Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

万博へ行ってきました!~0日目

2005年07月29日 | つれづれ旅行記
いよいよ行ってきました!~愛・地球博

「でもJ-san以前万博行ったんじゃなかったっけ?」という人。それは誤解なんです。あの時は、岐阜の路面電車が廃線になるので、それに乗りに行ったら、たまたま万博オープン前日で、なんだか面白そうと思って、万博八草駅からLinimoに乗って万博会場を見ただけ。特にあの時わざと万博土産を買っていったので、今回万博に行くと行った時、何人かに言われました。実は行ってなかったんよ。
私が万博で見たい物…それはズバリ乗り物!
万博には必ずまだ実用化されていない、近未来の乗り物に触れたり乗れたりします。今回の愛・地球博にも、そんな未来の香りのする乗り物にいっぱい会えるらしいという噂で、これは乗り物好きな人探して行かなきゃ!と思ってました。
乗り物好きと言えば…大学の友達!!
という訳で、乗り物大好き仲間2人と一緒に、万博へ行ってきました。
旅は東京23:43発快速ムーンライトながらで全員合流するところから始まります…

【29日21:40】万博をフルフルに楽しむべく、フレックス大活用の15:00退社を宣言しつつも、仕事が相変わらず予定通りに進まず、今ようやく会社帰りの藤沢駅の東海道線ホーム。早く帰るためにこっそり8:30から仕事しちゃったばっかりに、普段以上にクタクタ…。おまけに案内を見ると次発の21:54発普通東京行は、折り返しこの後乗る快速ムーンライトながらになる電車。旅の仕度は早く帰れるからいいやとばっかりに手付かず。やばい!大焦り!!

【29日23:50】なんとか仕度をして準備完了!夜行を楽しむアイテムの買出しをまだしていなかったので、早めに家を出発。何やら夜行に東京から乗り込んでいる連中から、いろいろ買い込んだ旨の情報が。なんか楽しそうな予感~♪

【30日 0:26】大船駅東海道線ホームに、乗り込む快速ムーンライトながら号が到着。予約した席は、もともと予約が困難な列車の中の、かなり限られた数しかないコンバート席。入線してきて見ると、コンバート席の大きなテーブルには、すごい量の食べ物と、車外からでも目立つ2ℓペットボトル…。まさか!
乗り込むと一人は軽くいっぱいではなく、本格的に夕飯という感じ。もう一人はなぜか既にやさぐれながら飲んでいる。しかしこの食材の量は!なぜビールと酎ハイと2ℓのおーいお茶?…焼酎かウイスキーとかの割る用ではないの?それよりなぜ一名はやさぐれている?
コンバート席はまるで我々のようなグループが、夜じゅうずっとはしゃぐ用に用意された席。スタートは異様な雰囲気だったものの、実はたいくつな夜行の中、今までになく楽しく列車は一路名古屋へと進んでいきました。

…続きは30日の投稿へ

いよいよ美容院デビュー!

2005年07月18日 | つれづれ日記
いよいよ美容院デビュー!

美容院はうちの相方の通う、自宅からちょっぴり離れた美容室。
でもそもそも美容室ののれんをくぐるのに恐怖感(なんかおしゃれオーラに負けそうな気がして)を覚えていたので、ちょっぴり離れていようが、相方の紹介で多少情報のある中で行った方がいいかなというのが、その美容室を選んだ理由。
予約は15:00。普段行ってる床屋は予約なしでも、ぷらーっと行くと「おぅ」の一言で席が用意してくれるのに、美容院は予約がいるんだとさ。

その美容室の最寄りに行くバスは、自宅からだと1時間に1本。遅刻したら、おしゃれは何を言い出すか想像もつかないので、念入りに調査。調べたバスに乗り込み着くと予約した時間の30分前。おしゃれは時間前では、相手にしてくれないだろうと思い、美容室前のコンビニで自分作戦会議。
立てた作戦は「クールな笑顔作戦」。トークをするとブサイクがばれる…という理由で、静かにきめこみ、相手のフリにクールな笑顔で決め込む作戦。

時間ぴったしに美容室のドアをオープン。したらいきなり「××様ですね」だってさ。敵のリサーチは完璧。おしゃれ軍もなかなかやるなと感心。
おしゃれからの最初の指示は、アンケート票の記入。おしゃれは更に私から情報を聞き出したいらしい。「【Q】髪を洗った後のケアの方法は?」…放置に決まってるやろ!→「【A】自然乾燥」うん!きまった!!

アンケートを提出すると、軽くおしゃれがトークを振ってきます。
「【Q】今日は暑いですね」…「【A】(クールに)そうですね」
「【Q】昨日は花火行かれたんですか?」…「【A】(『風邪引いて倒れてたっちゅーの。まだ顔青いやろ。分からへんのかおしゃれは』思いながら)ちょっと都合が合わなくって行かれなかったんですよ。綺麗だったんですか?(よしよし逆に質問返したったで!

「ちょっとまだご準備ができていないので、ヘアカタログをご覧になりますか?」…これは美容院に来る資格があるのは、これくらいの髪にしたい奴らなんだよ。お前みたいに今時もみ上げが直線な奴は性根から叩き直したる。という宣戦布告だと判断。でも中に写ったモデルが、意外とヘアスタイルは決まっていながらも、なんかヘアスタイル以外がかっこ悪い。やっぱブサイクはもみ上げまっすぐじゃなきゃアンバランスなのか?…被害妄想。

「お待たせしました。お席にどうぞ」いよいよ戦いスタート。
きたのはやけにテンションの高い美容師。相方の情報では店長らしい。
私の髪にちょっぴり櫛を入れては、顔をちらちら…。
「よしきまった。今日はかっちょよくスタイル変えていきますからね」
…かっちょよくっすか。かっこよくではないんだな。この顔の造りではできないんだな。
「ではまずはシャンプーからお願いします」…さすがおしゃれのシャンプーは違います。ヘアのコンディションに合わせて、今にも髪の毛がなくなりそうな私には、毛根の活動を活発にすマッサージコース。これがほんとに気持ちいい。
いよいよカットスタート。今まで床屋でははさみが入ると、重たげな髪がわさわさと落ちて行くのを「もったいない」と思ってたりしたのですが、美容院は違います。まるで伝説の秘儀でもしたかのように、風に髪の毛が舞ったかのよにさらさらと私の目の前を落ちていきます。なんか道具もかっこいい。
そんな様子に見ほれ、シャンプー~カット~シャンプーと過程は進み、いよいよセット。
でてきたのは得体の知れないドロドロした液体。
やっぱりそうか。そういうオチだったのかと諦めムード。
美容師は手にそのドロドロの液体を取り出し、しばらく左手と右手でヌトヌトとなじませてる様子。それが均一に伸びた瞬間セットスタート。
そのヌトヌトした液体と、世間的には「ヘアワックス」と言うらしい。
手が複雑多様に動き、ドライヤーが軽くすっと動くとセット完了。

「すごい!すごすぎる!!」

ほんとちょこっとワックスをなじませ、数分髪を造作しただけでこんなヘアスタイルになるのか!…なんか今までにない自分。
おしゃれをなめてました。すごいです。さすがです。大感動!!

美容師からワックスの付け方とセット方を聞き、帰り道に相方ヘアワックスを選んでもらって、美容院デビュー終了。
あまりに素敵で嬉しかったので、今そんなことで連れ出してはいけない相方を強引に連れ出し、人の多いみなとみらいへと繰り出し、自分の中では変わった自分を散々自慢してきました。

そして翌日…ワックスがうまくなじまない。セットができない…(涙
失敗して行った会社では、同僚に「そういえば変わったかも」という微妙な評価。
まぁ仕方ないよ。あれじゃ…。
それから2週間。今日はめんどくさかったので、ワックスを塗らずに自然乾燥したままお出掛け。そこで言った相方の一言。
「今までで一番あの日(美容室に行った日)に近いじゃん!」
…ワックス塗るのやめようかな。

次回、美容室でもう一度、セットの仕方を習ってきますので、もしその変化に気付いたら、その時は皆さん宜しくお願いしますね、ね。

いよいよ明日 美容院デビュー!!

2005年07月17日 | つれづれ日記
今まで私の最新トレンドをビビッとキャッチしたあのヘアースタイルは、理髪店「バーバー松本」の店主の言われるがままの髪形。
最近では突然ふと寝ているうちに、サービスと称してアイロンパーマをかけられたり、ふと気付くと前髪が斜め5°で一直線にカットされていたり、斬新なヘアースタイルを提唱され、幼稚園以来、それがトレンドなのだと信じてやってきました。
ただ友人らがどんどんおしゃれに変わっていく中、もしかすると俺は流行の波から取り残されてる?と気付いたのがつい最近。
そこでいよいよ明日、美容院に行ってみようかと。
たまたま今日、相方と会えたので聞いたところ、紹介をしてくれるという話しだったので早速予約してみました。
さてさてどんなヘアースタイルになるのかは乞うご期待!
来月のan-anの表紙は俺がもらった!!

久々に翼が生えてきた気分!

2005年07月10日 | つれづれ日記
私の夏の過ごし方には、小さい頃からあるお約束のパターンがありました。

まずは8月第1週に出掛ける祖父との電車に乗りながら、その現地の名所・旧跡を巡る旅。
小さい頃、電車は今のようにどっぷりと好きだった訳ではなく、どちらかというと、鉄道旅行が好きだった祖父と出掛ける口実に、電車というのが台頭にあったという感じで、あまりその理由が電車でなくても…というのか小さい頃少しあった時期もありました(そんな少年も、最初はそんな祖父と出掛ける口実に過ぎなかったにも関わらず、それが趣味へと変わり、いつの間にか仕事になってたりする事実はありますが)。
最初は日帰りで出掛けられる範囲だけだったのですか、小学校1年生に上がると1泊1日でやや遠出をするようになり、それが1泊2日、2泊2日…と行く先もどんどん遠くなり、いつの間にかその旅行は8月の1週目という定番になっていました。
毎年祖父はその旅行をよほど楽しみにしていてくれたらしく、前の夏の旅行が終わると、一人でどこへ行こうかワクワクしていたらしい。そして翌春になると概案が私に発表され、だいたい指定券の発売になる乗車日1ヶ月前を過ぎ、手配が完了した時に詳細が郵便で送られてきます。
それからは時刻表をひっくり返し、私も祖父に負けじと旅行先について猛勉強。
そして旅行前日。祖父の家(同じ市内)に家族全員で移動。祖父の家に着くと、既に祖父はチケットを畳いっぱいに広げて、楽しそうにその場所場所で何をするかレクチャーが始まります。その夜は二人してワクワク。そして旅行へ…。その間、うちの両親、祖母、妹は祖父の家でお留守番。毎年その間は母方の祖父の家なので、うちの父は居心地悪そうに生活していたのをよく覚えています。
そしてお土産もお土産話しもたっぷり両手に抱えて帰宅。特にその日に、同じ旅行好きの病にかかる叔父との話しは格段に楽しくて。

そして8月第3週、ちょうど高校野球が決勝という頃出掛ける家族旅行。
大体うちは父の会社の保養所に出掛けるのが定番。すぐ腰を痛めるくせに体力派な父は、とにかく自然たっぷりなところを散策するのが大好き。でも残念ながらその息子はとにかく病弱。なのでその旅行は個人的にはどちらかといえば苦行めいた印象が強く、アルバムを見ると、普段になく生き生きした父、なんだか分からないけど楽しそうな妹、私を心配しながらも、でも旦那の笑顔に大満足の母、そしてバテバテの私という構図の写真ばかり。例えば山道をバス15分、徒歩1時間の道のりの目的地に対し、この旅行だと必ず徒歩1時間が選択されてしまうので、大体帰るとそのハードさに寝込んでたような気がします。

その前後には恒例のラジオ体操。あと通っていたKUMONの夏季集中講座(夏休みは週2回行かない代わりにまとめてやる週があった)。そんなしているうちに夏休みが過ぎていくというのが私の夏休みの過ごし方で、それは途中KUMONを辞めたり、高校の部活が忙しくなりながらもさぼってばっかりだったけど、それでもこのパターンは高校2年生の夏、祖父が亡くなる前の年までこの定番は崩れませんでした。

祖父が亡くなり、私も大学受験となり、ちょうど妹も部活が忙しくなり、その定番の過ごし方はがらりと変わりました。まぁ祖父が亡くなってから暫くは、趣味の目的を見失って、旅行意欲もなくなっていたのて丁度よかったのですが…。

でも気がついてみれば大学は、乗り物の病に掛かった人たちの集まる変わった学科に入学。そんなしているうちに旅行熱はいつの間にかまた復活していました。
しかし綿密なプランを練ってくれる祖父はもういない…。さて代わりは!?

祖父が亡くなって3年経った大学2年生の夏ちょっと前。突然頭の中に行程表のようなものがスラスラと出てくる日があり、そのプランでむしょうに旅行へ出かけたくなりました。最初は祖父と歩んだ道と同じく日帰り旅行に始まり、それは毎年決まった時期に突然ひらめくんです。
でも今年はその時期を過ぎ、8月上旬に出掛けるには乗車日1ヶ月前を過ぎ、もう手遅れとなった頃プランが浮かんできました。それは8月中旬ならではのプラン。やっぱり今年も祖父はどっかでプランを考えていたのでしょうか。
せっかく考えてくれたプラン。たまたま興味を持ってくれた友人がいたので、今年も友人と二人旅行となりました。さてさてどんな旅行になるか!楽しみです。

人の夢、自分の夢…

2005年07月01日 | つれづれ日記
私の昔からの人生の永遠のテーマ…それは「夢への実現」
私をよく知る人だと、それはアノ仕事に就くことだろと言いそうですが、実は違うんです。
今まで俺の夢はいろいろと転々としていました。
確かにマトリックスを描けば、比較的似通ったところを遷移しているのは確かですが。
そんな俺の夢のうちのひとつが去年の夏、ひょんな事から叶いました。

それは大好きな電車を仕事にすること…。

自分のデスクには堂々と置かれ、電話対応をすれば「ハザ」だ「ロ個」だの、今まで趣味の雑談としてしか登場しなかったキーワードを使って、それを使ってのお仕事。それは夢のような生活だと思ってました。
ただ実際は、それ以上なプレッシャーと、知っているからこその更なる知識を求められる大変厳しい世界だということでした。
最初はほんとそのギャップに悩んだ時期はありましたが、今はそれが鉄道でなくてもいいような心の持ちようで、仕事と趣味を切り分け、仕事と趣味を両立させました。
それからはほんとに仕事も楽しく、知っている知識を武器に生かせ、できることならもう少し今の部署で勉強できたらな…というのが本音。その理由はただ電車にタッチしていたいからではなく、今の仕事に対し、業務のひとつの手法として、ひとつの担当分野を確実に業務として習得するにはまだ時間が足りないから。

私の夢は、叶ったとたんに夢と現実の厳しさとの狭間への直面させられました。
「本当に俺の夢はこれだったのか」
正直なところ、最近の私は、そんな心理との戦いだったりします。

私は入社3年目、年齢はあと2ヶ月で26歳。

さてさて同じ年頃の周りのみんなはどうなのでしょうか。

最近私の周りには、仕事のモチベーションが上がらず悩む人、そもそも自分のやりたかった事は何なのか見失ってる人を多く見ます。そんな人の多くは、つい1-2年前、ピカピカのスーツに襟を通し、その意気揚々たる立ち振る舞いに、私がいたく尊敬した人々ばかり…。
30歳を目の前にして、そろそろ自分の行く先は正しかったのか、そういう意味で見つめ直す。そんな年頃が今の私の年代なのかもしれません。

でも中には、同じ年頃で夢にむかってまだ青々とした眼で着実に進む人もいたり。
例えばある人は、最初は正直無謀だと思ったプロアーティストの夢を、あと一歩まで手に入れた人もいます。そしてある人は、ピンポイントに定めた夢をいつの間にか叶え、それに囲まれ日々楽しそうに暮らしています。

今の自分は、今している仕事が夢だったのだと、正直疑いながらも、それを信じ、やれるだけ頑張る日々。そうしていると、周りにも目が行き、同じ悩みを持つ人に、同じ気持ちで何とかしてあげたいとどうしても感じてしまう、なんだか分からないけど、本人にとってはこの上なく邪魔だと分かりつつも、でも何か手を差し伸べたいと思う変な気持ちもあったり…。
その夢が見つかって、今もやもやしている日々がすっきり晴れた人を見るのが、まるで自分の幸せかのように嬉しいだろうな…なんて。

まずは人の事より自分の事。
でも自分の夢が叶うとき、みんなも同時に夢が叶い、幸せな日々がそこにあったら、どれだけ素晴らしい世界なんだろうな。ほんとに。