー屋と交渉して、本厚木のレンタカー屋に返却することで調整。
途中で雨も降り出し、陽も暮れ肌寒い中、家まで戻れないという事で、ドライバーに向けて非難轟々…。でも渋滞は俺のせいではないので。

なんとか車を返却。とりあえず寄った本厚木駅Cafe.jrでは、誰が悪いかで討論会です。なんだか俺が責められ決着。なんか頭に来る幕切れでした。
前回の仙台ドライブに続いて…。
このメンバーとのドライブは何かがどうも起こるようです。

プリウスドライブ~御殿場アウトレットと沼津の旅

2006年09月16日 | つれづれ旅行記
ガソリン高騰の波からなのか、自分のひいき目が日に日に増しているのか、最近軽自動車とプリウスを街中でよく目にする気が…。
その傾向は、地方・都心部構わず一定の傾向があるように見え、ここのところ、どこへ出掛けてもプリウスを見かけ、その度に仲間意識を感じてしまっている自分。
よく周りには説明するけれど、私はあくまで電車好きであり、バス好きであり。残念ながら車は好きという程まだ加熱しておらず。運転が好きか嫌いかと聞かれれば多少好きではあるけれど、それも車に乗るんだから、助手席よりは自分の運転の方が楽しいというだけで、電車か車どっちがいいと聞かれれば、今でも電車と自信を持って答えます。
でもたまにはプリウスちゃんも可愛がってあげないと…と思い、7月のカート&仙台ドライブ以来の久々のドライブに出掛けることに。

今日のドライブ。前日の夜勤中にふとした思い付きで借りてしまったほんとの思いつき企画。なので当然行き先も、同乗の人も全く決めておらず、行き当たりばったりのお出掛けです。
今日お付き合い頂く方も、ほぼ当日いきなりお誘いを。
ただ朝からは都合がつかず、午後からお出掛けの予定です。
なのでプリウスを借りて暫くの間、一人のんびりドライブモードです。

まずは鎌倉街道~舞岡・上郷線~環状4号線と抜け朝比奈峠へ。今日は久々の快晴。正面に突き刺さる太陽がまぶしいけど心地よく、エアコンを止めて窓を全開にしながら、鎌倉霊園まで続く絶景を見ながら、鎌倉方面へと進みます。
八幡宮を右手に見ながら若宮大路~鎌倉駅へ。土曜日の午前中は、街も幾分か空いている気が。休日の午後だと、若宮大路から人が飛び出さないかヒヤヒヤするくらい人があふれるのですが、今日はその点幾分か気楽に通れました。
そして大仏の前を通り、桜の名所・鎌倉山を抜けると、大船まで真上の湘南モノレールと競争です。勝負は7分差で完敗。モノレールは各駅停車とは言え、信号待ちも少ないので、やっぱり早い早い。

今日のプリウスは納車直後の超新車。トリップメーターもまだ22km。よく見るとプリウスもマイナーチェンジが各所でされたようで、細かい操作方が若干変わっています。これがマイカーだったら最高なんだろうな…。
青空の下で、超新車プリウスを撮ってやろうと、本郷台駅のロータリーで小休止。
ボデーが新車ゆえいい光沢を出し、青空に映える映える。

環状3号線~国道16号線~国道357号線と抜け、今日の同乗者との待ち合わせ場所へ。合流し、今日の目的地を相談の結果、沼津へ寿司を食べに行くことに。

ETCホルダへなぜか持ってるETCカードを挿入し、東名高速へ。
今日は連休初日ゆえか、乗った途端に大渋滞です。
ただ同乗者が持ってきてくれた変なCDのおかげで、訳も分からず時間も距離も進み、あっという間に神奈川県~静岡県の県境へ。まもなく御殿場i.c.というところで、左手に気になる観覧車を発見!聞くと御殿場アウトレッドにある観覧車とのこと。まだ夕飯のお寿司まで多少時間があったので、ちょっぴり途中下車で御殿場アウトレッドへ寄り道です。

駐車場から連絡バスを乗り継ぎ着くと、ここは御殿場なのにも関わらず、人であふれ返っています。ちょっとした海外のアウトレットにも引けを取らない程の店揃えで、購買意欲も知らないうちに高まってます。
観覧車から夕焼けを眺め、気になったお店…レゴショップへ。
子供が無邪気にレゴで遊んでいるところに乱入。童心に帰ってレゴブロックで遊びます。…しかし子供の下からの冷たい視線が気になります。
今日は夕飯のエンドが決まっているので、お買い物は特になく、ちょっぴり滞在で終了。買いたい服も靴もいっぱいあったので、近くまた仲間を揃えて買い物ツアーをやりたいなと。

再び車を走らせ向かうは沼津・丸天。ここは大学当時、沼津に島流しとなった友人カッキーを訪ねて通った期間に見つけた鮮魚の名店。活気あふれた店の雰囲気と、値段にして有り得ないボリュームの定食が魅力的なお店です。
毎回1品1品が量があるのを忘れて、頼みすぎて反省するんだけど、今日も大失敗。タワー状になったかき揚げを注文したのが失敗でした。自分の頼んだ刺身定食が食べきれません…。
でも刺身の質と値段はなかなか。是非おすすめの名店です。
1人割り勘で約2,000円足らず。食べて食べて食べ切れなくてその値段。
関東で食べたらいくら取られるの!?ってくらい存分に食べさせてくれます。

食後とても車を飛ばす気力はなく、小休止ということで、同乗者の紹介で近くにある千本浜という海岸へ行くことに。
車を停め土手を上がると、一見普通の海岸。
でも普通の海岸とは地面が違います。
波が押し寄せ去っていく時、普通聞こえるのは水しぶきの音。
この海岸の場合、その水しぶきの音に加えて、小さな砂利が水と当たる音がプチプチプチ…と聞こえてきます。

その訳は、この海岸は堆積した土が砂ではなく、砂利状の小石。
なので波が押し寄せると、小石が水で浮き、波が引く時にそれが再び地面へと戻るので、その小石がぶつかる音がプチプチと音を立てる訳です。
夜空を見上げながら、ぼんやり小石に腰掛け、満腹のお腹が癒えるまで、初めて聞いた波の音で楽しみました。

同乗者の家の近くで同乗者を降ろし1人になり時計を見るとまだ0時前。
せっかくなのでと夜中のドライブへ。
真夏の暑い時期も終わり、エアコンを止めて窓を開けるとちょっぴり寒いくらいの気持ちいい秋風が車へと吹いてきます。もしかすると秋はドライブにもってこいの時期かもしれません。

夏休みの思い出大総括

2006年09月15日 | つれづれ日記
そろそろ一旦夏休みのネタも、書けている分が上がりきってしまったので、空色も夏空から一気に秋空へ変わってきたし、ちょっぴり夏の思い出をまとめてみようかと…。

<<7月>>
カート大会、プリウス仙台ドライブ等、短距離、短期間型のお出掛けの多かった月。残念ながら天候に恵まれず、どのお出掛けもあまりスカッと晴れなかった印象があります。
でもカート大会はほんと楽しかった。負けたのはほんと悔しかったけど。
季節が変わって秋になる頃には、もう一度再戦したいな…と。
でも全体的に、移動距離は今までのどの月にも負けないくらい移動してるなと。
秩父ぐるっと回って、仙台往復した上に全部自分がハンドル握り、更に養老渓谷まで旅して、翌週日本海を一周してきたかと思いきや、仙台へまた行って…。
でも若いからできる芸当で、俺もまだまだやってることが子供だな…って振り返るとすごく感じる月でした。

<<8月>>
まず月初めには京都2泊3日の旅へ出かけました。
近鉄のナローゲージにしこたま乗り、湯の山温泉につかり、近くの川で大はしゃぎ(今日のトップ画像)。翌日は生駒山の遊園地で、有り得ない人のいなさっぷりに大爆笑。そしてその夜、たまたま取った祇園の宿で豪華鱧料理を満喫。最終日、比叡山を多少暑さにバテながらもグルッと一周。
濃い乗り物にしこたま乗り、大好きな温泉と絶景、最高の旅行でした。
その後は、自分の抱えた案件が山を迎え、毎日仕事に没頭。
それでなのか、旅行も派手な遊びも、その京都旅行ただ一回で、自分では頑張った月だったと思いました。この頑張った成果が出るのは来年2月。この成果がいい結果へつながってくれればいいな…と願いつつ。

<<9月>>
ようやく案件も落ち着いたので、景気よくビシッと年休を長期に取り、名古屋に高山にと旅行三昧。天候不順だった夏前半のもやもやを一気に吹き飛ばすように、とかく私が出掛けた日程についてはどの日もよく晴れ、その旅行毎に最高の思い出ができました。
そして8日、27歳の誕生日。ほんとにいろんな人におめでとうを言ってもらえたのが最高に嬉しくって、すごく印象に残った誕生日でした。

今年の夏は、仕事もプライベートも日々休まずほんと頑張った気がします。
平日は朝から仕事を頑張り、休日はその分を取り返したいかのように派手に出掛けて遊んで。よく体も壊さず頑張ったな…という気がします。
さてこれから秋、既に11月下旬にカナダ・バンクーバーへ旅行することが決定していて、それ以外にも、今年も例年劣らずいろいろと出掛ける予定盛り沢山。
たぶんこんな遊び方も、ほんとに近いうち出来なくなると思っているので、やりたいまま、誘われるがままに、精一杯やっちゃえというのが今の暮らしです。
さてさて今年の秋はどんなことが待っているのか!さぁ楽しみです!!

p.s.今までに上げられなかった日記も今後てこてこ暇を見つけて書けたらなと。書いても上に記事があると目立たないと思いますが、もしよければ、たまにそんな記事がないか、下までチェックしてくれると嬉しいです。

駅員時代の思い出~御茶ノ水駅編①

2006年09月10日 | つれづれ日記
秋葉原駅でつい駅員時代が懐かしくなり、まだ待ち合わせまで時間があったので、ちょっぴり足を伸ばして御茶ノ水駅も探索してみることに。

この駅は秋葉原駅とうって変わって当時と何も変わらない駅。
就職するにあたり辞めてから3年半。今行っても昔と全く変わっていません。

私が初めてバイトで駅員として採用された時。御茶ノ水駅自体にバイトを雇ったのが初めて。当時は東京駅駅長も歴任された、大変怖い駅長が駅を仕切っており、バイトとは言え、悪いことに対しとことん注意をする、でも真面目に働く人間にはとことん優しく、人間的にいい人の揃った温かみのある駅でした。

ただそもそも学生がのほほんと駅員になれるのかというと、当時は違いました。私が辞める頃に入った人の頃には、残念ながら人も入れ替わり、そういう風習がなくなってしまっていましたが、私が入った当時は、きっちり研修期間が用意され、ホームに立つまでいろんな勉強をした上でホームへと向かいました。

中でも厳しく教えられたのは、ホームでの立ち方と、お客様がホームから転落された時の対処方。
まず、ホームでは必ず電車に対して正対(進入する電車に対して正面を向くこと)しなさいと。
そして足は軸が安定するよう、片足を横に向け、不意にお客様に押されても、間違ってもホームへ落ちないよう、姿勢をきっちりと直されました。
そしてホームに誤ってお客様が落ちた時…自分の責任は電車を停める行動に出るところまでで、救助は責任外であること。緊急停止ボタンさえ押せれば、別にホームから降りて救助しなくても、自分の責任はまっとうできるのだと厳しく教わりました。
学科教習と実技教習が終わったら、助役と駅の周りをお散歩しながら、お客様からの質問に答えられるよう、駅周辺のお勉強へと出かけました。
そうやって、きちんと研修をした上でないと、非常に危険な仕事であることは間違いなかったと思います。

この駅での仕事は、基本的に通勤時間帯のお客様整理。
持ち場は3つあり、御茶ノ水橋口の階段下で階段整理。聖橋階段下で駆け込んできた客を電車のドアの前でブロックする仕事。あとは秋葉原寄りのホームに立ち、乗り切れないお客様を押すいわゆる尻押し。
一番好きだった仕事は、内容が一番駅員っぽい尻押しの仕事でした。

しかし今思えば、今の仕事も当然お金をもらっている分、多少の緊張はあるけれど、あの時の日々の緊張に比べると、今の仕事は命を預かっていない分、日々の疲れ方もだいぶ楽なのかな…と。当時は、ホームのギリギリに立ち、2分に1度約60km/hで進入する電車の一番近いところに立ち、無警戒なお客さんに叫んで下がってもらったり、並ばせたり、時に注意したり…。
でもホームの向こうを見れば、御茶ノ水橋と聖橋を真上に眺め、電車に沿うように流れる神田川。夏は暑く、冬は激寒。季節感は嫌でも味わえ、やりがいは一入でした(決して今の仕事がやりがいがないという意味ではないですよ)。

実は今日のブログ。何度か書き直してなんとかまとめて上げました。
…というのも、4年間働いたいろいろをこの場で一気にはまとまらず、書いても書いてもまとまらなかったので、書いたり消したりを繰り返したんです。
結局まとまってないけど、まぁそれだけいろいろあった駅でした。
今でもたまにふらっとあの駅に行くと、なんかたかがバイトで4年働いただけだけど、自分の駅な気がして、思わず落ちてたゴミとか拾っちゃったりして、他のいろんな駅より断然愛着のある駅。
そんな駅も、度あるごとに改築計画がささやかれます。
確かに危ない構造になってしまっているのは確かなので、いつかそういう時が来るだろうとは思っています。でも改築されても、今の駅と同じく、都会の真ん中ながらも川を優雅に眺められる、そんな落ち着いた駅になってくれたらな…と思ったり。

その時のお仕事の話しは、これからも、まとまった度にちょっとずつ小出しにして行きたいと思います。

駅員時代の思い出~秋葉原駅編

2006年09月10日 | つれづれ日記
今日は入社以来お世話になっている指導社員の先輩の先導のもと、秋葉原のダークなお店を巡ろうという集まりの日。
たまたま家から秋葉原まで、乗り継ぎよく来てしまい、集合時間までまだ1時間もあったので、秋葉原駅を乗り換え以外でのんびり訪れるのはかなり久々。せっかくなので…と、ちょっぴり懐かしい場所を探索してみることにしました。

この駅は、大学3年生の夏~春にかけてバイト駅員として働いた思い出の駅。
でも、私が秋葉原駅を辞めて以降、駅前が再開発され、駅自体にも改良工事が入り、つくばエクスプレスが開業し…。
当時はヨドバシカメラに面した、昭和通り側のメイン改札口・中央口はなく、電気街に行くマニアの方専門の改札口・電気街口と、日比谷線に乗り換える人のためにある昭和通り口、そして人前で堂々と歩きにくい人のためにあるデパート口の3つの改札口しかなく、特に週末となると、マニアックなパーツを求める人たちで、電気街口は構内から街の中まで人でごった返していました。
私の仕事は、そのごった返した駅の中で、改札口脇で立ってお客様のご案内をしたり、階段の間に立って、あふれ返る人の整理をする仕事でした。
勤務は人であふれ返る土曜・休日13:30-17:30、時給1,100円となかなかの高待遇。でも4時間休憩無だったので、暑い夏や寒い冬には非常に辛い仕事でした。

元々私は御茶ノ水駅所属のバイト駅員。
その私が秋葉原駅へ出向いたのは、当時秋葉原駅の駅長の紹介。この駅長は、以前御茶ノ水駅の駅長をされていた方で、定員1名に対して何十人という応募の中、第一期御茶ノ水駅通対パートに選んでくれた方。
聞いたところ、秋葉原駅に在籍するバイト駅員が、デモを起こして停職にしまったので人が足りないとのこと。
平日は御茶ノ水駅でのお仕事があるので、仕事のない土曜・休日だけという条件で、お手伝いに出ていました。

秋葉原駅は、山手線・京浜東北線・総武線の交差する、1日約17万人が利用する駅。平日はその各線の乗り換える人が大半を占める駅も、休日となると駅の周辺に広がる電気街に向け、東京近辺どころか、全国の方が集まる駅。
その多くの人が電気街口から街へと出て行く流動になっていたので、週末のピークの時間には人が集中して、改札口からホーム連絡通路にかけて人でごった返していました。
当時は改札口からホームへはひとつの連絡通路しかなく、そこも非常に狭い通路。
また人の流れが上下交差するポイントがあり、狭い通路にいかに人をスムーズに流すかが勝負でした。

バイト駅員は、試行錯誤の末2人が担当に。
1人は階段の上に立ち、メガホンを持って、階段を乗り降りする人の流れを、左右で仕切る仕事をします。
指示に従わず流れを壊す人には大きな声で注意し、乗り場が分からず止まってしまう人には、つかさず出向いてご案内をし、とにかく人の流れを止めないことを主眼に、叫び続ける仕事でした。
もう1人の仕事は、改札口で利用して頂いたお客様にお礼を言いつつ、乗り場が分からないお客様へのご案内や、電気街の店のご案内などを担当。また券詰まりや、SuicaカードREADエラーを起こしたお客様へ、原因の説明や対処。また出札口できっぷを拝見したり、必要なきっぷの収受などをする仕事をしました。

しかし秋葉原は客層が独特。ゆえいろんな出来事が日々ありました。

まずは不正をしようと改札の脇に立つ私の守備の裏を突こうと必死に様子を伺う外人の姿の多いこと…。大体は怪しいので出向いて質問しようとすると逃げるので、それと分かるのですが、中には改札口をハードルの要領で飛び越え逃げる奴も多く、その対処は苦慮した記憶があります。
そして目的地までの行き方が分からず質問してくる人の多くが外国人。そういう人は決まって目的地がとんでもなくマイナーな駅が多く、中には日本語どころか英語すら通じないお客様も。時にはその言葉と日本語を両方話せる別のお客様を探して、仲介に入ってご案内をしてもらったこともありました。

また当時は、駅にバリアフリー設備が一切なく、車椅子のお客様は全て人力で運ぶ必要があり、その時ばかりは出勤している人みんな一丸となって、そのお客様をホームまでご案内をしました。手動車椅子の場合は4人、電動の場合は6人でやっと。
でも運んだ後、介添えの方からのお礼の一言が嬉しくて、使命感持ってお運びしたこともありました。
中でいつも決まって現れる車椅子のおじいさんがいて、ある日その方がぱったりと現れなくなり。心配していたら、後に介添えの方が、亡くなった旨をお伝えに来てくれ、その方がいたく感謝していた旨を聞き、胸が熱くなったこともありました。

3年半働いた御茶ノ水駅に比べて、1年足らずと期間は短かったものの、あまりに出来事が多かったことが印象的で、今上では語れなかったこともまだまだいっぱいあるそんな思い出深い駅。
そんな駅も、辞めて4年半。今では電気街口を入ると広いコンコースがホームまで続き、当時苦労したいろいろなことは、ほとんど全て解消していました。
ちょっぴり寂しいのは、その思い出の電気街口から続く狭い階段は、すっかり無くなってしまったこと。またよく仕事の帰りに仲間としゃべったロッカー室も、自由通路と姿を変え無くなっていました。

しかし今や働く側から利用する側へと変わって歩いてみると、いかに便利になったことか。広く歩きやすくなったばかりか、駅の中に店も増え、待ち合わせにも退屈しない前よりずっと立派な駅へと変わっていました。
秋葉原の街は、まだ再開発真っ只中。以前のマニアックしか寄せ付けなかった街も、これからは一般にも門戸を広げた街へと変わっていくんでしょう。
そんな時にまた、ふと立ち寄って、以前働いた頃と見比べて、思い出探しをしてみようと思いつつ、待ち合わせの場所へと向かうのでした。

青春18きっぷで行く名古屋の旅(後編)

2006年09月02日 | つれづれ旅行記
これから桃花台新交通は1991年3月に開業した新交通システム。桃花台ニュータウンへ向かう足として開業したものの、始発駅の小牧駅が今日私がたどったルートを代表的に名古屋中心部から不便で、タクシー会社・あおい交通が運行を開始したJR春日井駅行の会員制バス(現在は一般の路線バス)の方が圧倒的に利便がよく、結果客足が伸びずに今年9月30日で廃線とのこと。
小牧駅できっぷを買いホームへ上がると、夕方の下り電車(普通はお買い物客で昼間よりは客が多い)なのに、廃線を受けて集まった同業のマニアの方が数人いる程度の客足。4両編成全体を合わせて20人程度、うちマニアを除いた一般の人はたったの5人くらい。これでは廃線になってしまう訳です。
開業してまだ15年というのに、駅は既に荒廃気味。始発駅・小牧駅以外では、駅名票などの看板も色あせたまま、施設もとてもできて15年とは思えない荒れ方で、だいぶ以前より経営が行き詰まっていたんだな…という感じ。本数も10年前に乗った時より幾分か減っていて、でもその時も乗客は少なかった記憶があります。
ただ変わったのは、桃花台ニュータウンが順調に開発が進んでいたこと。以前はあそこまで沿線に住宅がなかった気が。電車がなくなっても、ニュータウン自体は寂れないでほしいものです。
終点・桃花台東には、一般のお客さんは、終点のひとつ前の桃花台センターで降りてしまうので、残るはマニアだけ約15人。降り立つとみんな写真をバチバチと撮り、そのまま折り返し電車へ。私はせっかくなので駅を出て、ニュータウンを散策することに。
一見普通の団地の並ぶ団地。横には中央高速が通り、そこそこ人の気配のある場所。ふと気付くと、駅からちょっと離れた場所に、問題の春日井駅行の路線バス乗り場が。また駅前には中央高速を走り名古屋へ直結のバスのバス停まで。運賃とそれにかかる時間を考えても、新交通に誰も乗らないのはうなずけました。
15分程度散策し、折り返し小牧まで新交通の債権のために乗車。やっぱり車内はマニアだらけでした。

小牧から再び名鉄小牧線に乗り犬山へ。ここから名鉄各務原線に乗り換え名鉄岐阜へ。正面に夕陽を受け坦々と走る電車。途中長良川のほとりにそびえる犬山城、夕陽の向きと丁度被っていいシルエットに。夕焼け空は気持ちを切なくなります。
名鉄岐阜で名鉄名古屋本線の急行電車に乗り換え名鉄一宮へ。ここから名鉄尾西線に乗り換え、玉ノ井という駅を目指します。

弥富~玉ノ井30.9kmを走る名鉄尾西線。ただ電車はその路線を通して走る便がなく、弥富~津島~津島線へ直通する電車・津島~一宮・一宮~玉ノ井と分かれていて、弥富~一宮は既に乗車済。残るは末端のこの区間のみながら、本数が30分毎と少なく、今まで電車のタイミングが合わず断念していたので、今日こそはと。
乗り換え乗り込んだ尾西線の電車は2両編成ながら、結構な混み具合。一宮市は岐阜と名古屋の中間に位置する中核都市。よく見るとほとんどが買い物袋を抱えたおばちゃんか、会社帰りっぽいサラリーマン。この様子だと普段から乗客は安定して多い様子だろうに、本数がこれでは勿体ない気もします。
一宮、西一宮を過ぎると、高架だった線路が地上に。名鉄でも"3等線"として、ローカル線として扱われる同線。線路も地上に降りた途端にレールが細くなり、枕木もPCコンクリートから木へ。途端に走りが一気にローカル線らしくなります。
でも運転台のスピードメーターを覗き込む95km/hをマークしそこそこの走り。細いレールから出る軽いジョイント音が、またローカル色に味を出し、夕焼けも沈みかけ、周りも薄暗くなっていく中、1駅1駅降りて行く乗客が、別に何をする訳でもないがそれらしく。名古屋にはこんな哀愁漂う路線が数多くあります。
終点・玉ノ井まで所要10分ちょっと。玉ノ井で降り立った人たちは、駅前にある駐輪場でみんなチャリに乗り換え、それぞれの家庭へと散って行きました(今日のトップ画像は玉ノ井駅に撮影したもの)。丁度会社の同じPJTに所属する同期は、この辺りが地元。聞いたらこの終点・玉ノ井の近くに習い事で通っていたとか。駅は裸電球ひとつの寂しい駅。帰りはだいぶ寂しかっただろうに…と、その時の様子を創造しながら、折り返し一宮行電車に乗り込みます。
いろんな路線のある名鉄。小学校3年生の時に初めて乗り、以来ちょっとずつ路線を消化。残るは名鉄羽島線・江吉良~新羽島1.3kmのみ。あとちょっとです。
一宮から再び名鉄名古屋本線に乗り換え名鉄名古屋へ。ここで大学時代の友人で、今日はここで大学院に通う友人と会う予定です。

待ち合わせはスカイシャトルの2F乗り場。理系の大学生・大学院生は研究室にこもると、激太りするか激痩せするか。私は激痩せの方でしたが、今日会う彼はその逆。半年ぶりの再会ながら、その間もだいぶウェートを上げているようです。
今日は帰りを最終のぞみとしていて、待ち合わせから新幹線までは3時間余り。せっかくなので…と、張りきって二次会構成に。まずは山本屋総本家で名物味噌煮込みうどんを堪能。他のうどんのそれとは違って、そば粉を練りこんだ異常にコシの強い麺は、風味豊かな濃い味噌のダシで相当煮込まれてもまだ芯の残っていて、その歯ごたえが最高。またその中に落とされた卵が、卵黄がすごく濃く、これも煮込まれてもパサパサならずトロっとしたまま。昼は駅の立ち食いきしめん屋で済ませてお腹もぺこぺこだったので、ペロっとたいらげ二次会・居酒屋へ。
店員の手違いで、手羽先が2人前にサラダが大きなボールを2皿。もう既に味噌煮込みでお腹いっぱいなのに手痛い洗礼を。でも粒胡椒の効いた手羽先は、カラッと揚った手羽先にいい風味となっていて、満腹でも勢いで食べられてしまう美味しさ。

たらふくになり、適度にほろ酔いになり、最終のぞみ号に乗車。
新横浜まで1時間ちょっと。MP3で新幹線の中でバラエティーチャンネルとして放送されている「テキストいらずの英会話」聴きつつ、夜の景色を眺め夢の中。でも今日のlessonは"会社で仕事をミスった時の英会話"。聴いていると"はい。私のミスです。全て私の責任です"等、聴いていて確かに役立ちそうだけど笑えない。でも聴いているスーツのサラリーマンの人たちには丁度いいのかな?

青春18きっぷで行く名古屋の旅(中編)

2006年09月02日 | つれづれ旅行記
豊橋へ戻ると時計は12時をちょっと回ったところ。
そのまま電車で名古屋へ出てからごはんにしようか、今豊橋駅でどこか店に入ってしまおうか…。ちょうど12:07発の快速5303Fが出てったばかりで、次の12:26発の新快速5223Fまではちょっぴり時間がある。そして名鉄のホームを見ると、中部国際空港行と表示があったので、まだ乗ったことのない名鉄2200型を期待していたら、残念ながら1000型6連。

そういう時の決断は早い。すぐさま立ち食いきとめんのお店を見つけ、さっときしめんをかきこみ新快速5223Fに乗車。浜松始発のこの電車は、豊橋発車時点で既に混雑気味。岡崎、安城とどっと人が乗り込み、刈谷ですし詰め状態に。そのまま名古屋まで混雑は続き。時計を見ると豊橋発車時点では定時だったのに、混雑した分電車は遅れていて、運転士は定速スイッチを使ってひたすら飛ばしてきたのに名古屋2分延。ダイヤに若干の問題が。名古屋13:12着。「新快速」という電車はどこの都市でも早いです。
遅れてしまったので、慌てて階段を移動し名古屋13:18発中央線・快速5619Mに駆け込みセーフ。大曽根で下車、ここで名鉄最後の釣り掛け電車を待つと決めています。

「釣り掛け」とは、電車の駆動装置の方式の一種の通称。車軸とモーターをアクスルメタルという装置で固定する方式に由来した名称で、新性能電車ができる前にはごく一般的に使われていた方式。ただメンテナンスが難しく、高速走行に向かないために、今では路面電車や電気機関車くらいでしか見かけないのですが、ここ名鉄では普通の通勤電車に今だ釣り掛けモーターを装備した車両が走っていて、それを乗ろうという趣向。釣り掛けモーターは走る際にモーターからモーと独特の響きを奏でるのが特徴的で、よく古い雰囲気を出したいシーンでの電車の音には必ずその音が出てきます。
名鉄最後の釣り掛け電車は、今は瀬戸線に2連2本と4連5本が残るのみ。
なので多少待たされるのは覚悟しています。

1本目の尾張瀬戸行普通、2本目の栄町行普通、3本目尾張瀬戸行準急、4本目の栄町行準急と6000型が続き、諦めかけた5本目。電車がまだ見えないまでも、遠くから「シャー」というブレーキの音(※制輪子に鋳鉄を使ったブレーキから放たれる独特の音)が聞こえ、目指す釣り掛け電車・6750型(今日のトップ画像※見た目新しい車両に見えますが、それは車体のみ1994年に新造したため。足回りは旧式のまま)が来たことが分かりました。
ルンルン乗り込み、扉が閉まり、車掌からの発車合図がチンチンと鳴ると運転士がノッチを投入。途端に車内に「モ~」という独特の音を奏でだします。
今乗ってきた中央線の線路をオーバークロスすると1つ目の駅・矢田駅に到着。運転士がブレーキハンドルを使ってシリンダに空気を入れると、「シャー」と音が響き減速。電制を持たない故、ブレーキシリンダに入る空気量が即ち制動力。立ち上がりの遅さがその証拠です。
電車が停車すると一瞬で静寂な空気が。モーターに冷却装置を持たないので、また気動車のようにアイドリングも必要としないので、加速・減速をしない間は音を放つものがなくなるのが理由です。
そしてたまらないのが、次は終点・尾張旭に着こうかという頃。ぐんぐんと加速し、今までの区間での最高速度・60km/hを越した頃、今までの「モ~」という音が、回転数が上がりその音が「ギャー」に変わった瞬間。今は2006年、こんな懐かしい電車が、日本で3番目の都市・名古屋の街を走る通勤電車として走っているとは。

大曽根から20分、乗った電車の終点・尾張旭に到着。
でもまだ満足できなかったので、折り返し電車にそのまま乗車。
折り返し大曽根まで約20分、再び釣り掛けモーターの音に酔いしれました。

大曽根から地下鉄名港線に乗り平安通へ。平安通から地下鉄上飯田線に乗り、直通名鉄小牧線で小牧へ。この路線、最初私が高校2年生の時に訪れた時は、この地下鉄(上飯田線)がなく、平安通から1km進んだ上飯田の駅が小牧線の始発駅。
地下鉄を降り、バスで1km進むと、市内のまだ中心部ほど近いところに、どこの路線とも接続しない支線の始発駅がという、東京ではお目にかかれない独特のムードのある駅でした。都会の駅なのに都会っぽくなく。
街は都会らしく騒がしいのに、駅だけは閑静な、まるで昭和30年代にタイムスリップしたような場所。それが今では地下鉄開業と共に、立派なホームドアまで備えた地下駅となり、電車もATCを備えたハイテク車両に。昔を知っていると、この10年ーの変化に驚いたりします。
平安通から20分、小牧で下車。ここから9/30で廃線になる桃花台新交通に乗り、終点・桃花台東まで乗り収めに向かいます。

(あまりに釣り掛け電車が嬉しかったらしく、話しが長くなり過ぎたので、今日の日記は3部構成に。続きは後編に)

青春18きっぷで行く名古屋の旅(前編)

2006年09月02日 | つれづれ旅行記
毎度のことながら、この時期にはどこからか手に入る青春18きっぷの余り券。以前の旅行で元をとってるんだし、そのまま放っとけばいいのに、あるとつい出掛けてしまう私。
今回は前後のスケジュールと、お財布の都合上、控えめ日帰りコース(理想は前日夜から夜行で名古屋なり大阪なりに出掛けたかったのですが、直前に思いつきで出掛けることにしたので夜行の指定券が取れなかったので…という事情もあり)。
早朝から東海道線をひたすら乗り継ぎ、名古屋周辺の乗り残しを片付ける旅に出掛けることにしました。

大船6:04発、東海道線・普通321Mは、前の晩に大垣を出た快速ムーンライトながら号の折り返し。なので特急型車両です。座れればリクライニングシートを深く倒し、普通電車なのにちょっぴりリッチにくつろぎながら、なんと一気に静岡まで行けるというお得な電車。
でも最近巷に出回った、鈍行列車の特集を組んだ本にいろいろと取り上げられ、有名になってしまったので、早朝東京5:20発の電車なのに車内は大混雑。とてもくつろぐどころではありません。
結局平塚までデッキで立たされ、なんとか座席をGet!でも三島までは通路にいっぱい人が立ち、なかなか車窓をのんびり眺められるムードになりません。
ようやく空いてきた頃、左に駿河湾を見ながら、右の車窓に目を向けると雄大に富士山が。日本人はやっぱり富士山。夏なので雪のお化粧もなく地味だけど、なんだか見ていて日本なんだな…と気分が落ち着きます。
大船から各駅停車ゆえ全部の駅に停まりながら、静岡8:26着。新幹線ならとっくに大阪に着けている時間。でもこうやって時間をゆっくり使いながら、一駅、一駅とじっくり旅ができるのが鈍行の旅のいいところ。むしろ時間を有意義に過ごせた気分になれます。
今日は秋を匂わせるような爽やかな日和。すじ雲とやや弱まった日差し。青空の真夏と比べ気合いが弱まった気がします。思わずホームに降り立ち深呼吸。その爽やかな空気が体じゅうに染み渡り気分は最高!!朝ごはんは静岡駅の駅ビルで朝マックでも、こんな空気で深呼吸できれば、もう今の時点で旅は大方成功です。

静岡8:54発普通427Mで浜松へ、浜松で先に出た普通933Mに乗り継ぎ豊橋へ。
浜松で乗り換えた電車は、先頭車(クハ115-615)が今では滅多に見かけなくなった扉が鋼製の車。小さい時でも、南武線などでたまに見たくらいで、そんな小さい頃が20年も前の話しだから、どんだけ今乗っている車両が古いかって話しで。でも車窓に琵琶湖を眺めながら、老体に鞭打ちというのか100km/h近い速度で快調に走っています。豊橋10:45。豊橋は東京から293.6km地点になります。

ここからは路面電車に乗り換え、豊橋市内線の乗り残しを片付けます。
日本初のLRT助成事業で作られた路面電車の駅前ターミナルは、駅からペデストリアンデッキを渡ったところにある便利な場所。電停までエスカレーターが敷設されている都市は全国見てもそうありません(他には広島くらい?)。
慣れない電車に、乗車券を買うのにもたついているうちに電車が入線。慌てて写真を撮って乗車。車両は元名鉄岐阜市内線~揖斐線780型という車両。内装もそのままながら、豊橋に移って1年ちょっと。もうこの電車も豊橋の街にすっかりなじんでいました。
市内の風景を眺めているうちに、あっと言う間に終点・運動公園前に到着。

豊橋の路面電車は、正式には豊橋鉄道東田(あづまだ)本線と言い、今乗ってきた運動公園前へ行く電車と、終点の一つ前・井原で分岐して車庫のある赤岩口へ向かう路線があります。このまま折り返しては、井原~赤岩口間0.7kmを乗り残してしまうので、どうにかして赤岩口へ向かう必要が。でも営業㌔上で運動公園前~赤岩口が1.3kmしかないみたいだし、せっかく天気もいいし歩いて赤岩口まで向かうことに。
でも運動公園前まで来る途中、2本後の赤岩口行の電車が1両しか在籍しない部分低床車800型。計算では21分でこの区間を歩ければ間に合う計算です。
ただ既に写真を撮ったり、赤岩口電停まで向かう近道になっている岩田運動公園でセミの写真とかを撮ってしまったので、計算上残る時間は僅か。競歩というより小走り気味に向かう電停へと急ぎます。さぁ間に合うか!!

途中知らない土地なのに勘で路地を思う方向へ抜け、電車道へと出るとまだ1本前の電車が丁度出て行くところ。余裕で間に合いました。
せっかく早く着いたので…ということで、木造の赤岩口車庫を写真を撮りながら待っていると、遠くからお待ちかねの電車が入線。その様子が今日のトップ画像です。
この電車は元名鉄美濃町線800型。造られてたった5年で美濃町線が廃線になってしまったので、今こうして豊橋の地に来ていて、さっき乗った780型と合わせて、ここ1年で豊橋の路面電車は、ほとんどの電車が元名鉄の電車に変わってしまい、まるでその光景は廃線前の名鉄岐阜市内線のよう。ただ岐阜市内線の線路は最後には荒れ放題だったので、きちんと整った豊橋の路面電車とは比べ物にならないけどね。
以前美濃町線でこの電車に乗った際は、先の通り荒れ放題の線路をひたすら走ったので、すごい乗り心地だったと覚えていたものの、ここでは全然違い、静かな電車が街にすっと溶け込んでいて、まさにLRTという走りをしていました。

(長くなったので続きは後編で…)